個人が自由に本を楽しむ、おおらかな「国民読書年」運動に

 昨年11月、文字・活字文化推進機構は2010年の「国民読書年」に向け、各界の代表者をメンバーに迎えた国民読書年推進会議を発足。社会と広く連携をとり、市民レベルでの読書活動をより推進していく。日本ペンクラブ会長であり、文字・活字文化推進機構の副会長を務める阿刀田高氏に、国民読書年に向けての抱負や出版界の現状などを聞いた。

本はささやかな美術品、この機会に贈り合う習慣を

作家 文字・活字文化推進機構副会長 日本ペンクラブ会長  阿刀田高氏 作家 文字・活字文化推進機構副会長 日本ペンクラブ会長  阿刀田高氏

――「2010年国民読書年」の国会決議は、文字・活字文化推進機構が発足以来、採択を働きかけてきた経緯があります。来年はどのような取り組みを予定していますか。

 今年になって政治状況が大きく変化したこともあり、具体的な輪郭が明らかになるのはもう少し先になりました。その中で機構として今考えているのは、今年10月から第1回を実施する「言語力検定」の普及を活発化させていくことです。「言語力検定」は、断片的に言葉の意味を問う試験ではなく、全体の文脈の中で日本語を理解しているかなど、大きな意味での読解力や言葉力を測定するものです。設問は○×式だけではなく、自由記述問題を多く取り入れ、採点方法についても言葉の専門家が「読む力・書く力・考える力・伝える力」という4つの基礎的な力をきちんと評価する仕組みを作りました。

 「言語力検定」には、3つのレベルがありますが、現在の応募状況を見ますと小中学生の参加が多く、高校生以上がまだ少ないようです。受験勉強や普段の仕事で忙しいという事情もあると思いますが、コミュニケーション力や論理的な思考力が求められる大人たちにこそ、言葉の力を養ってほしいと思っています。今後は自治体レベルでの参加を呼びかけたり、就職の際に評価される資格として認知されるよう経済界にも働きかけたりしていきます。

――国民読書年推進会議には、出版・新聞事業者のみならず、放送、教育、実業界など各界の代表者が参加しています。社会全体を巻き込む運動として期待していることは。

 実は私は、そもそも読書というものは、人に薦められたり組織化されたりしてやるものではないような気がしています。今の時代は遊び感覚がないと運動が大衆に広がりませんし、押し付けは反発も生むでしょう。まずは、一人ひとりが自由に読書を楽しむ大きな呼びかけをしたいと思っています。

 個人的に考えているのは、親しい人同士で本を贈り合う習慣を広げていくことです。本というのは、ささやかな美術品だと私は思います。活字のバランス、装丁、インクの色、綴(と)じ方にまで心が配されていて、精密な細工ものを手にしたような喜びがあります。それでいて、決して高価なものではありません。贈り物にすれば、作品を通じて自分の思いを伝えることもできますし、相手のことを考えて選ぶ楽しみも生まれます。心を伝えるものとしての付加価値をどう高めていくか、出版界全体でよい知恵を出せればいいと考えているところです。

 また本に出会うチャンスを広げるという意味では、図書館の役割も重要です。これは国民読書年の1年でできることではありませんが、地道にソフト面を充実させていくことが大切です。日本の文化政策は、建物などハードは立派でもソフトが遅れているとよく言われますが、例えば浦安市立図書館のように、高い専門性を持つすばらしい司書がそろうところもあります。図書館というと時間をつぶしに来る場所というイメージがありますが、浦安の場合、館長さん以下の努力により、来館者の約半数は仕事の調査など具体的な必要があって訪れる方だそうです。これは図書館の存在意義をはっきりと示してくれています。

ネットの簡便さの一方にある、品質と情報格差の問題

――出版界をとりまく現状や課題の中で、特にいま関心を持っていることは。

 今の読書の問題は、紙と活字ではない、新しい情報メディアの急速な発達にどう対処するかという問題でもあります。電子機器というのは、情報を検索するようなレファレンスブック的な使い方なら的確ですが、文学作品などを読むのには向いていないと私は思います。「それはお前が本や新聞で育っただけのことだ」という反論もあるかもしれませんが、液晶画面で見る文字と紙で印刷した活字では、私たちの認識は微妙に違います。

 世代論はさておいても、電子メディアには、「使い方が恒久的ではない」という問題があります。日本には文庫本というすばらしい発明品がありますが、これはポケットに入れて持ち歩いても、寝ころんで読んでもよし。あの簡便さは、文字を読む時の私たちの生理とどこかでリンクしています。一方、多機能化した最近の携帯電話で、私がきちんと使える機能は全体の2割ぐらいでしょうか。使い方を習得できない人が少なからずいる機械が文字メディアの主流になれば、万人に開かれているべき情報に格差が生じます。

