昨年、創業70周年を迎えた筑摩書房。新書に代表される、軽量で実用性のある本が売れる中、知や思考を深める書籍をシリーズ刊行する「筑摩選書」を創刊した。今年6月に同社代表取締役社長に就任した熊沢敏之氏に話を聞いた。
出版不況の今だからこそ読者の真のニーズを見つめるべき
――出版業界を取り巻く状況をどのようにとらえ、どんな姿勢で臨まれているかを聞かせてください。
1997年のピークから出版刊行物の売上はどんどん下がる一方で、2009年にはついに2兆円を割りました。その影響で、出版社だけでなく、取次会社や書店を含めた業界の様々なインフラにも影響が出始めています。まさに、業界全体が曲がり角に差し掛かっている。しかし、そういう状況だからこそ、われわれ出版社はやるべきことをきちんとやらなければなりません。特に当社のような中規模の出版社は、一定の品質の本を地道に出し続ける責任を担っているという自負があります。そういう意識を強く持って、読者に喜んでもらえる作品を世に送り出すという「軸」をブレさせることなく、状況が悪い中でも取り組んでいく考えです。
――最も重視していることは。
読者の真のニーズを常に見つめていくことです。多様なラインアップの中から読みたい1冊を選ぶことが、読者にとっての楽しみだと思いますが、最近では意識の高い一部の書店を除き、豊富な品ぞろえが実現できにくい構造になっている。売上が落ち込む中、商品性の高い本偏重にならざるをえないがゆえですが、どこの書店でも同じような店頭風景になってしまっているのです。
出版業界にも“ロングテール”と呼ばれる販売統計があります。横軸に出版点数を売れている順番に並べ、縦軸にそれぞれの販売部数をとっていく。すると、新刊書やベストセラーが恐竜の頭から腰の部分のようにふくらんでいて、あまり売れていない本が尻尾のようになだらかに下降し、でもわずかとはいえゼロにはならない……。そういうデータです。これこそ、「爆発的に売れなくてもニーズがある」ということの表れ。出版社としては、読者の要望に応えるためにも、こうした本を届けられるシステムや方策を考えていかなければなりません。それが、本当の意味で「読者のニーズに応えること」につながると思っています。
ロングテール本が電子書籍に適している
――創業70周年を記念してスタートした「筑摩選書」が、この10月に創刊1周年を迎えました。企画のねらいを改めて聞かせてください。
今業界全体では、文庫や新書といったペーパーバックがものすごく増えています。特に新書は、当社を含め、現在30社あまりから月150点以上が刊行されている。そのことにより、書店の中で単行本の棚が死んでしまう、という現象が起きているのです。単行本にもいい本がたくさんありますが、新書のようには売れません。なんとか書店の中で生き残れるように、単行本を活性化させ、読者に届けたい――。それを実現するためのメディアが「選書」という形態でした。1冊1冊、紙や装丁などの仕様が違う単行本は、非常に原価が高くつきます。それを選書という形で資材や仕様を統一すれば、いい本を原価を抑えて刊行することができる。埋もれてしまいがちな単行本の良書を、読者に届けたい、という思いも込めています。
とはいえ、派手な企画ではありません。現在29冊を刊行していますが、定期刊行を重ねることで、少しずつ読者がついてくるだろうと期待しています。
――出版の電子化が大きな話題です。どのようなスタンスで取り組んでいきますか。
アメリカは書店の数が約1万店と少なく、簡単に本が手に入りません。だから電子書籍が普及するのは当然のことです。一方、国土がアメリカの25分の1の日本には、減ったとはいえ1万5千店もの書店があり、全国どこでも本が買える。そんな中で、電子書籍で読もうという人はまだ多くはないでしょう。そう考えると、日本においては、電子書籍でベストセラーを買って読むというよりも、あまり売れないけれどニーズのあるロングテール本や、入手しづらい作品を電子化するほうが現実的なのではと思います。当社で言えば、70年の歴史の中で培ってきた「財産」を生かす一つのメディアとして位置づけていきたい。であるならば、「オンデマンド出版と一体化した電子化」に可能性があるのではないかと見ています。
昨年は「電子書籍元年」と言われましたが、デバイスは増えたものの、コンテンツが全然足りていない状況です。また、デバイスによってフォーマットがバラバラで、それがさらにコンテンツのバリエーションを増やせない原因になっている。当社としては、フォーマットやデバイスの統一への動きなどを見極めながら、慎重に、我慢強く対応していく考えです。
――今後の課題、展望について聞かせてください。
これまで、本は出版社を通さなければ市場に出せませんでしたが、電子化が進むと書き手自らが市場に本を出すことができるようになります。しかし、個人的に発信した情報が果たして「公共性」を持ちうるかどうか、私は疑問に感じています。これまで出版社が持っていたのは「市場に出す権限」でしたが、今後それを「情報を文脈づける力」と読み換えていかなければなりません。これは同じく活字媒体である新聞にも言えると思うのです。速報性ではインターネットにかなわないけれど、情報にどのような意味があり、どのようなつながりがあるのか、という文脈づけの力を新聞は持っています。そこに媒体としての意義があるはずです。当社は出版業界において70年かけて情報を文脈づける力を培ってきたので、それを最大限に発揮し、本や情報に「公共性」を付与していきたいと考えています。
また、書籍の電子化とは別に、電子媒体も含めた幅広いメディアを使って読者に情報を直接発信していくことを考えていかないといけないとも思います。よく、若い人は本を読まないと言われますが、本当にそうなのか。先入観を取り払って、若い人にも本のおもしろさを伝え、いい「本読み」に育っていってもらうような環境を、私たち作り手である出版社が創出していかなければならないと思っています。
筑摩書房 代表取締役社長
1953年神奈川県横浜市生まれ。77年東京大学文学部西洋史学科卒業。同年筑摩書房入社。編集部に配属。78年営業部へ異動。81年編集部教科書課。87年「ちくまライブラリー」編集部。90年同編集長。93年「ちくま学芸文庫」編集長。2000年まで、一連の硬派な企画群で読者をつかむ。1998年編集室次長。99年同部長。2001年取締役編集室部長。04年取締役編集局長。08年代表取締役専務・編集局長。11年代表取締役社長。