自分自身の感動をバロメーターに常にミリオンヒットを狙う

 平井堅やケミストリーを送り出したデフスターレコーズでの実績を評価され、03年にワーナーミュージック・ジャパン(以下、WMJ)の社長へと転身した吉田敬氏。アーティストと感動を共有する一リスナーとしての感性と、宣伝マン時代に培った人脈とノウハウで、コブクロ、絢香といった新しい才能を開花させた。ワーナー躍進のキーパーソンは、「打席にも立つ監督として、自分の本気を社内に示すことから始めた」と語る。

ワーナーミュージック・ジャパン 代表取締役社長 吉田 敬さん 吉田 敬氏

── ご自身が立ち上げたデフスターはソニー・グループの少数精鋭部隊でした。WMJという大きな組織で、まずされたことは。

 WMJで自分に与えられたミッションは明解で、それは「邦楽のヒットを出す」ということでした。ワーナーには、魅力的な洋楽のカタログが豊富にあります。それに邦楽のカタログが質も量も肩を並べられれば、より安定的な成長が可能です。ただそのためには、ヒットが出やすい土壌から作らないと、種をまいても育たないと感じました。

 最初の1年で取り組んだことは、人の動きが自分の目で分かる組織に変えたことです。当時60組ほどいたアーティストを22~23まで絞り、社員のスタッフィングも一人ひとりの面接からやり直しました。過去の例から、現場のスタッフたちは僕も1、2年でいなくなるだろうと思っていたはずです。そこで何をすべきかを考えた時、自分でヒットを作るしかないと。成功体験を共有できれば、社内の空気を一気に変えられると思いました。

──現場主義型のトップマネジメントが、コブクロの成功につながるわけですか。

 それが2年目ですね。ヒットというのはいろいろな形で生まれるものですが、コブクロの場合は狙いすまして、これだと決めてかかってスタッフ全員で作ったものなんです。誰も注目してなかった二人が、花開いた。そのプロセスに多くのスタッフがかかわったことが、生まれ変わったWMJの象徴だと思います。

──タイアップ戦略の達人といわれています。

 テレビドラマやCMは、一人でも多くの人に曲やアーティストを知ってもらうきっかけになります。その分野に関しては、人脈を含めて自信がありました。ただ、いいタイアップを取っても、そこに持って行く素材が良くないと結果は出ない。それで何回も失敗して、ようやく得た結論は、片手にブッキングの力、もう片方にコブクロや絢香のような良い原石があってこそヒットが出るということです。

 ダニエル・パウターやジェイムス・ブラントといった、洋楽の場合も同じです。ドラマでしみ込ませておいて、来日してもらい、歌番組に生出演する。邦楽でやってきたことをなぞったら、それが洋楽では新しかったわけです。

── 磨けばひときわ輝く「原石」であるか否かを、どのように見分けるのでしょう。

 僕は、まず自分がユーザーの代表だと思っています。自分自身が感動した時には、コアユーザーだけではなく、「いいものだったら買う」というグレーゾーンの人に、すごく響くはずだという確信があります。これまでもデモテープを聴いた時や制作の過程で、詞や曲に共鳴して泣いたりした楽曲は、結果としてヒットする確率が非常に高かったのです。グレーゾーンのお客様に買ってもらわなくては、百万枚レベルのメガヒットは生まれません。

── パッケージビジネスの苦境が伝えられる中、ワーナーの将来像をどう描いていますか。

 今の我々には売れるアルバムもシングルもありますが、今後早急に、全社的な収益構造を変えていかなくてはなりません。WMJは音楽配信にも早くから積極的ですが、アーティストたちが生み出す収益の360度に対して新しい可能性を見つけることが今後求められると思います。また、僕らが売っているのは、「アーティスト」という「生モノ」だということを忘れず、丁寧に付き合えば、やり方はおのずと後からついてくると信じています。

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 趣味は野球観戦。大の西武ファンで、交友のある選手と音楽談議をすることも。「『コブクロに勇気もらっています』なんて言われると、涙が出るほどうれしいです」。45歳。

略歴
1985年4月
CBSソニー(現 ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社、販売促進部
1997年
社内に発足した「Tプロジェクト(後のデフスターレコーズの前身)」において、平井堅、ケミストリー、ザ・ブリリアント・グリーン等のヒットをデビューから手がける
2001年4月
デフスターレコーズ 代表取締役社長
2003年7月
デフスターレコーズ 退社
2003年8月
ワーナーミュージック・ジャパン 入社 代表取締役社長
以後、コブクロ、絢香など現在もミリオンセラーを多数輩出

撮影/星野 章
(『広告月報』2008年05月号)