 また、ウィキペディアやブログなどの情報は、自分で吟味しないと利用しにくい面があります。平凡社の百科事典であれば、隅から隅まであるレベルの品質が一定しています。「ネットは情報を簡便に得られる」とはいえ、信頼性のチェックは自分がしなくてはなりませんし、情報操作も行われやすくなりました。便利さの一方で、失われていくものは何かを冷静に見ることも大切です。

――日本ペンクラブでは、グーグルが書籍全文のデジタルデータ化を進める「Googleブック検索」について抗議声明を発表し、今年8月にはクラブ有志が米国内の対グーグル訴訟和解案について異議を申し立てました。

 この問題はグーグル側も落としどころに迷っているようですが、当初グーグルが持ち出したことは、日本をはじめ世界各国の従来の商習慣や著作権保護の考え方に反するものでした。ネット社会を前提とした新しい著作権の考え方の構築は必要だと私も思いますが、その議論を尽くす前に、強力な力でデジタルデータ化が推し進められてしまうと、著作権という考え方自体が危機に陥るおそれがあります。

 特に問題は、「情報を多くの人が公正に利用できるのが正義」という考え方に基づく、アメリカ的なフェアユースの考え方です。はたしてこれが、世界の基準と見なされてよいのかということです。また、みんなの利益のためとはいっても、事実上グーグルという私企業がネット上の書籍情報を独占する点にも危険が伴います。大きな時代の波の中で私たちに何ができるかは分かりませんが、今後も言うべきことは言わなくてはなりません。

――出版界が今後、活性化していくためには何が必要だと思われますか。

 紙で読むのか、IT的なツールを利用するかはともかく、文章を読みそれを咀嚼(そしゃく)する「読書的な営み」が人間の知性を高めていくということを信じ、それを訴え続けることですね。日本人は今でも読書好きの民族だと思いますし、それを支える識字率は世界一でしょう。他国のことはいざ知らず、資源の乏しい日本では、読書という文化手段を国民的に活用することによって、豊かな知性を培ってきた歴史があります。

 また書き手の立場から言いますと、書くという行為は思索を必要とすると同時に、責任を常に伴います。そこから生まれる信頼感が私たちのコミュニケーションの大切な部分を支えていることを、社会に改めて感じてもらうことが必要かもしれません。話すことは消えていくもので、総理大臣の発言ですら1年もすれば忘れられます。ところが、書いた文章は何十年たってもそのまま残るのです。大切なことは紙に書く。書けば残るからこそ、そこに責任が生じ、読む側も尊重するわけです。

古典を楽しむための、2つのポイント

作家 文字・活字文化推進機構副会長 日本ペンクラブ会長  阿刀田高氏 作家 文字・活字文化推進機構副会長 日本ペンクラブ会長  阿刀田高氏

――作家としては、古典を題材にした作品を数多く手がけられていますが、古典の魅力とは何でしょう。

 古典には「普遍的な価値」が備わっているものですが、「読む」ポイントは2つあります。ひとつは、現代人にはなじみのない、昔の言葉を理解する力が必要だということ。もうひとつは、当時の内容を、自分の頭で今日的な意味に置き換える力が必要だということです。つまり文章的な読解力と、現代の視点をもった内容的な理解力という、二重の意味で教養が必要であり、これは今の若い人が少々不得手なのではないかと思います。

 日本人は千年前と同じ文字を使い、そう変わらない言葉を話す、世界でもまれな民族です。例えば、千年前の源氏物語の冒頭、「いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひ給ひける中に」は、原文のままでもある程度、理解することができます。あるいは清少納言が使った「をかし」と、私たちが使う「おかしい」は、言葉として同じルーツを持ちます。両者が持つ意味の重なり合う部分と異なる部分の中に、文化の変遷と共に言葉がたどった歴史の豊かさを感じることができるのは、日本人ならではの喜びです。

 古典を題材にした私の作品は、自分が楽しんだ古典を易しくかみ砕いて紹介することで、皆さんの役に立てるのでは、といった気持ちで書いています。ただ、楽しんでもらえるのはうれしいですが、私の本を読むだけで古典のすべてが理解できるわけではありません。実際、コーランや旧約聖書は、通勤電車の中で気軽に読めるようなものではないですし・・・・・・。古典の魅力は、過去を学ぶだけではなく、移り行くものの中に現代にも通用する考え方を発見できるところにある、と感じてもらえればありがたいですね。

