進化し続ける丸の内、にぎわいの「拡がり」と「深まり」を目指して

 世界の情報と人が集まる国際的なビジネスセンターとしての成長を目指しながら、文化や芸術の風が吹く、いつ訪れても楽しい街の魅力を高める。丸の内再構築の手を緩めない三菱地所の木村惠司社長のビジネス信条は「大胆かつ細心」。

――今年4月、丸の内が発信する文化・芸術の拠点となる「三菱一号館美術館」がいよいよ開館しました。オープニングの企画展は「マネとモダン・パリ」ですね。

三菱地所 木村惠司社長 木村惠司氏

 三菱一号館の復元は、三菱地所が街の「拡がり」と「深まり」を目指して2008年からスタートさせた丸の内再構築第2ステージのシンボル的なプロジェクトです。旧三菱一号館の竣工(しゅんこう)は1894年。最初の美術展はその時代に活躍した画家をテーマとしたいと思っていましたし、マネやその後の印象派の画家たちは、パリという都市の近代化の中で生まれた新しい感覚をもった芸術家です。

 三菱一号館の復元は、私たちにとっても先達が何を考え丸の内という街を作り始めたのか、肌で感じながら知る機会になりました。これまでは商業面のにぎわいづくりが中心でしたが、これからは文化・芸術の情報発信も充実させていきます。また、私たちのプロジェクトは面開発ですから、サイドストリートなどを含め全体でもっと楽しい街にしていきますし、東京駅周辺から大手町界隈(かいわい)、有楽町エリアへと街づくりをつなげながら広げていきます。

――進化し続ける丸の内エリアの未来像をどう描いていますか。

 世界の都市間競争が激しくなっている中で、東京は立ち遅れているのではと思います。丸の内はエコという面で世界トップレベル、屋上緑化や壁面緑化、ヒートアイランド対策など最先端の環境対策をしている自負があります。ただし今後は働く人たちを含めて外国の企業が進出しやすく、楽しめる街にすることもより重要になります。例えば金融ビジネスがひとつのテーマであれば、金融教育交流センターのような施設を我々自らが設立したり、外国人の観光客やビジネスパーソンが安心して医療を受けられる環境を整えるための国際メディカルモールも将来的には必要です。

 またこれまでの都市再生を目的とした国の政策は、容積率の緩和や交通インフラの整備などのディベロッパー支援が中心でした。今後はそこに集う事業者のためのソフト面の支援が重要です。例えば日本の法人税は約40%ですが、世界の潮流は25%前後、シンガポールは18%です。世界の都市が企業誘致に努力をしている中で、国全体では無理としてもスーパー経済特区のような地域を作りましょうといった働きかけは必要だと思っています。

――愛読書を教えてください。

 私が一番本を読んだのは浪人時代、中でも印象深いのは、 五味川純平氏の『戦争と人間』です。日本の近代史を描いた小説の多くは、政治家や将官を主人公としています。では庶民たちは戦争をどう思っていたのか。それが知りたくて、この大長編を手にとりました。ソ連軍の圧倒的な火力の前に日本の歩兵部隊が多大な死傷者を出したノモンハン事件の戦場で、主人公(伍代俊介)が目の当たりにする悲惨な光景は今も忘れられません。

 戦国の武将たちの生き様を描いた小説も、数多く読みました。彼らをマネジメント能力という視点で見た時、やはり秀でていたのは徳川家康だと思います。司馬遼太郎氏の『覇王の家』は、そんな家康の生涯を描いた作品です。家康は権限委譲を大胆に行い、石川数正や酒井忠次ら優秀な家臣の手腕を自由に発揮させました。また、人の話をよく聞いたのも家康の美点です。外部の人材や知恵を活用する柔軟性もありました。それらから浮かび上がるのは、「人間」を大事にする非常に優れたリーダー像です。

文/松身 茂 撮影/星野 章

木村 惠司(きむら・けいじ)

三菱地所株式会社 取締役社長

1947年埼玉県生まれ。1970年東京大学経済学部経営学科卒業。同年5月三菱地所に入社。2000年6月経営企画部長。03年4月取締役 企画本部経営企画部長。同年6月取締役 常務執行役員 企画管理本部副本部長。04年4月専務執行役員 海外事業部門担当 兼 ホテル事業部門担当 兼 ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ取締役社長。2005年6月取締役社長。

※朝日新聞に連載している、企業・団体等のリーダーにおすすめの本を聞く広告特集「リーダーたちの本棚」に、木村惠司さんが登場しました。(全国版掲載。各本社版で、日付が異なる場合があります)

広告特集「リーダーたちの本棚」Vol.15(2010年6月15日付朝刊 東京本社版)