クリエーティブディレクターの箭内道彦さん。自身の事務所「風とロック」を主宰し、広告づくりのほか、テレビ番組の司会やラジオのパーソナリティー、ミュージシャンのプロデュースや音楽イベントを手がけるなど活動領域は広い。そんな箭内さんがパルコの新聞広告を手がけた。パルコらしさが際立った、意志のあるコピーとビジュアル。そのアイデアやメッセージ、また広告に対する思いなどを語ってもらった。
「新しい時代を、君とつくる。」今をとらえたパルコらしい広告表現
――箭内さんがクリエーティブをディレクションしたパルコの広告はとても印象的でした。
今回、クリエーティブディレクションを担当することになった時点でキャッチコピーは「LOVE HUMAN.」と決まっていました。「LOVE HUMAN.」というキャッチコピーを使った広告は2010年から展開されていて、コピーを担当したのは小西利行くんです。そのときの広告には僕は携わっていないんですけどね。あと、安田聖愛(せいあ)さんをモデルとして使用することも決まっていました。あらかじめいろいろなことが決まっている状態から新しい広告を生み出すことは、今まで経験がなかったので、不安はありました。でも、とてもいい方向に展開していったと思います。
――どのように「いい方向」に展開されたのでしょうか。具体的に教えてください。
決まっていたコピーやモデルに対して、いい距離感を保てたんです。おかげで冷静な気持ちで最後まで広告を作ることができました。もし、どちらも自分で決めるとなったら、どうしていたんだろう・・・。
依頼されたのは東日本大震災があった後のことですが、福島県出身の僕の中には震災に対してどうしようもなく熱く空回りする気持ちが強くあったんです。そんな中で、広告づくりのプロとして客観的に見る気持ちの両方を持つことができたのは、コピーや、安田聖愛さんがモデルとなることが先に決まっていたおかげだと思っています。
――震災と重ね合わせて見られることを前提に作ったのですね。
そもそも今回の広告のテーマは「若い才能を見つけ続けるパルコ」でもありましたが、クライアントも僕らも、震災と重ね合わせて見られることからは逃げられないと覚悟を決めていました。テーマが何であれ、パルコが震災に対してどう考えて、どうかかわっていこうと思っているのか、そのことも同時に問われてしまう。たとえば、震災復興支援のためにどんな寄付をしたとか、こんなサービスを始めましたという内容のほうが、広告として着地はさせやすい。でも、求められていたことはそればかりじゃない。震災が起きた状況の中で、イメージと宣言だけの広告を成立させることは難題でした。コピー「LOVE HUMAN.」は震災前につくられたものですが、「震災があったからできたコピー」にも「時代の真ん中を狙った強いコピー」にも見えてしまう。そんな難しさを感じながらも、どんなふうに作ろうか考えるのは楽しくもありました。
――安田聖愛さんのワンショットのビジュアルに至った経緯を教えてください。
さきほどもお話したとおり、広告のテーマは若い才能を見つけ続けるパルコです。これまでも、これからも。実際、松山ケンイチさんや佐々木希さんらのデビューはパルコの広告なんです。聖愛さんはホリプロ50周年記念のイベントから発掘されたスターの卵。まず「この子は誰?」というインパクトは強かったと思います。しかも写真をあえて大物タレントのように大胆にレイアウトしました。彼女にとっても、「始まりの写真」にしたかったので、真っすぐ正面からの、ほぼノーメーク。この子らしさをなくした流行のメークをしたり飾り立てることは、全く意味がない。強さも弱さも、覚悟も垣間見られる表情から、広告を見た人が「自分には何ができるか」を考えるきっかけにもなるといいなと思って作りました。
――そのディレクションからパルコらしい表現になったのですね。仙台駅前の集合写真のディレクションについても聞かせて下さい。
仙台のパルコ前で写真を撮らなければならないという制約があったわけではありません。オリジナルのアイデアです。人と人がつながっていく力をドキュメンタリーで撮ろうと決めました。世の中に向けてメッセージを発信するとき、リアルさは最も重要。だから、工事現場のクレーンもそのままに、仙台パルコで実際に働く人たちを撮影しました。その真ん中にいるのは安田聖愛さんです。
――「新しい時代を、君とつくる。」というコピーに支えられた人は多いと思います。
今は誰も何も言い切ってくれない。安全なのか、そうじゃないのか。いつになったら家に帰れるのか。約束もしてくれないし言い切ってもくれない。「調べてみたら違いました、すみません」ではないコミュニケーションを世の中が求めていると感じていました。だから、言い切りたいと思ったんです。「新しい時代を、君とつくりたい。」ではなく、「つくる。」。寄り添っていくのではなく、宣言をして、そのとおりに進んでいきたい。そんな希望がこのコピーの背景にはあります。
