新聞広告の現状と未来を、広告・マーケティング研究の第一線にいる専門家はどう見ているのか。日本広告学会の理事を務める、専修大学経営学部教授の石崎徹氏にうかがった。
ごまかしの表現が通用しない媒体
――新聞広告の一番の魅力とは。
一消費者としては、信頼性が高く、「ほどほど」の情報がとれることだと思います。テレビは認知レベルの情報発信に強く、より詳しく調べるのならネットがあります。新聞はそのちょうど中間的な表現がしやすく、それをうまく利用できれば、新聞広告の魅力になると思います。
――新聞広告が持つ機能や役割は変化しているでしょうか。
ネット上での情報氾濫(はんらん)によって、新聞の持つ信頼性がかえって鮮明になりました。ニュースを読むだけならネットでもいいのかもしれませんが、記事の論調や内容の深さといった新聞を読む楽しみは、むしろ増していると思います。
広告の世界も同様で、情報を詳しく調べるということだけなら、ネット検索にかないません。ただ、広告の機能はそれだけではなくて、広告そのものを楽しむとか、「どの新聞に、どんな広告がでているか」ということで、読者とのエンゲージメントを生む相乗効果もあります。
――新聞広告に元気がないという声が聞かれますが。
そうでしょうか。個人的に私は、いまの新聞広告は表現面でテレビCMよりずっといい傾向にあると思っています。というのは、いまのテレビCMはネット検索への誘導に頼り過ぎているからです。新聞にもネットへ誘導する広告が多々ありますが、新聞広告は表現面で逃げられません。15段なら15段をきっちり使わないと、ごまかしが読者にばれてしまいます。クリエーターもそれは認識していますから、「与えられたスペースに何をぶつけるか」という、キャンバス的な表現への真剣さが新聞広告には生まれていると思います。
もっと新聞広告に自由と楽しさを
――新聞広告の未来に向けて、新聞社がすべきことは。
新聞広告がキャンバスなら、新聞は展覧会場です。新聞広告は何もない場所に置かれているわけではなく、さまざまな記事や広告で形成された新聞という背景を持っています。それも一般的な案内型のお知らせ広告と、間違いなく広告賞をとるなという力の入った広告が、ナチュラルな形で共存していて、その迫力はテレビCMにはないものです。
新聞広告に必要なのは、個々のキャンバスを全体の中で引き立てる、学芸員的な発想だと私は思います。つまりどういう広告をどういう順番で、どんな形で掲載すれば、個々と全体が相乗広告を持ち得るかということです。
――掲載面の配慮や変形スペースなど、そういった試みの一部は進んでいますが。
まだ自由度が足りないと思いますね。ジャーナリズムとして守るべき部分はあると思いますが、メディアというのは楽しさがないと、人々にアピールできません。いま若者が活字離れをしているかといえば、マンガなどは読んでいるので、広い意味ではそうとも言えない。それは見ていて楽しいからでしょう。広告に楽しさがあれば新聞紙面がにぎやかになり、にぎやかさは人を引きつけます。
――先生のご研究などから、新聞広告の新しい価値や可能性につながるご提言はありますか。
例えば旅行のガイドブックは、行く前はいくら読んでも漠然としか情報が頭に入ってこないものですが、旅先から帰ってきた後で読み返すと、内容がよくわかるものです。新聞広告にも同じ効果があって、自分が買ったブランドをよく知りたいとか、買ったことを正当化したいという場合に、効果的なのではないかということが、研究から徐々にわかってきています。
もう一点、ネットへの接触の高いユーザーは、他のメディアの接触も低くないということもわかってきています。ただし、テレビを見てキーワードを覚え、パソコンの前でその記憶を活性化して検索するという人は、ほとんどいないのではないでしょうか。ところが新聞広告であれば、キーワードやURLを打ち込むというのは、一連の行動として自然にできることです。
――最後に新聞広告の未来に向けてメッセージをお願いします。
これは我々の課題でもありますが、これまで申し上げたような新聞広告の新しい使い方や効果を、どう広告主に提示してあげられるのかというのが、重要なテーマです。また広告主側にも、広告を正当に評価できる人の育成や組織を整えてもらうことがぜひとも必要です。結局これは新聞広告の話だけでなく、広告に対して業界全体がいかにまじめに取り組むかということに、広告の未来がかかっていると思います。
専修大学経営学部教授
専門は、広告論、マーケティング・コミュニケーション論、コーポレート・コミュニケーション論。日本広告学会理事、日本消費者行動研究学会幹事などを務める。主な著書に、『新広告論』(共著、日経広告研究所)など