デジタル化により、改めて見直されるマスメディアの「公論」を育む力

 デジタル化社会において、生活者とメディアの関係性はどのように変化しているのか。地デジ放送のもたらす新たな可能性は。メディアを取り巻く課題とマスメディアが果たすべき役割とは……。ジャーナリストでメディア評論家の武田徹氏に聞いた。

視聴者同士の議論を生むようなコンテンツや広告を

――地デジ放送完全移行を控えた現在の状況をどのように見ていますか。

武田 徹氏 武田 徹氏

 昨年11月、総務省は地デジ対応のテレビや受信機の世帯普及率が9割を超えたと発表しました。ただ、地デジに完全移行する今年7月時点のデジタルテレビの出荷台数は、累計約1億2千万~1億3千万台と言われるアナログテレビの半分を超える程度と見られています。これは、アナログテレビは複数台ある世帯が多かったのに対し、デジタルテレビはまだ1台しかない世帯が多いからだと推測されます。

 テレビの歴史をひもとくと、1954年の放送開始時の普及率はゼロに近く、民放局は広告収入を望むことができませんでした。それを切り抜ける策として街頭テレビが登場し、広告主を獲得してきました。やがて普及が進むにつれ、テレビは街頭から家庭の茶の間へ、さらに家庭の各個室へとパーソナル化し、小型化が進み、コンテンツはパブリックビューイングに受ける内容から個人的な楽しみを満たす内容へと変化してきました。

 しかし近年、液晶技術やプラズマ技術の発展により高画質の大画面テレビが市場に投入されたことで、大勢で見る楽しさが再評価されるようになっています。地デジ化は2003年から始まっており、それでもデジタルテレビの複数購入が進んでいないのは、パーソナル化にやや歯止めがかかっていると考えられなくもありません。家電業界は喜べないかもしれませんが、テレビ局や広告業界は、家族で一緒に見る状況をもとにコンテンツの編成や訴求内容を検証してみる価値があると思います。

――家族視聴が生み出す状況とは、具体的にどのようなことだと思いますか。

 例えば、暴力的な映像を見て育った子どもは暴力的な人間に成長するという考え方がありますが、母親が一緒に見ていて「こういう暴力はいけません」と言われながら見るのと、子どもが部屋で一人きりで見るのとでは、事情が全然違います。他者の目を通して物事を批判的にとらえるきかっけを与えるという意味では、一家で笑い合える番組よりも、むしろとがった内容の番組のほうが子どものためになるかもしれません。

 広告に関して言えば、子どもの受け止め方をそばで見ることで、親は子どもが何を欲しがっているのかをつかむことができます。商品によっては「昔お母さんもこれを使ったことがある」「この商品はいいと思う」といった世代間の会話も生まれます。そうすると、これまで個人に向けてピンポイントで訴求してきたものを、受け手同士の情報のやり取りを前提とした広告にシフトしたほうがいいというケースも出てくるわけです。

 大画面化が視聴環境のパブリック化に寄与しているとすれば、視聴者同士の議論を生むようなコンテンツや広告コミュニケーションの可能性があるのではないでしょうか。

コンテンツのアーカイブ化に期待

――テレビを通信回線につないで双方向サービスを利用すれば、通販番組で紹介された品物をテレビのリモコンで注文することも可能です。ただ、そうしたサービスがあまり活用されていない現状があります。

 データ放送でより細かい情報が流せるようになったとはいえ、リアルタイムで流れていくテレビメディアの特性は変わりません。今の消費者は、自分の都合のいい時にネットで価格を比較したり、クーポンを入手したり、じっくり時間をかけて買う傾向があり、テレビの情報がたとえ印象に残っても、即購買に結びつかない状況があるのではないかと思います。同じマスメディアでも、新聞は何度も見返すことができるので、掲載されたフリーダイヤルに注文するなど直接購買行動に結びつきやすいのです。

 従来テレビショッピングが得意としてきた、感覚に訴えて衝動買いを誘うようなコミュニケーションも、最近の消費傾向を見るとなかなか難しくなっています。その一方で、クチコミを生むようなネタを提供し、ネット検索やソーシャルメディアへの書き込みの動機を与えるようなコミュニケーションは成功しているように思います。

――期待する地デジ機能は。

 バリアフリー社会に貢献する文字や音声の多重放送です。公共性の高いメディアとして果たすべき役割で、テレビCMにもそうしたサービスを広げていくといいと思います。

――テレビ業界、テレビCM業界の課題は。

 人々のメディア接触のあり方は流動化しています。そうした中、毎週同じ時間にテレビの前に向かう視聴者が減っている一方、欠かさずチェックしたい番組は録画して見るという人が増えています。録画番組の視聴傾向がどういうものかと言えば、CMは早回しでことごとく飛ばし、コンテンツですらも面白くなければ飛ばしてしまいます。デジタル化により録画予約の操作性や保存性は格段に上がっており、テレビ業界にとっても広告業界にとっても悩ましいテーマだと思います。

――テレビ局に期待することは。

 積極的に取り組んでほしいのは、コンテンツのアーカイブ化です。権利の問題や海賊版の問題など課題は多いでしょうが、録画視聴のニーズの高まりもふまえ、コンテンツを歴史に残すということにデジタル技術を生かしてほしいと思います。民放はアーカイブの無料視聴を目指し、スポンサーの協力を得る努力も必要でしょう。例えばリアルタイム放送時はタイムリーな商品広告を流し、アーカイブ版ではマルチユースの企業広告に差し替えるなど、テレビ局と広告主とが知恵を出し合い、可能性を探っていくべきだと思います。

――放送の今後、ひいてはマスメディア、マス広告の今後のあり方について、どのように考えていますか。

 人々の情報源はどんどん分散化し、パーソナライズされています。放送が果たせる役割は何かといえば、「公論」を育むということではないかと考えます。安易な形で通信との融合を求めれば、大勢で一つのテーマを共有する機会がどんどん減ってしまいます。メディア構造的にそうした機会が生まれにくい世の中だからこそ、マスメディアにおける「公論」の重要性はますます増しており、テレビも新聞も改めて見つめ直す時期にきている気がしています。マス広告にも同じことが言えるのではないでしょうか。

武田 徹(たけだ・とおる)

ジャーナリスト/メディア評論家

1958年生まれ。国際基督教大学卒業後、同大学院比較文化研究科博士課程単位取得。大学院在学中より『週刊文春』、『諸君!』などに評論・書評などを執筆し、本格的に文筆活動を開始する。2000年には『流行人類学クロニクル』でサントリー学芸賞社会風俗部門を受賞。2007年4月より恵泉女学園大学人文学部教授。ジャーナリズムのあり方についての著作・発言も多く、BRC(放送と人権等権利に関する委員会)委員を務めている。朝日新聞社の言論サイト「Web論座」にも執筆中。