セレブと広告

 今年のロンドンの夏は短かった。英国BBC放送が主催する毎年夏恒例のクラシック音楽の祭典「BBCプロムス(BBC Proms)」の最終日(今年は9月11日)、コンサートが最高潮を迎えるとともに夏も終わるのだが、今年はすっかり過ぎ去ってしまったあと、という感じだった。

  そして夏の終わりといえば、この時期英国が忘れることのできない日付のひとつが8月31日。今なお圧倒的な支持を集める、ダイアナ元皇太子妃の命日である。しかし今回の命日はちょっと事情が違った。「あたかもダイアナ元皇太子妃をほうふつとさせる女性(イラスト)が、下着姿で登場する屋外広告を中国の下着メーカーが展開している」というニュースが舞い込み、物議を醸した。広告クリエーティブとともにわざわざ命日を意図して展開したことに不快感を示す人が多かったようである。
 このニュースを知った英国側の反応は、実に理解しやすいものだったと思うし、下着メーカー側がわざわざこの日を選んでキャンペーンを張ったこと、いくら中国本土での展開とはいえ、配慮が足りなかったのではないだろうか。あるいは、あくまでダイアナに似ているだけだから構わない・・・というのはいささか乱暴な気がするが。
 このケースを通して改めて考えたのが、強いインパクトやメッセージ性をもつキャラクターを伴った広告展開には、受け手の感受性、さらには国民性や時代性が重要なファクターであるという基本的な意識についてである。

 もうひとつ事例を紹介しよう。日本での広告展開では業種を問わず、タレントやスポーツ選手など“有名人・著名人”と呼ばれる人たちを起用したものが多く見受けられる。こちらでいうところの“セレブリティ”であるが、その登場頻度は日本と比べて圧倒的に低い。ファッションブランドなどのワールドキャンペーンを別とすれば、非常に限られた手法ともいえる(もちろんモデルを使う手法は非常に多い)。ただ、いまのイギリスマーケットで別格なのが、ウェイン・ルーニー。言わずと知れたサッカーのスター選手であるが、残念ながら先のワールドカップでは大きな活躍ができなかった上に、大会後、早々にバカンスに出かけるなどネガティブな話題には事欠かなかった。さらに、本人の浮気発覚というゴシップが加わり、大衆紙は元より一般紙も取り上げるビッグニュースとなってしまった。紆余(うよ)曲折を経て、夫人とも和解したようだが、次の問題は広告スポンサーである。ルーニー選手は現在、数々の賞を受賞したナイキの広告やコカ・コーラ、地元企業など複数の企業と契約している。立て続けに起こったネガティブインパクトに関係者はさぞかし眉をひそめているのではないかと思うが、実はそう単純な展開にはならなかった。このエピソードはタイガー・ウッズ選手のケースなどとともに、幾つかのメディアでディベートされているのだが、「セレブのプライベート部分について、ある程度のことが起こるリスクは織り込んで、(企業は)起用する」とか、「本人が誠意を持って謝罪する姿があれば、オーディエンスは素直に受け入れる」「家族の問題は家族の問題」などなど、極端に否定的な意見は目に付かないのである。どうやらこれらの根底にあるのは「許す」とか「パートナーシップ」といった感情のようで、これまた国民性の一端を垣間見ることとなった。

 日本の場合、商品やキャンペーンごとにキャラクターが交代することで話題を集めることが多いが、英国の場合、彼らは企業のアンバサダー(大使)的な役割を担うことが多い。つまりキャラクターたる人物は、企業やそのステークホルダーを丸ごと代表するような位置づけで登場するので、そもそもキャラクター個人と企業とのパートナーシップが重要な要素であり、その任期も長い。ある意味、身内的な立場なので、このようなトラブルがあった際にも、まずはサポートするという姿勢が顕著になるようである。ただし、「身内びいき」にも限度があるので、ルーニー選手のケースにしても、すべての広告主が寛容だったわけではないようである。

(広告局ロンドン駐在 林田一祐)