この4月に日本医師会の会長に就任した横倉義武さん。高齢化にともなう医療費の増大、長引く不況と生産年齢人口の減少などによる公的医療保険の財源の行き詰まり、医療の自由化や国際化など、さまざまな課題に取り組む。今後の抱負などについて聞いた。
──日本医師会の目指す方向性について。
日本医師会は、「継続と改革」「地域から国へ」という大きく2つのスローガンを掲げて活動を開始しました。「継続」の最大の柱は、国民皆保険です。国民すべてが公的医療保険制度に加入し、いつでもどこでも良質な医療を安心して受けられる体制を維持していかなければならないと思っています。
「改革」としては、新しい医療の概念や先進治療を迅速に取り入れること。さらに、かつてない超高齢化社会に対応していくために、どういった医療提供が最善なのかを地域の実情に合わせて検討していく必要があります。災害などがあったときにスピーディーに機動力を発揮できる体制づくりも重要です。
「地域から国へ」というスローガンの根底にあるのは、地域医療の再興です。地域医療は、それぞれの地域で必要とされる医療を適切に提供していく仕組みが求められています。国の方針や計画を都道府県の医療政策に落とし込むのではなく、地域の実態に基づいたニーズを都道府県から国に伝え、個々に医療政策を整備してもらう。そのことによって、国民にとっても医療提供者にとっても望ましい医療体制の構築が実現します。医療体制の構築にあたっては、ITを利用した地域の医療提携なども今後の課題です。
──「医師不足」と言われる問題にどのように対応していますか。
医師不足と言われる要因は2つあって、1つは地域偏在、もう1つは診療科偏在です。地域偏在は、医療機関が集中している都市部にばかり医師が集まってしまうことから起こっています。かといって、「この地域で働いてください」と強制できるものではありません。幸い日本は都道府県すべてに医学部があります。それぞれの大学で地域枠を設け、卒業後も地域に留まる医師を育てる取り組みを進めれば、地域偏在は改善していくと思います。地域医療というのは、実はとてもやりがいのあること。私自身も福岡県の農村で病院を運営していますが、患者さんの病気だけ診るのではなく、暮らしまで把握したケアが必要で、人や社会に貢献できる仕事だといつも思います。そういったことも若い医師希望者に知ってもらう努力をしていきたいですね。
診療科偏在は、具体的には産科と外科の医師が激減しており、今後10年は深刻な状況が続くでしょう。その発端は、06年に福島県立大野病院の産科医が逮捕されたことでした。善意の医療行為が犯罪視されたことで、訴訟リスクの高い産科や外科の診療現場から医師が離れてしまっているのです。この問題については、医療事故調査制度、たとえば医療界、医学会が一体的に組織・運営する第三者機関による医療事故調査を行い、真の原因究明と再発防止に努め、医療現場が萎縮せずに誠実かつ積極的に医療の向上に取り組める体制を整えるべきだと考えます。
──30代前半に2年間ドイツに留学されました。その動機と、ドイツの医療現場と日本の医療現場の違いとして印象深かったことは?
幅広い診療能力を身につけたいとの思いから外科を専攻した私は、大学病院では血管外科を修め、さらに外国で医療経験を積んで技術を高めたいと考え、当時の西ドイツのミュンスター大学の関連病院であるデトモルト病院に留学しました。ドイツの医療現場に身を置いて実感したのは、医師の労働のあり方でした。ドイツの医師は、仕事とプライベートは全く切り離して暮らしていました。開業医は、夏季には1カ月程度の休暇を取ります。その際には、「この期間は休みます。この間に診療を希望する人は、○○先生に連絡してください」という新聞広告を出すんです。日本の医師の一部には、患者さんを別の病院に取られてしまうと心配する人もいるでしょう。けれど私は、医師同士が連携するドイツの開業医のやり方こそ、医師会の原点ではないかと思いました。
──会長として、今後の抱負を聞かせてください。
私は、地方の医療をなんとかしたい、切り捨てられてはならない、との思いで医師会活動を始めました。私の地元には、10軒程度の医療機関があり、月に一度会合を開いて意見交換を行っていました。回を重ねるなかで連携が深まり、予防接種や住民検診のあり方などについて意見を集約して医師会に主張することもありました。個々の医師が何を言っても行政は相手にしてくれない。でも医師会に意見を集約して働きかけると物事が動きました。医師会に参加することの大切さを肌で実感しなければ、今の私はなかったと思います。
日本医師会は、「国民とともに歩む専門家集団としての医師会」を目指し、世界に冠たる国民皆保険の堅持を主軸に、国民の視点に立った多角的な事業を展開し、真に国民に求められる医療体系の実現に向けて努力しています。会長として、こうした活動に尽くしていく覚悟です。
──愛読書は。
天台座主を務めた山田恵諦氏が著した『和して同ぜず 「明るく、楽しく、たくましく」生きる31の知恵』です。「和して同ぜず」とは、人と協調していくが、むやみに同調しないという意味です。医師会の会員のさまざまな主張を聞ながらも一つの方向性を示す。患者さんの声に耳を傾けながらも医師としての責任を全うする。「和して同ぜず」。この言葉を座右の銘としています。
歴史小説も好きで、司馬遼太郎さんの作品はほぼすべて読んでいます。とくに『花神』は、医師・大村益次郎を題材としていることもあって、興味深く読みました。
日本医師会 会長
1944年、福岡県生まれ。69年、久留米大医学部卒。同年4月、久留米大医学部第2外科入局。77年、西ドイツミュンスター大学教育病院デトモルト病院外科留学。80年、久留米大医学部講師(〜83年)。90年、医療法人弘恵会ヨコクラ病院長。97年、同理事長(〜現在)。99年、中央社会保険医療協議会委員(〜02年)。2010年、社会保障審議会医療部会委員(〜12年)。90年、福岡県医理事(〜98年)。92年、大牟田医理事(〜04年)。98年、福岡県医専務理事。02年、同副会長。06年、同会長。10年、日本医師会副会長。12年4月から現職。
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