オーナーと共有したいモータースポーツの高揚感

 ポルシェの昨年の世界新車販売台数は、前年比22%増の11万8,867台で、過去最高となった。日本市場も、震災の影響をものともせず、プラス成長に。快進撃の裏にはどのような戦略があるのか。代表取締役社長の黒坂登志明さんに聞いた。

黒坂登志明氏 黒坂登志明氏

──昨年度の好業績をどのように振り返りますか?

 実は、ドイツ本社は、3.11以降、日本のマーケットは30~40%程度縮小するだろうと予測していました。しかし、マーケティングと営業に力を注いだ結果、8%のプラス成長となりました。改めて昨年の国内市場を振り返ると、おしなべて外国車の売れ行きが好調でした。震災やタイの洪水によって国産車の供給が滞ったことが、大きな要因です。特に東北地方は「復興バブル現象」が起き、外国車がよく売れました。ただ、動いている他社製品を見ると、小型車が多く、国産車の代用車として求められていることがうかがえます。対してポルシェは、安くても700万円台の高級車しか扱っておらず、それでも10%近くの伸びを実現できたことを誇らしく思っています。社員やディーラーが健闘してくれたおかげです。

──今年以降の展望についてはいかがですか?

 本社のマティアス・ミュラー社長は、2018年までに販売台数を20万台まで伸ばすという戦略を掲げています。その立役者として期待を寄せているのが、全世界で爆発的に売れ、ポルシェのビジネスを拡大した高級SUV(多目的スポーツ車)「カイエン」シリーズや、4ドアクーペ「パナメーラ」シリーズです。ただ、こうしたシリーズに対する評価は、ポルシェの原点であるスポーツカー「911」シリーズに対する信頼や羨望(せんぼう)に基づいたものです。ですから、相対的に「911」シリーズの販売比率が下がってしまうことを良しとしてはいけないと思っています。

 そうした中、3月から新しい「911」の発売が始まります。ポルシェのモデルチェンジは、外見を変えるだけの「コマーシャルな進化」や「モデルチェンジのためのモデルチェンジ」ではないので、ブランドについてよく知らない人は、「どこが変わったの?」と思われるかもしれません。実際は、構成部品のうち9割を刷新しており、「走り」を知っている人にとってはたまらないモデルチェンジになっています。昨年11月からの予約注文の出足は好調で、実際にクルマを見ないで購入を決断するお客様がおられるのは、長く培ってきたブランドイメージの賜物(たまもの)です。ドイツでは向こう半年分の予約注文が終了しており、日本もそれに続きたいと思っています。

──JDパワーが集計した2011年の米国でのブランド別調査で、ポルシェが7年連続1位に輝くなど、顧客の「ブランドへの愛着」をキープし続けています。その秘訣(ひけつ)とは?

 「供給台数は需要マイナス1」というのがポリシーです。供給過剰になると、中古車の値引きにつながり、お客様の資産価値が下がってしまいます。これを避けることで、ブランドへの信頼を勝ち取っています。さらに今後、販売台数大幅増という全世界的なポルシェの使命といかに折り合いをつけていくか。ブランドイメージの大衆化をいかに防ぎ、顧客の期待にこたえ続けるか。ブランド管理における新たな挑戦が始まっています。

──若者のクルマ離れやドライバー層の高齢化が進んでいますが、そうした傾向への対応策について、どのように考えますか?

 クルマを取り巻く環境がどう変わろうと、ポルシェが求め、オーナーと共有したいと考えているのは、加速やハンドリングやブレーキングを楽しむモータースポーツの高揚感、ワクワク感です。長引く不況に苦しむ自動車メーカーの中には、レース活動を縮小しているところもありますが、ポルシェは、モータースポーツへのあこがれを育む文化事業としてレースをとらえ、「カレラカップジャパン」などを開催しています。本来文化というのはミーハー精神からスタートするもので、「走る姿がカッコいい」「エンジン音にしびれる」という単純なことで興味を持ってもらえたらいいと思うんです。サーキットに足を運んで心を熱くしてくださったら、これほどうれしいことはありません。レース活動を地道に続け、文化イベントとして広めていく中で、ビジネスにつなげていきたいと考えています。

