考える力を育む教育は長期的に取り組んでこそ

 ゆとり教育への賛否や学力の低下が国会でも論じられるなど、教育は現代ニッポンが抱える大きな課題だ。教育問題にも取り組むジャーナリストの池上彰氏にお話をうかがった。

戦後迷走し続ける日本の教育

池上 彰氏 池上 彰氏

── 日本の教育を取り巻く現状を、どのようにご覧になっていますか。

 「ゆとり教育」と「総合的な学習の時間」が、ごっちゃになって批判されているという印象を持っています。学力の低下がまことしやかに言われ、それは「ゆとり教育のために授業時間数を減らしたことや、総合的な学習の時間が増えたせいだ。やめてしまえ」という論調です。

 日本の児童や生徒の学力は本当に低下したのでしょうか。「学力低下」の根拠は、OECD(経済協力開発機構)が実施した国際学力到達度調査(通称PISA)によるものです。私はこの調査でトップに輝いたフィンランドに実際に足を運び、教育の現場を見てきましたが、フィンランドでは、日本がやろうとしていた総合的な学習の時間を、授業に多く取り入れていました。それを長年続けたことで、国際的に評価されたのです。ところが日本では、調査結果だけを見て、学力が低下した、総合的な学習なんてやっている場合じゃない……と論じられている。これは、とても不思議だし、不幸な現象です。

 そもそもOECDが、なぜこの調査を始めたのか。OECDは、インドや中国などがめざましく発展しているのを見て、今後自分たちの発展のためには、ただ単にものを作ればいいのではなく、どんなものを作るべきかを発想する能力が必要だと考えました。調査は、問題を設定したり、何が問題なのかを自分で考え出したりできる学力が子どもたちにあるかを知るために始まったものです。言うまでもなく、日本の暗記した知識だけを問うテストとはまったく別物です。単に知識を詰め込む授業を受けていたのでは、解くことができないでしょう。総合的な学習は本来、考える力を身につける目的で始まったわけですから、その時間が減れば、OECDが求める学力が身につかない方向に行ってしまうかもしれません。

── OECDの求める「学力」と、日本人の多くが考える「学力」が違う、ということですね。ならば総合的な学習の時間を減らすのは、本末転倒なのでは。

 その通りです。実は、日本の教育は戦後ずっと、迷走を続けています。簡単に振り返ってみると、敗戦を受け、これからは自分でものを考えられる力を身につけなければ、と社会科が生まれました。ところが東西冷戦期、当時のソ連が世界で初めて人工衛星の打ち上げに成功すると、アメリカも日本も「もっと理科の力をつけなければ」と教える内容を一気に増やした。そして詰め込み教育を進めた結果、中学校では授業放棄や校内暴力が増え、それを無理やり押さえ込もうとしたら、不登校やいじめが爆発的に増加しました。すると今度は「詰め込み教育がいけない」と、ゆとり学習が声高に叫ばれ、学校5日制になり、総合的な学習の時間が始まったのです 。

1/31 朝刊 「オーサー・ビジット・プロジェクト」採録紙面 1/31 朝刊 「オーサー・ビジット・プロジェクト」採録紙面

 そして今、そのせいで学力が低下したと、また詰め込みに戻ろうとしている。総合的な学習の効果が期待できるのはまだ先の話で、時間がかかります。OECDが求めるような学力テストを今の日本の子どもたちが解けないのは仕方がないことなのに、「学力が低下している。総合的な学習の時間がけしからん」といった極めて短絡的な発想になってしまっている。

 さらに、総合的な学習が批判される原因となっているのが、「教師」です。総合的な学習の時間は何をしてもいい、となったときに、言われたことだけをやればいいと教えられてきた教師たちは、何をしたらいいのか途方にくれてしまうという事態が起きました。また、日本の先生たちは、親の対応、部活の顧問、文科省や教育委員会から出される報告書の作成など雑用が多すぎる。フィンランドでは、極端なことを言えば教師は授業だけすればいい。教師にゆとりがある分、授業の内容や教材についてしっかりと考えることができるのです。授業時間はむしろ日本より少ないけれど、授業の内容は充実している。だから短時間でも子どもの学力が上がる良い循環ができているのです。日本でもいわゆる名門と言われる中高一貫校も同じで、それが人気に拍車をかけ、「お受験」を白熱させる要因になっているのかもしれません。

新聞を読む習慣で読解力が身につく

── 教育という視点から、新聞に期待する役割は。

 朝日新聞にも載っていましたが、「読解力のある子は成績もいい」という文科省の学力調査結果があります。読解力がないと、国語だけでなく、ほかの教科も、教科書の内容やテストの設問を読み解くことができない。学力の一番の基礎である読解力は、活字に親しみ、ものを読むことで身につきます。新聞を購読する家庭では、子どもも小さいころから新聞を読む習慣ができます。そういった意味では、学力向上に新聞は大きな役割を担っていると考えています。

 最近は、新聞をとらずにニュースをインターネットで見る人も増えていますが、ネットは見出しだけを見て、ただ事実を知っただけで終わってしまいがちです。それに対して新聞は、見出しで気になれば、同じ場所に詳しい解説や分析もある。たとえば、「福田内閣の支持率が低迷」というニュースも、新聞なら支持率がなぜ低迷し、人々が今の内閣の何に不満を感じ、何を評価しているかも書かれていて、より深く理解することができる。じっくりと読むことで、表面的な見方ではなく、深く、多角的に見る力をつけられるのです。

 だからこそ、子どもには小さいころから新聞を読む習慣をつけさせてあげるといい。毎日読むことで、いい文章、読まれる文章はどんな組み立てになっているのか、知らず知らずのうちに身につくものです。小さいころには読めそうな文章だけを、小学校高学年になったら読んでおもしろいと思った文章をスクラップ。中学生になったら、 どうしておもしろいと感じたか考える。高校生になったら原稿用紙に書き写してみる。こうすることで、ものを書く力がみるみるついて、受験の小論文や記述式のテストでも力を発揮できる。そうして身についた文章力や読解力は、社会人になったときにも必ず役に立ちます。新聞は、読む人の年代や置かれた状況、レベルによって、いくらでも学ぶことができる万能な教材なのではないでしょうか。

── 朝日新聞社でも教育分野でさまざまな取り組みをしています。注目しているものはありますか。

 日曜「be」の「DO科学」などはおもしろいですね。最先端の科学はニュースになり、新聞にはその解説が必ず載っているので、読解力だけでなく、理科の力をつけることもできるんですね。

 作家が全国の学校を訪ねて授業をする「オーサー・ビジット」は、「先生」たちが一体どんな授業をするのか楽しみ。これこそまさに総合的な学習です。学習指導要領に載っている内容ではないけれど、学ぶことっておもしろい、本を読むことって楽しい、と感じるきっかけ作りになると思います。現場の教師にとっては、総合的な学習で何をしたらいいのか、ヒントがたくさん詰まった宝庫。教材として、情報源として、新聞をもっと活用し、教師自身も考える力、創造する力を養ってほしいですね。

池上 彰(いけがみ・あきら)

ジャーナリスト

1973年NHK入局。松江放送局、報道局社会部、首都圏向けニュース番組のキャスターなどを経て、1994年からNHK「週刊こどもニュース」のメーン司会として出演。2005年に退職して独立。主な著書に、「池上彰の『世界がわかる!』―国際ニュースななめ読み」(小学館)、「そうだったのか!ニュース世界地図2008」(集英社)ほか多数