時代の数歩先を読み 「一行の力」で勝負

 東京コピーライターズクラブ(TCC)は、2014年度の「TCCホール・オブ・フェイム」(名誉殿堂)を、「ほほ ほんのり染めて」(資生堂)、「恋は、遠い日の花火ではない。」(サントリー)など数々の名コピーを世に送り出した小野田隆雄氏に決定した。殿堂入りの感想やコピーライターという仕事について同氏に聞いた。

初めはなじめなかった資生堂宣伝部

──殿堂入りの率直な感想を聞かせてください。

小野田隆雄氏 小野田隆雄氏

 TCCホール・オブ・フェイムの初期の受賞者は、TCCの前身「コピー十日会」の初代メンバーである土屋耕一さんや梶祐輔さんなどです。以来、受賞者はコピーライターとして際立った仕事をされた方々でしたので、自分がその対象になるとは考えていませんでした。ですから、当惑したというのが率直な感想です。これまでの努力に対するご褒美ということでしょうか。それならばありがたいことで、感謝しています。

──小野田さんがコピーライターを目指したきっかけは。

 僕は栃木のお寺に生まれ、年の離れた長兄が太平洋戦争で戦死してしまったので、寺の跡継ぎにと期待されて育ちました。でも自分にはその気がなく、小さい頃から絵を描くのと文章を書くのが好きだったので、どちらかの道に進みたいと思っていました。結局、寺は継がず、ものを書く仕事を選びました。当初は編集者志望でしたが、出版社の就職試験に落ち、資生堂宣伝部の補欠募集に応募して採用されました。コピーライターになりたかったというより、ものを書く仕事なら何でも良かったのです。

──資生堂に入社した印象はどうでしたか。

 最初は、社内の柔らかい雰囲気が、自分に合わない気がしていました。ネクタイ着用と遅刻厳禁というルールにも悩まされました。もっとも、最初の部会から遅刻し、ネクタイも一週間しか着けませんでした。後から聞いた話ですが、上司だったデザイナーの中村誠さんは、「とんでもない新人が入ってきた」と困ったそうです(笑)。そういう異端児でしたが、翌春の口紅キャンペーンのコピーのアイデア出しを部内総出で行った際、言葉を編むのが楽しくて、自分のアイデアを認めてくれる部内の空気も感じて、居心地が良くなっていきました。

土壇場で差し替えたコピーがグランプリに

──資生堂での仕事で印象に残っている作品は。

 メルクマールといえるのは、30歳の時に作った「ほほ ほんのり染めて」というコピーです。実は、初めは「ほほ ほのかに染めて」でした。当時、上司だったデザイナーの水野卓史さんが、このコピー案を社長に提出する際に、念押しの電話をくれたんです。「『ほほ ほのかに染めて』というコピーでいいんだよね」と。その時、「ほのかに」の「に」がうるさく感じて、「『ほのかに』を『ほんのり』に変えてください」とお願いしました。この土壇場のやり取りがなければ、「ほほ ほんのり染めて」というコピーは生まれませんでした。当時の資生堂のコピーは横文字が多く、日本語のコピーは目新しかったようで、TCC賞グランプリや朝日広告賞をいただきました。受賞後、中村さんと水野さんが「小野田を採用しておいてよかった」と話していたそうです。褒めてもらうまでにずいぶんかかりました(笑)。

※画像をクリックすると拡大して表示されます。 昭和47年度朝日広告賞を受賞した資生堂の新聞広告(『入賞作品集』から) 昭和47年度朝日広告賞を受賞した資生堂の新聞広告(『入賞作品集』から)

──なぜ、日本語のコピーになったのでしょう。

 「ほほ ほんのり染めて」が世に出た70年代前半は、吉田拓郎などシンガー・ソングライターが活躍し始めた時代と重なります。その風を感じるひとつのきっかけがありました。資生堂の後輩でデザイナーの太田和彦さんに誘われ、渋谷の山手教会の地下にあった小劇場「ジァンジァン」にライブを聞きに行った時のこと。まず前座に登場したのが、アコースティックギター一本で歌うアンドレ・カンドレ(のちの井上陽水)、真打ちは忌野清志郎率いるRCサクセションでした。それまでの日本のポピュラー音楽界は、洋楽のカバーか演歌が主流でしたから、彼らの独創的な音楽はとても新鮮でした。特に歌詞の力強さに圧倒され、「若者たちの間で日本語が復活しているのに広告がいつまでも横文字ばかりでいいのか」という思いに駆られました。それで日本語のコピーを書いたわけです。

恋人を口説くつもりで語るコピー

──小野田さん流のコピーづくりの作法のようなものはありますか。

 自分なりの考え方ですが、広告コピーには大きく二つの系列があると思っています。一つは、商品に肉薄していくコピー。車の広告なら、スピードなどの商品性能や、高級車であれば、「いつかはクラウン」(トヨタ自動車)といったふうに、商品ステータスを訴求する。昨年の「TCCホール・オブ・フェイム」の西村佳也さんが作った「なにも足さない。なにも引かない。」(サントリー)というコピーは、シングルモルトウイスキーという商品に迫った名コピーでした。資生堂の広告でいえば、犬山達四郎さんが作った「チェリーピンク」というキャッチフレーズは、口紅の色そのものの魅力を言い当てていました。

