ドバイは「宴のあと」か?

 出張でドバイを訪れた。「ドバイ・ショック」が起こる直前だったが、リゾートホテルや観光スポットは、海外からの観光客でにぎわっていた。特に、2008年10月にオープンした豪華ホテル「アトランティス・ザ・パーム」は、大盛況だった。皮肉にも、同ホテルはドバイが巨額負債を抱える原因となった、政府系不動産ディベロッパー「ナキール」が手がけたもので、巨大な人工島「パーム・ジュメイラ」の最北端に立っている。また、世界最大規模を誇る「ドバイ・モール」も集客には成功しており、カネがしっかり落ちているように感じた。
 一方、移動中のタクシーから眺める街の風景は、報道されている通り、建設途中で放置された高層ビルが目立つ。クレーンが動かないまま宙づりになっている姿や、がれきの山が散見される。供給過剰、不動産価格の急激な下落、資金流入の縮小。こうした要素が絡み合い、歯車が逆回転しだした街にそびえる人気のないビル群は、異様だ。 
 ドバイが見せたこの2つの顔は、何を物語るのか。「宴のあと」に、ドバイの復活はあるのだろうか。
 今後、ドバイ政府に対する、投機筋からの信用収縮により、不動産業の抜本的な整理がさらに進むことが予想される。実際、「ドバイ・ショック」以前から、明らかに建設ラッシュが行き過ぎだと、多くの地元住民の目にも映っていた。

アトランティス・ザ・パーム アトランティス・ザ・パーム

 広告業界にもこの混乱は影響するのだろうか。少なくとも、広告業界に限って言えば、中長期的に発展を続けるのではないか、と感じた。
 人口の約90%が外国人労働者で構成される同国では、広告産業を支えるのも、広告のターゲットも、主に外国人だ。1981年に開設された「ジュベル・アリ・フリーゾーン(JAFZ)」では、外資の直接投資の自由と外国人労働者の雇用の自由が、完全に保証されている。ドバイへの投資規律が是正されるなど、信用回復の環境が整えば、この政策の下でヒトとカネがビジネスチャンスを求めて再びドバイに集まり、それが広告ビジネスに直結するのに時間はかかるまい。
 ちなみに、広告業界で働く人々には、自国でも業界にかかわってきた英国人、インド人が多い。彼らは、「この国には失業率という概念がない」と言い切る。彼らも職が見つからなければ帰国するまでだ。技術と経験を持った広告パーソンが、冒険と太陽を求め、コスモポリタンな街に集まる土壌は、すでにできている。
 また、JAFZの思想は、実際にドバイの広告産業の育成を支えるものとなっている。その代表例が、フリーゾーンの「ドバイ・メディア・シティー」だ。2001年、中東におけるメディア産業のハブにしようと立ち上げられ、現在は、CNNなどの放送メディアや、IT関連メディア、広告、音楽関連企業が集結し、表現の自由が保証される中で、整備されたインフラを活用している。この中には、メディアエージェンシーもオフィスを構えている。また、2008年からはカンヌ国際広告祭の中東地区版「ドバイ・リンクス」が同地区で開催され、ハコが整備された後には、ソフト面でのレベル向上も図られている。

 2009年11月の「ドバイ・ショック」は、ドバイ経済に大きな影を落とした。しかし、ヒト・情報・カネを呼び込んで国を発展させるという明快な成長戦略を掲げるドバイに、グローバルビジネスにかかわる多く人々が変わらず期待しているのも事実ではないか。確かに、砂漠に忽然(こつぜん)と現れる新しい街には、不思議な魅力があった。
(広告局ロンドン駐在 川田直敬)

ドバイ・メディア・シティーからながめた高層ビル群 ドバイ・メディア・シティーからながめた高層ビル群