暖冬のまま2013年を迎えたロンドンは、1月中旬になって初の降雪となった。といっても、東京のように大荒れしたわけではなく、早朝の屋根にうっすらと雪が残っている程度であった。中旬になってようやくロンドンにも本格的な雪が降り、遅ればせながら本格的な冬のシーズン到来である。
2013年最初の原稿となる今回は、政治にまつわる意見広告の話題を取り上げたい。
英国を語る上で欠かすことのできない政治家のひとり、「鉄の女」ことマーガレット・サッチャー元首相が公の舞台から姿を消して久しい。昨年末にはかねてより体調が心配されていた中、腫瘍(しゅよう)切除のため入院し、久しぶりにその姿を目にすることとなった。経過は良好ということだが同じ時期に、サッチャー氏が英首相を務めていた1982年4月のフォークランド侵攻時の公文書が公開された。アルゼンチンによる英国領フォークランド侵攻を、彼女自身、その2日前まで予期していなかったことなど、紛争直前の混乱ぶりが改めて注目を集めた。公文書は非公開期間の30年が過ぎたことから公開されたが、いまだに尾を引くこの歴史的事件を生々しく語っている。
年が明けた1月3日付のガーディアン紙には、アルゼンチン共和国大統領名で、「デイビッド・キャメロン首相様へ」という書き出しの意見広告が掲載された。アルゼンチン沖におけるフォークランド諸島(アルゼンチンでの名称はマルビナス諸島)が、イギリスの植民地下に置かれたのが1833年1月3日。そこから数えて180年となったこの日に意見広告が掲載となったわけだが、同国は昨夏にも同様の意見広告をフィナンシャル・タイムズ紙に掲載している。
今回のメッセージは「180年前のこの日、我々はこの島を奪われました」の書き出しに始まり、国連の見解などを引用。「アルゼンチン国民の名において、国連の見解に基づいて我々とともに協議の場につかれることを懇願するものです」と結ばれている。英国としては協議する意思がないのは周知の通りだが、英国の大衆紙サンが翌4日付のアルゼンチンの新聞に、「返信」の意見広告を掲載した。
同国の公用語であるスペイン語と英語で掲載された広告には、「アルゼンチンは31年前に勝手に侵略したじゃないか」「そもそも我々がフォークランド諸島に赴いたのは1765年で、当時アルゼンチン共和国は存在しなかった」などと示され、「我々の数百万の読者の名において・・・干渉するな」と結ばれている。
この問題の背景については、1月17日付の朝日新聞「領土問題@世界」欄でも紹介されているが、筆者の一番の疑問は、一国の主から発せられたまじめな意見広告になぜ一媒体が「返信」するのか。これはどうやら「サンだからねえ・・・」というお決まりの結論が正しいようだ。サン紙は女性の裸や過剰なゴシップ記事で名をはせている大衆紙で、「人前で読むのがはばかられるので高級紙フィナンシャル・タイムズの間に挟んでこっそり読む」などと揶揄(やゆ)されるが、昨年12月現在で約227万部の部数を持っている。業界内では「話題作りだね」などとの声も聞こえたが、「返信」広告の中では外務・英連邦省のスポークスマンのコメントも「フォークランドの人々は英国籍だし、それはそのように彼らが選んできたこと。彼らには自身の未来について、政治的にも経済的にも選ぶ権利が与えられている」と引用されているそうで、それなりに広告の準備はしていたようである。
実は日本を含む世界中で同様の問題は起こっている。先日、ロンドンで行われた東京五輪誘致活動の記者会見でも、アジアのメディアの記者から中国との問題について質問があり、猪瀬東京都知事の回答にも「世界中で同じような問題が散見される」点は触れられた。広告に携わる人間としては、こういった主張の場として新聞広告が使われる意義や効果、重要性、その媒体選択など新年早々、改めて考えた次第である。
(朝日新聞社 広告局 ロンドン駐在 林田一祐)