環境問題を重点な報道テーマとして掲げる朝日新聞社では、9月から10月にかけて「環境プロジェクト」と銘打った報道特集や各種イベントを展開。そのメーンイベントが、9月に開催された「朝日地球環境フォーラム2010」だ。2008年から毎年開催されている環境フォーラムの成果や今後の課題などについて、朝日新聞社フォーラム事務局の荻野博司マネジャーに聞いた。
一過性の取り組みにしないため企業協賛を得て継続的な事業展開に
――「朝日地球環境フォーラム」が始まった経緯と、これまでの概要について聞かせてください。
2007年の夏ごろから、新聞社として環境について国際的かつ継続的な取り組みができないか、という検討作業が始まりました。そんなとき、地球環境問題に尽力した元・米副大統領のアル・ゴア氏と、「国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」がノーベル平和賞を受賞。温暖化を中心に地球環境への関心が世界的に高まったタイミングと一致したこともあって、翌2008年6月、「温暖化 G8リーダーへの提言」をテーマにした「地球環境シンポジウム」を2日間にわたって開催しました。
当時の福田首相をはじめ、昨年デンマークで開かれた第15回気候変動枠組条約締約国会議(COP15)で議長を務めたコニー・ヘデゴー氏、米テキサス大学の公共政策大学院長で、現在は国務省の副長官を務めるスタインバーグ氏ら国内外の政策担当者、企業トップ、有識者が参加。3つのテーマで分科会も行いました。
2009年は「朝日地球環境フォーラム2009」と名前を変え、9月7日と8日に開催しました。直前の8月30日にあった総選挙で民主党が圧勝し、首相就任が決まっていた鳩山由紀夫民主党代表が駆けつけ、注目度が一気に高まりました。さらに、鳩山代表はオープニングスピーチで「2020年までに日本の温室効果ガス排出量 を1990年比で25%削減」と決意表明、国内はもとより世界的にもトップニュースとして報じられたこともあって、環境フォーラムは成功裏に終わりました。
第3回にあたる2010年は、9月13日と14日、「水と緑と太陽と」をテーマに、世界の水問題について取り組みました。あいにく民主党の代表選とぶつかってしまったため、出席を予定しながら不参加になってしまった政府関係者もいましたが、アレキサンダー・オランダ皇太子が基調講演を行うなど、非常に華やかな雰囲気の中で幕を開けることができました。分科会も、前年の6セッションから9セッションへと増え、活発な討論が繰り広げられました。
さらに今年は、東京での環境フォーラム閉幕の翌日、名古屋本社が中心となって国際シンポジウム「国際生物多様性フォーラム~いきものの恵みを考える」を開催しています。名古屋での「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」に先駆けて開催したイベントで、環境フォーラムの分科会にパネリストとして参加した、NGO「コンサベーション・インターナショナル」会長のラッセル・ミッターマイヤー氏が名古屋フォーラムでも基調講演を行うなど、東京の環境フォーラムと連動させることができました。編集と広告、東京本社と名古屋本社と、本社や部局の壁を越えて横断的に取り組めたことは、大きな収穫ととらえています。
――第2回から協賛企業を募っての開催となりました。その経緯と成果は。
第1回は朝日新聞130周年の記念事業の一環でしたが、第2回から事業としての継続性を考える必要が出てきました。当初から、環境についての取り組みを進める上で企業の参加は欠かせないと考えていました。そうしたアイデアを発展させる形で、広告局が中心となり「企業協賛」の形に至ったのです。
しかし、企業に協賛費を出していただくことに関しては難しい側面もあります。新聞では、編集記事と広告とが適正な距離を保たなければなりません。記事に登場する企業と記事下の広告を出稿する企業が同じでは、編集特集なのか広告特集なのかわからなくなってしまう懸念が生じます。また、企業の方に講演してもらった場合、それが「宣伝色」の強いものだったりすると逆効果になりかねませんし、このイベントにはふさわしくありません。というわけで、さまざまな工夫が必要でした。しかし結果としては、国内の主要企業に協賛していただくことができ、紙面も非常にいい形で作ることができたと手応えを感じています。また、協賛企業の方の講演も、「環境と企業」についてのケーススタディーの紹介といった位置づけで語っていただき、来場者からは「非常に勉強になった」と好評でした。今後も企業の方々が経営の中における環境を語る場にしていけたら、と考えています。
次世代の環境問題の担い手である若い人たちの参加促進が課題
――これまでの環境フォーラムで見えてきた課題は。
今回、2日間で来場者はのべ3,035人、実質は2千人を超え、公募による参加者と、主に企業で環境を担当している方々や大学や政府での環境の専門家などの招待者が、ほぼ半々という内訳でした。公募は新聞読者が中心です。開催したのが平日の昼間なので、仕事をリタイアされた60代以上の層が多くなりました。一方、企業担当者は40~50代が中心でした。しかし、環境問題は30年後、50年後のことを考えているわけですので、これからの社会を担っていく20代、30代の若い世代に参加してもらうことが重要です。今回も、水問題を勉強するサークル活動をしている若い人たちなどにも参加を呼びかけてみました。ただ、学生は授業やアルバイトに忙しく、企業も若手社員が仕事と直接関係のない用事で社外に出ることが難しくなっているようです。今後も企業や大学への啓蒙(けいもう)活動を通じて、環境フォーラムへの理解を深めてもらうなど、対策を講じる必要があると考えています。来年以降の大きな課題のひとつです。
もうひとつ考えているのが、協賛企業とのコミュニケーションです。第2回、第3回と続けて協賛してくださっている企業も多く、先方にも朝日新聞と一緒に環境問題を考えていきたいという思いの方が少なくないようです。環境フォーラムに対する感想、評価、提案、もちろん苦言なども含め、ご意見をうかがい、次回以降の企画や運営に生かせたらと考えています。
――今後の展望について聞かせてください。
回を追うごとに規模を拡大してきましたが、来年以降、日数や会場、分科会の数、そして協賛企業数をどうするのかは、まさにこれから議論を重ねていくところです。また、分科会のテーマや登壇者についても、これまでにないジャンル、意外性のある人などを発掘していきたい。この環境フォーラムでしか聞けないアイデアや視点が得られる場にしていくことが肝要だと思っています。
そのためにも、社内のさまざまな部署、事業との連動性をさらに高めていきたい。それぞれが知恵を出し合い、それぞれが持つ社外のネットワークを活用することで、これまで以上におもしろい環境フォーラムにできるはずと自負しています。いずれにしても、一過性のお祭りで終わらせるのではなく、全社を挙げて継続していくことが何より大切だと感じています。
朝日新聞社フォーラム事務局 マネジャー
1975年一橋大学法学部を卒業し、朝日新聞社に入る。静岡、福島支局を経て、81年から東京本社経済部。主に証券市場の報道にあたる。86年から約3年間、ニューヨーク特派員として米国経済を担当し、株の大暴落「ブラックマンデー」や日米貿易摩擦を最前線で取材。西部経済部次長などを歴任し、96年から論説委員。2004年に論説副主幹。07年にジャーナリスト学校事務局長に転じ、同年10月から環境プロジェクトリーダー。組織変更を経て、現在は企画事業担当補佐、フォーラム事務局マネジャー。