 もう一つは、商品の周辺にいる人の心情や、広告を見る人の美意識に触れるようなコピー。僕が作るコピーは、こちらの傾向が強かったように思います。「ほほ ほんのり染めて」もそう。ファンデーションとほお紅がセットになった商品のキャッチフレーズでしたが、機能訴求ではなく、塗った後の色味の美しさや、化粧した人の美しさをどうしたら表現できるかと考えて作りました。

 「ほほ ほんのり染めて」の翌年に作った「『影も形も明るくなりましたね、』目。」というキャッチフレーズは、薄化粧の美しさを伝えるのが狙いでした。夜通しコピーを考えて迎えた朝、夜明けの光を受けた障子の白さが浮かび上がり、障子の桟の影が映える様を目にして、パッと浮かんだ言葉です。こういう情緒的な捉え方をしていくのが僕の作法といえるかもしれません。

──化粧をする女性の心理を捉えるために、日頃心がけていたことはありますか。

 僕自身が化粧をするわけではないので、女性の心理の本当のところはわかりません。ですから、広く一般女性に向かって「この商品はいいですよ」と言う自信はずっとなかったですね。ただ、ひとりの生身の女性を想定して、例えば恋人を口説くつもりで語れば届くんじゃないかと、ある時から思うようになって、それから突破口が開けた気がします。

──コピーライターの仕事の魅力とは。

 仕掛人になれるところです。人々の心を動かすためのアイデアを練り、ポスターなどの成果物に仕上げていくプロセスにやりがいがある。制作者はあくまでも匿名で、表現そのものが世の中に影響を与えていく。そこに魅力を感じます。

今面白いものより二歩、三歩先を見る

──最近は「一行の力」で評判を呼ぶ広告があまり見られないように思います。

   

 広告のメーンステージがテレビCMに移る中で、「一行の力」が要求されなくなってきた気がします。テレビが登場する以前のコピーライターの活動の軸は、新聞やポスターなどの印刷媒体でした。ラジオはありましたが、野坂昭如さんや永六輔さんなどのナレーションライターと完全にすみ分けていました。

 その後、しだいにコピーライターがテレビCMの仕事をするようになっていきました。僕もその一人ですが、僕はテレビCMでもコピー一行で勝負するものが多かったと思います。例えば石岡瑛子さんと組んで作った「アンチ・センチメンタリズム・パルコ」とか、「女たちよ大志を抱け・パルコ」(ともにパルコ)とか。一方で、「15秒や30秒の中で商品についてできるだけ語りたい」というクライアントのニーズを受けたCMが増え、言葉がどんどん拡散し、その傾向が印刷媒体に逆流していきました。

 最近は、広告プランナーが壮大なブランドストーリーを作り、メディアの組み合わせによって完成させるような手法がうけています。「一行の力」を経験し、あふれる情報を経験し、ブランドストーリーを経験した日本の広告界がこれからどこへ向かうのか。新しい何かが求められているのは確かだと思います。

──近年、「一行の力」を感じた広告はありますか?

 近年では、福里真一さんが書いた「このろくでもない、すばらしき世界。」というサントリー「BOSS」のコピーが際立っていたと思います。久しぶりに「一行の力」を感じました。

──若いクリエーターにメッセージをお願いします。

 今面白いと思ったものを追っかけるのではなく、時代の二歩か三歩先のことを見つめてほしいですね。僕は前座アーティストの歌を聞いて「次は日本語だ」と確信しましたが、先を読むヒントはどこに落ちているかわからないので、あらゆる事象に関心を持ち、その一方で、何事にも左右されない独自の観点を持つことが大切だと思います。

 それから、制作する仲間内だけで「これだけの条件がそろっているんだから伝わるはず」と過信しないこと。消費者は条件なんて知らないし、そもそも広告は素通りするものだと思っている人のほうが圧倒的に多い。その課題をどうクリアするかが広告の生命線で、作り手の自己満足が一番良くないと思います。

小野田隆雄(おのだ・たかお)

エフ クリエイション クリエイティブディレクター

1942年栃木県生まれ。66年東京都立大学人文学部卒。資生堂宣伝部を経て、83年コピーライター事務所UP設立。現在エフクリエイションでコピーライター&クリエイティブディレクター。TCCクラブ賞、朝日広告賞、ACC賞、電通賞など受賞多数。資生堂、サントリー、パルコ、ライフネット生命などの広告制作を担当。著書に『風に向かって咲く花 』(求龍堂)、『MONAURAL モノラル 遠い記憶 黒井健画集』(偕成社)、『IL BALSAMICO イル バルサミコ』(求龍堂)、『職業、コピーライター』(バジリコ)など。「恋は、遠い日の花火ではない。」「近道なんか、なかったぜ。」(サントリー)、「ほほ ほんのり染めて」「春なのにコスモスみたい」「ゆれる、まなざし」(資生堂)など、日本語の美しさを生かした広告コピーを生み出した。2014年度TCC HALL OF FAME(コピーの殿堂)に入る。

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