自分が若かった頃と比べて、今の若い子の多くが誰かのために役立ちたいとちゃんと考えている。社会とのつながりを本気で探しているんです。だから「君と生きる。」が真っすぐに効く。感受性にあふれ、いますぐ社会に貢献したいという思いが強烈なだけに、震災後にどうしたらいいかわからず、自分を無力と責めてしまっていたり、精神的ダメージを受けないように本能的に世界に背を向け、情報を遮断してしまった人もいたりする。そういう若い人たちに向けて、この広告が語りかけたいという気持ちもありました。
――広告づくりに若者の考えや思いが反映されているのですね。それは箭内さんらしさにつながっているのかもしれませんね。
今をまっしぐらに生きる若い世代とコミュニケーションをしているから、ちゃんと呼吸をして仕事ができると思っています。今までさんざん自分のことばかり考えて生きてきてしまいました。広告業界の中で目立ってほめられたいとかね。でも40代で人生の折り返しを過ぎたことを実感してから、自分も誰かの役に立ちたいと考えるようになったんです。自分でも不思議なんだけど。実は地元の福島県も大嫌いだった。なぜか5年くらい前から仕事で福島に行く機会が増えてしまい、その度「福島は嫌いだ」って言い続けていたんです。そうすると「僕もそう思っていました!」とか地元の人に言われたりして。
――「猪苗代湖ズ」など福島県の復興に向けて活動をしている現在の箭内さんからは、想像しにくい発言ですね。
自分勝手に振る舞っていた罪ほろぼしというか、恩返しというか。広告における表現も変わりました。今、自分のつくる広告はすべて公共広告としても同時に成立するようなものでありたいんです。既存のACにはない、新しい公共広告になるように勝手に自分の基準でつくっています。広告会社から独立して大人にもなって(笑)、テレビ番組の司会やラジオのパーソナリティーをやったり、ロックイベントを主催する中で、メッセージを伝えることの欲求や興味が強くなってきたんです。あのまま広告会社で働いていたら、もしかしたらビジネスとしてどう着地させるかだけを楽しんでいたかもしれない。
だから今、僕がつくる広告はワンパターンなんですよ。切り口は違うけど、言っていることは、言葉にすると難しいんだけど、全部「愛」を感じるようなものにしたいと思っています。それがない広告を作ったら、自分が怠けているようで不安になる。仕事を依頼してくださる方々も、それを求めて頼んでくれるようになった。だから毎日が大変(笑)。自分を切り売りしている状態。今は何を考える上でもそれがベースにあります。
新聞広告は、意思表明する場所
――新聞広告に対してどのような思いがありますか。
僕の中では、新聞広告は全て意見広告というイメージ。最近だと僕がプロデュースしている高橋優というミュージシャンの歌詞を載せた広告をニューヨーク・タイムズに出稿しました。「福笑い」という歌の「きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う」という歌詞を英訳してアメリカ人にけんかを売った。そして路上ライブをやったんです。新聞は意思表明が一番似合うと思います。それは今も昔も変わっていません。
新聞は好きなんですよ。こういう取材だから言うわけではなくて、本当に。新聞は人が届けてくれるものですよね。それをめくって読んで広告と出会う。そのドキドキワクワク感は、新聞ならでは。そういうことを思うのは、中学1年から高校3年までの6年間、新聞配達をしていたからかもしれませんね。雨の日も雪の日も、毎朝配達していましたから。
特に注目しているのは地方新聞です。地元ならではのつながりがそこに息づいているのがいい。いま大変なのは新聞だけじゃないですから。テレビも雑誌もラジオも、みんな大変。景気にも左右されるし。今はどのメディアもプライドを捨てあって、新しいチャレンジが血や肉になりかけていると思います。そういえば、朝日新聞に2000年に掲載された、ラルク アン シエルの広告を手がけたことを思い出します。権威に挑むような表現をしました。それは朝日新聞という大きな存在があったからこそ生まれたアンチなのです。
――クライアントとはどのような関係で仕事していますか。
少し前までは「クリエーティブ合気道」と言って、相手の力を利用して、クリエーティブの飛距離を出すことを目指していました。相手のやりたいことを、何倍にもして投げ返す。今もその傾向はありますが、最近目指していることは「一発OK」。僕に言いづらくて「ダメ出しできない」んじゃなくて、「そう!これなんです!やりたかったことは。修正することころ何もないです」と言ってもらえたときが一番うれしい。