――若い世代の作家に伝えたいメッセージはありますか。

 小説というのは、人間や世界の存在を問うて哲学的に描く作品があってもいいし、とにかく、はちゃめちゃに面白いという作品があってもいいんです。しかし、小説の王道は、その2つの要素を備えているものであるべきだと考えます。漱石や谷崎が読み継がれているのは、人間が描かれていて、かつ面白いからです。ところが今は、文学を純文学とエンターテインメントの大きく2つに分ける考え方が定着しています。私はこのことが文学の発展や、若い才能の大成を阻んでいるような気がしてなりません。

 純文学とエンターテインメントの本質的な違いを答えられる人は、おそらく一人もいないでしょう。しかし事実上、2つの市場があるとすれば、若い人の多くは市場性の高いエンターテインメントを志向します。ただし、成熟した大人が読んで楽しめる作品というのは、作家自身が社会的経験を積み、人間として成熟しないと書けないものです。一方、純文学は自分の人生の周辺を克明に見ることによって、ひとつの世界を書くことができます。優れた才能なら20代でもデビューができますが、「読んで面白い」という小説の本質がともするとないがしろになります。この構造は私たちの責任でもあるわけですが、面白くない小説というのは大切なものが欠落しているということは申し上げたいですね。小説の大通りを歩む作家の登場を期待します。

新聞を読む、そのことが良質な読書習慣の一部です

――朝日新聞「どくしょ応援団」の秋の応援団長としてご協力いただいていますが、特に若い世代に向けた読書推進活動について、日ごろから感じられていることはありますか。

 私は作文コンクールの審査員を時折引き受けますが、自分自身は読書感想文が書くのがとても苦手でした。夢中で読んで、ただ面白かったというだけでも立派な読書です。もちろん子どもたちには、読み聞かせや朝の読書がよい習慣づけになっていると思いますが、読書を型にはめず、自由に本を楽しめるような環境づくりが大切だと思います。

 朝日新聞社では、作家が学校を訪問して出前授業を行う「オーサー・ビジット」など読書に関するさまざまな取り組みを行っています。記事の中でも、いろいろな本にきめ細かく目を配り、良書を紹介していますが、そうした活動を今後も継続していくことが新聞の大きな役割だと思います。とはいえ、新聞を読むということ自体、すでに立派な読書であるとも言えます。良質な記事に日々触れるのは、若い世代にとっても読書習慣を形成する大切な一部でしょう。ただし、新聞が全国民をあまねくカバーすることに意義があったかつてとは時代が変わり、さまざまな情報手段が登場している中で、今の新聞の「大きさ」が時代にフィットしているかという点は、少し気になるところです。

――新聞に掲載される出版広告について、どのように読まれていますか。

 私は一般の読者とは違い、仕事柄、気になる本はすべて買うようにしています。ですから、新聞の出版広告は大切な情報源です。

 なかでもすばらしいと思うのが、朝刊一面の記事下が出版広告だということです。世界の新聞で、一面の下がいつも本の広告だというのは聞いたことがありません。これは日本人が本を愛している証拠だと思いますし、「一面に出版広告があるのが一流新聞」だと、多くの日本人は思っているでしょう。大きな広告やカラー広告には出版社の意気込みを感じますが、一方で小さな出版社のサンヤツ広告が一面に誇らしく載っているのは、新聞社の見識だと思いますし、一読者として気持ちがいいものです。

――最後に、来年東京で開催される国際ペンクラプの総会についてご紹介ください。

 2010年の9月下旬から10月にかけて、東京で「国際ペン東京大会2010」が開催されます。国際ペン大会が東京で開催されるのは25年ぶり、今回が3回目になります。今回は「文学と環境」をテーマに世界から多くの文学者を招き、世界的なイベントを開きます。

 この大会は「年次総会」と「文学フォーラム」、大きく2つで構成されます。「年次総会」は、加盟クラブによるミニ国連のようなものですが、「文学フォーラム」については市民にも開かれた内容のさまざまな文学セッションを開きます。著名な作家による講演だけではなく、シンポジウムや朗読会、映像や芸能、パフォーマンスを使った催しなど、アイデアをいろいろと練っているところです。

 また、この大会を多くの方々を巻き込んだイベントにする一環として、この1年間に日本ペンクラブの会員が出版する書籍の帯に、大会マークを入れてもらうよう各方面に働きかけています。出版界やその関係者のためだけの催しではなく、一般の方々の本や文学への関心を広げ、深める、そんな新しい形の総会にしたいと思っています。

阿刀田 高(あとうだ・たかし)

作家 文字・活字文化推進機構副会長 日本ペンクラブ会長

1935年、東京都生まれ。1979年、『来訪者』で第32回日本推理作家協会賞、『ナポレオン狂』で第81回直木賞を受賞。1995年には、『新トロイア物語』で第29回吉川英治文学賞を受賞。2007年から日本ペンクラブ会長を務める。