──若いビジネスピープルに向けてメッセージをお願いします。

 読書や語学の勉強を通して自分を高める努力をしてほしい。そして、世界に視野を広げてチャレンジ精神をもって仕事に臨んでほしいと思います。中国や韓国の若者と比べて、日本の若者はハングリー精神が足りない気がします。苦労して育ってないせいか、チャレンジしない理由を簡単に見つけて逃げてしまう。米国の若いエリートなども、見ていて危うい。ハーバードでMBAを取って、大して職場経験がないのにロールプレー感覚でビジネスを動かしている人たちがいますよね。彼らが高給取りだから、続く人たちも現場経験を軽視するようになってしまう。
私の若い頃を振り返ると、小学校5年のときに父親を亡くしたため、大学の学費は母親に負担をかけないように自分で稼いでいました。友達と塾を開いて高校生30人くらいを相手に勉強を教えたんです。大卒の初任給が平均4万5千円の時代に、月3万円稼いでいました。

 大学卒業後、本田技研工業に入社すると、車の輸出業務にあたる外国部に配属されましたが、営業の半数が中途採用の精鋭で、語学力に長けた人たちばかり。彼らに追いつくために、地元の逗子駅から会社のある東京駅までの往復電車の中で、カセットテープを聞きながら語学を猛勉強しました。行きは英語、帰りはフランス語、という具合です。本もたくさん読んで、とにかく勉強しました。海外に駐在した際は、欧米流のビジネススキルを現場で体得していきました。国際感覚と同時に、禅、仏教、茶道、生け花、能など、自国文化に対する知識や日本人としてのアイデンティティーを持たなければ、外国人と対等にわたりあえないことも学びました。

 今、日本の経済は下り坂です。この先、チャレンジなくして生き残ることは難しい時代になるでしょう。海外との競争にさらされず、温室の中でやってこられた時代はとうに過ぎたと自覚し、生き残りをかけて知恵をしぼらなければなりません。若い人はその先頭に立って頑張ってほしいと思います。

──人材育成の信条は?

 本田宗一郎さんは、「ペーパーテストで優秀な人材だけ採用するのではなく、いろんな個性を入れることが会社にとって健全なのだ」とおっしゃっていたそうですが、私もそう思います。成果を上げられない人材や会社になじまない人材をバサバサ切っていく海外の経営者のやり方は、どうも向きません。ポルシェに関しては、「ヤングライオン・サクセッション・プラン」というスキームがあって、人材育成に力を注いでいる会社です。それはそれとして、何より私自身ががむしゃらになって働くことで、自然と社員がついてきてくれるのではないかと思っています。

──愛読書は。

 子母沢寛の『勝海舟』です。社会人になりたての頃、優秀な人材に囲まれてプレッシャーに悩む中、しきりに読んで励まされたのが歴史大河小説でした。外圧の中、徳川家と薩長勢の間に立って国論の統一を目指し、一命をとして国の近代化に尽くした勝海舟の生きざまに魅せられ、勝と父親の愛情あふれる関係にもあこがれました。
 

黒坂登志明(くろさか・としあき)

ポルシェジャパン 代表取締役社長

1946年神奈川県生まれ。71年慶応義塾大学経済学部卒。同年本田技研工業入社。77~82年営業責任者としてオランダに駐在。84年BMWジャパン入社。 85年ミツワ自動車入社、販売担当の取締役に就任。95年11月から現職。

※朝日新聞に連載している、企業・団体等のリーダーにおすすめの本を聞く広告特集「リーダーたちの本棚」に、黒坂登志明さんが登場しました。(全国版掲載。各本社版で、日付が異なる場合があります)

広告特集「リーダーたちの本棚」Vol.36(2012年3月12日付朝刊 東京本社版)