不動産不況にあった2000年に社長に就任。不動産証券化という新たな波をとらえ、大規模団地などの分譲業中心の経営から持ち前のディペロップメント力を生かしたオフィスビルなどの賃貸業へとかじを切り、東急不動産の業績を急速に回復させた植木正威社長。現在の連結営業利益のほぼ1.5倍にあたる一千億円を、近い将来の目標におく。
――首都圏ではオフィスビル需要は依然拡大していますし、東京の風景も様変わりしました。変化をどうご覧になっていますか。
私が社長に就任したときは、業界全体が厳しい状況で、経営をいかに立て直すかが最大の課題でした。当時はまだ不動産証券化スキームが目新しかったですが、金融機関からの資金調達が難しい中で、我が社にとってそれが唯一と言っていい活路となったのです。
その際に注力したのは、山手線の南半分のエリアで、駅から5分ぐらいの中規模のオフィスビルの開発です。こういった物件の需要は確実にありましたし、景気が徐々に回復する中で、賃料水準も上がり始めました。目標を上回る利益を達成し続けられたことをどう評価するかとよく聞かれますが、時代の変化が大きかったのでしょう。だから社員には新記録ではなく、追い風参考記録ですと申し上げています。
――生活に密着した山の手のディベロッパーであることは東急不動産の持ち味ですが、加えて「スピードと進化」を社長就任当時から重視されています。
実は東急不動産というのは、新しいもの好きな会社です。例えば南平台には区分所有法のない時代に建てた、一階は商店と事務所で上は住宅というマンションの先駆け的な物件がありますし、代官山や麻布では外国人向けの高級賃貸マンションを早くから手がけました。ただ、時代の変化に対応する次の商品を打ち出す力が少し不足していたように思います。それで「進化」と言ったわけです。
また、大規模団地の開発など、昔は土地を仕入れて開発を進めている間に地価がどんどん上がったので、事業としては結果オーライとなり、時間の意識が高くありませんでした。しかしデフレ時代になり、仕入れた土地を商品にするまでスピードが重要になりました。市場ニーズに合った商品を、いかに早く作るかが不動産事業のポイントになったのです。
――マンション事業では団塊ジュニア世代、リゾート事業では団塊世代と、ライフスタイルにこだわりをもつ世代に狙いを据えています。
団塊世代がセカンドライフに向かう時期と重なったことと、アウトドアを活発に楽しむ女性層が増えたことで、新しい市場が生まれています。ゴルフ場と会員制リゾートホテルの「東急ハーヴェストクラブ」を核に展開すれば有望だと力を入れています。
競争の激しいマンション業界では、立地はもちろんですが、顧客ニーズを先取りしながらいかに差別化できるかが非常に重要です。以前私がマンション事業を担当していた時に「ペットを飼えるマンションをつくろう」と言っていました。当時はペット可のマンションは珍しかったですが、“ペット可”がスタンダードになれば、どのように飼えば住民同士が快適に暮らせるかを前向きに話し合えます。そうしたコミュニティー形成は、今の人びとの感性にフィットしていると思います。
――事業領域が拡大している中で、企業ブランドの将来像をどのようにお考えですか。
企業イメージをお客様や社会に伝えるには、まず「当社はこういう商品を提供しています」という実態を示さなければなりません。例えば昨年12月には、汐留に共同で地上24階建、1フロア1千坪にもなる大規模ビルが竣工(しゅんこう)しました。そうした事業の積み重ねの上に企業ブランドというのはあるのだと思います。
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都市の再活性化に力を注ぐ植木社長。そのかたわらで20年近く続けている趣味は、巨樹や巨木を見ることだという。「休日に郊外に出かけ、樹齢千年といった木の前に立つと、自然の前では人間なんてちっぽけなものだなと敬虔(けいけん)な気持ちになります」。65歳。
- 略歴
- 1965年4月
東急不動産 入社 - 1982年11月
東急ホーム 管理部長 - 1984年12月
同社 常務取締役(1992年6月退任) - 1992年6月
東急不動産 取締役 - 1992年7月
同社 取締役 財務部長 - 1996年6月
同社 常務取締役 財務部長 - 1996年7月
同社 常務取締役 住宅事業本部長 - 1999年6月
同社 専務取締役 住宅事業本部長 - 2000年6月
同社 代表取締役社長 - 2004年4月
同社 代表取締役社長 社長執行役員
撮影/星野章
(『広告月報』2008年02月号)