スポーツマーケティングにおける顧客との関係の多面的な深化

 スポーツマーケティングに注目が高まる中、コンテンツとしてのスポーツの価値やスポーツ支援を通じた企業コミュニケーションのあり方を、どのようにとらえるか。電通社員としてワールドカップやトヨタカップに深く携わり、スポーツビジネスに関する豊富な知見からJリーグの経営にも助言を行ってきた、スポーツ総合研究所代表取締役所長の広瀬一郎氏にうかがった。

スポーツイベントは時間消費型娯楽に

広瀬一郎氏 広瀬一郎氏

── スポーツマーケティングにおける最近の話題や世界の動向を、まずお聞かせください。

 経済のグローバル化を背景に、現在のスポーツイベントは「ディズニーランド現象」と呼べるような、コンテンツ自身の変化が進んでいます。その是非の評価は後世に委ねますが、熱狂の中にあった無秩序や毒気が抜かれ、子供や女性も安全かつ快適に楽しめる、エンターテインメント産業の色合いが強まりました。

 例えば2006年のドイツワールドカップでは、ゲーム中以外のほとんどの時間、スタジアムには軽快な音楽が大音量で絶えず流れていました。これにはビジネス的に二つの理由があります。ひとつはカタルシスを提供する演出、もうひとつは観客の突発的な興奮のリスクマネジメントです。

 またそれは、スポーツイベントがスタジアムにいる全時間を楽しんでもらう、時間消費型の娯楽に変質したことも意味していると思います。その先駆的な例が、サッカーのプレミアリーグでしょう。高額なチケットの対価として、質の高いゲームの提供のみならずアメニティー面でも満足度を高め、かつては殺伐としていた競技場を居心地のいい空間にしました。

── 国内スポーツの動きはいかがですか。

 ひとつ注目しているのは、これからのJ リーグのアジア戦略です。特にグローバル企業をスポンサーに持つクラブが、AFC(アジア)チャンピオンズリーグの価値に気づきはじめました。

 例えばガンバ大阪がAFCに出場すれば、パナソニックがアジア戦略の広告予算を投下するかもしれません。マーチャンダイジングやテレビ放映権でガンバ自身の収益性を高めることは時間がかかっても、既存スポンサーの中で予算を拡大し、企業にメリットを提示することはすぐできます。そのためには、AFCのステータスを上げる努力をJリーグや協会が行うことが条件です。

人を無防備にするスポーツの力

── お話をうかがうと、スポーツビジネスに求められているのは勝利だけでなく、チームやイベントの価値をグローバルな視点で最大化できる経営能力のようです。

 そこで問題は、ヘディングの強かった人間が、ビジネスに強いわけでないということなのです。優れた経営手腕を持つ人材を外から迎えるなり、内部で育てるなり、GMをどうやって養成するか。これが重要なテーマですね。ちなみに現在のマンチェスター・ユナイテッドのマーケティング本部長は、イギリスでナンバーワンの広告会社の元CEOが務めています。

── スポーツを通じた企業のマーケティング活動については、どのようなご意見をお持ちですか。

 スポーツに企業が協賛する場合、スポーツ自体の価値を企業が理解していなければなりません。例えばスポーツの場で、なぜ、たばこやアルコールの広告が制限されているか。インパクトが強いからです。スポーツは露出量や視聴率では計り得ない、量を超えた質的な影響力を持ち得ます。

 要するにスポーツに接している時、人は無防備になり、我を忘れるということです。人々が理性よりも感情につかさどられている時、どのようなメッセージをどう送り出せば効果的か。どこまで企業がそこに自覚的でしょうか。

 そこを突き詰めれば、スポーツを使った広告が、マーケティング的にいえばブランディングやCSRの色彩を持つということに気づくはずです。環境、コンプライアンス、あるいは地域貢献といった大きなテーマで、説明を超えたエモーショナルなインパクトを社会に与えたい場合、スポーツの場は効果を持ち得ると思います。