――それはとても難しそうです。もしコツのようなものがあれば教えてください。
クライアントと一体になることですね。つくり始めるまでの間に、どう交わるかが大事。対立したり言い合ったりするのではなく、仲間として作れているかどうかが重要です。クライアントと腹を割ることは、たしかに難しいんです。でも、なぜだろう、今は何も怖いものがないんです。たぶん、独立して、時間が経って年を取って、権威あるものに点数つけられたり、ほめられたり、競争しなければならない世界から抜け出せたからかな。僕はすごく気にするタイプだったんです。賞がとりたいとかね。今はもう、この広告で一発当ててやる! といったギラついた思いはゼロ。だから、いい意味で透明でいられるんです。一応言っておきますが、さんざんほめられたから、とかではないですからね(笑)。
今回のパルコの広告でも、聖愛さんを魅力的に見せられる場所(広告)をクライアントが用意してくれて、聖愛さんとクライアントを一体化させることができたと思うんです。そういう構造をつくれば、100%広告は成功すると思い込んでいる。みんなに魅力を提示するためには、出演してくれる人のことを僕が好きになり、その人といるときドキドキしてつくる。それさえ実現できれば、僕のつくる広告は、構図や写真のトーンに左右されない。今回の新聞広告でもそれを実感しました。仙台パルコの社員の方々に並んでもらうときも、並び順のバランスだけを考えて「前後変わってください」なんて言いたくなかったし。心臓バクバクでつくりました。でも、そんなリアルがいい。
――では、最後にクリエーターを目指す若者に向けてメッセージをお願いします。
自分らしいものがつくれない。上司やクライアントに理解されない。同期とも比べられる――。もし、人より突き抜けたいなら、それらをいかにごまかさず、受け止め続けるかが重要だと思います。人と比べられたり負けたりすることから、どれだけ逃げずに今を過ごしていくか。特に若い人は真面目だからチャンスに照れるんです。自分だけが抜け駆けすることを極端に嫌う傾向がある。でもね、フラットに並んだ状態で自分のことを見つけ出してもらえるなんてあり得ない。広告業界に若手が出てこないと、面白くならないでしょ。つくっているのが僕を含めてオヤジばっかり(笑)。若手が出てくればオヤジも進化して活性化するんです。だから、僕は言い続けます。「広告は最高に面白いよ。自由な世界だよ」って。「意地でも箭内をつぶしてやる」くらいに思ってがんばってほしい。
「福」の文字入りジャージー
「福」は、親交させていただいている福山(雅治)さんの福であり、僕がプロデュースする高橋優の「福笑い」の福であり、そして僕の出身の福島の福です。みんなにたくさん「福」が訪れますように。
最近はずっとこればかり着ていて、この前は福島でホルモン焼き屋のおばさんに「ちゃんと洗ってんの?」と聞かれました(笑)。同じデザインを数着持っているので大丈夫です(笑)。スポーツブランドがコラボレーションで試作してくれたジャージーなんです。
クリエーティブディレクター
福島県郡山市出身。1964年生まれ。主な仕事に、タワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」、ゼクシィ「Get Old with Me.」、東京メトロ「TOKYO HEART」「TOKYO WONDERGROUND」、サントリー「ほろよい」、ケイリン2011、グリコ「ビスコ」、桃屋「味付榨菜」「辛そうで辛くない少し辛いラー油」など。また、同郷のアーティストたちと4人で組んだバンド「猪苗代湖ズ」で、その収益全額を福島県の義援金にすべく『I love you & I need you ふくしま』をリリース。「だっぺズとナンバーザ」名義で『予定~福島に帰ったら~』にも参加。サイト『THE HUMAN BEATS』では、被災地への声と被災地からの声を、地元新聞社福島民報と協同し、避難所の壁に張り出している。6月からNHK Eテレにて「青春リアル 特別シリーズ『福島をずっと見ているTV』」を開始。
9月14日から6日間、福島県内を6カ所横断するイベント「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」を開催する。
■「予定」公式HP: http://yoteii.jp/
■THE HUMAN BEATS: http://thehumanbeats.jp/
■LIVE福島 風とロックSUPER野馬追: http://livefukushima.jp/
※新聞広告を手がけるクリエーターにインタビューする、朝日新聞夕刊連載の広告特集「新聞広告仕事人」に、箭内道彦さんが登場しました。(全国版掲載。各本社版で、日付が異なる場合があります)