── イベント協賛やチームスポンサードなどとは異なる、新しいビジネスの可能性については。

 今の物販にとって何が勝負かといえば、顧客の獲得です。顧客とは誰のことか。リピーターでしょう。例えばあるブランドのリピーターが欲しいとするなら、街で探すよりも、千葉マリンスタジアムに店舗展開すれば、毎試合何万人と集まる千葉ロッテファンが顧客になってくれるかもしれません。

 スポーツビジネスには、スポーツそのものだけではなく、スポーツがハブになって生まれるビジネスがあります。リピーターの属性を分析すれば、何に興味を持ち、どんな消費をするかが把握できる。マーケティング的にいえば、CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)です。ですからメジャーリーグのスタジアムには、結婚式場のあっせん所があるんですよ。

 千葉ロッテはCRMをやったわけです。例えばグッズが売れる二つの山、試合前と試合後のお客の属性を調べてみると、試合前はリピーター、試合後は初めてスタジアムに来た人が多いことが分かりました。ならば新作グッズは試合前に、旧作の在庫品は試合後に並べた方が効率的だと考え、実際売り上げを伸ばしました。

マネジメントには成果の定義が必要

── 新聞社は地域に密着した販売網や固定顧客を持っています。メディアが地域スポーツとつながることによって、ビジネスのハブになれるでしょうか。

 その可能性はあると思います。ただし、メディアと地域スポーツの両者の間にウイン─ウインの関係があり、なおかつ単独でやるより効率がいいという戦略があっての話です。

 スポーツを軸に地域振興を考えている自治体の方にもよくお話しするのですが、マネジメントには目的と成果の定義が必要です。豊かな生活を送るのが成果だとするなら、「豊かさ」とは何でしょう。元気なお年寄りが増えて医療費予算が他の財政に回せることなのか。地域における世代間のコミュニケーションがよくなり、少年犯罪の発生率が低くなることなのか。

 定義が明確化されれば、スポーツはきっと役に立つでしょう。しかし、それはやり方次第です。

── スポーツを提供する側にも、それと組もうとしている側にも、戦略が求められているわけですね。

 市民スポーツや地域クラブに、自治体あるいは企業、マスメディアの関心が集まっている中で、ひとつ指摘しておきたいことがあります。それは「公」と「公共性」を混同してはいけないということです。公共性とは役所が決めるものではなく、個人を基本単位として形成されるものです。個人の欲求を実現したい時、共通項を探して組織で対応したほうが効率的だというところに公共性は生まれます。

 そこにはひとつの正解があるのではなく、重要な問題ほど個人が主体となって模索し、何が公共性かを選択しなくてはいけません。ところが日本では、「個人」が成熟していないわけです。あるいは個人よりも組織の和で動いた方がうまくいった時代が長く続き、時代の変化に対応できていないといったほうがいいかもしれません。

 少年スポーツの現場では、不利な状況でもシュートして自分で点を決めようとする子供に、「なぜパスを出さない」と指導者が注意する集団主義がいまだに横行しています。そんな教育の現場から変えていかなければ、日本に個人は育たないし、個人を単位とする真の公共性も生まれません。非常に大きなテーマですが、スポーツとの有効な関係を求める企業やメディアは、そのことに意識的であってほしいと思います。

広瀬一郎(ひろせ・いちろう)

スポーツ総合研究所代表取締役所長

東京大学法学部卒業。1984年、電通入社。ワールドカップやトヨタカップなど、サッカーを中心とした団体スポーツのイベントを多数プロデュース。02年に電通を退社後、独立行政法人経済産業研究所(RIETI)上席研究員を経て、スポーツ総合研究所を設立。現在は、江戸川大学社会学部教授のほか、講演、執筆活動など幅広く活躍中。『「Jリーグ」のマネジメント』(東洋経済新報社)など、スポーツマーケティングに関する著書多数