4月21日。ボストンはマラソン大会の成功を予感させる明るい春の陽光と鳥のさえずりとともに朝を迎えた。
3人が亡くなり、200人以上がけがをした昨年の大会から1年。町で何度も耳にした合言葉が「Boston Strong」。直訳すれば「ボストンよ、強くあれ」。
震災直後の日本の「がんばろう!日本」のように、テロ事件で気持ちが暗くなりそうなボストンエリアの人たちの気持ちを奮い立たせ、みんなで共有してきた言葉だ。「負けない」や「くじけない」ではなく「Strong」というストレートな宣言が米国らしい。市庁舎や州庁舎の建物にもこのBoston Strongの垂れ幕が掲げられ、米メジャーリーグのボストン・レッドソックスもこの合言葉のもとに戦い、前年の地区最下位から一転、ワールドシリーズ制覇を成し遂げた。テロ被害者への支援のためのチャリティーマラソンやイベントでもこの言葉が掲げられた。
そして、マサチューセッツ工科大学(MIT)のコミュニティーにとっては、もう一つの合言葉が「MIT Strong」だ。
爆弾テロから3日後の4月18日夜、ボストン市とはチャールズ川をはさんで北側にあるここケンブリッジのMITキャンパス、スタタ・センター横に停車していたパトカーで、MIT警察のショーン・コリアー警官がテロ容疑者から銃撃されて命を落とした。この事件で一帯に非常警戒網が敷かれ、車を奪って逃走する容疑者と警察の追跡劇が始まり、最後は郊外のウオータータウンの住宅街での銃撃戦となった。
スタタ・センターは建築家フランク・ゲイリーによるデザインで、斬新で近未来的な外観が特徴的な校舎だ。コンピューターサイエンスや言語学の研究室があり、著名な言語学者ノーム・チョムスキーもここに部屋を持っている。事件発生は夜11時少し前。キャンパスの研究室にはまだ残っている人が何人もいた。当時メディアラボの建物に残っていた人に聞くと、「建物から外に出るな」という緊急アラートが流され緊張したという。
キャンパス内での惨事は大学のコミュニティーにも衝撃を与えた。亡くなったコリアー警官は26歳。ここで研究をする学生たちと同年代だった。彼の遺族への支援やテロ被害者への連帯、コミュニティーの絆を表明し、大学でも「MIT Strong」の合言葉が掲げられた。MIT正面玄関から続く長廊下の壁にはまだ幼さの残るコリアー警官の遺影が飾られ、銃撃現場横の植え込みには十字架と星条旗が立てられている。今も花やろうそくを手向ける人の姿が絶えない。マラソン前の週末にはメモリアルサービスが開かれ、スタタ・センターの吹き抜けには有志から寄せられた真っ白な千羽鶴がつられた。MITからも30人ほどが今年のマラソンに参加した。
沿道の温かい拍手と応援
今年は特別な意味を持つ大会だ。応援に行こう。天気は晴れ。気温16度。風はほとんどない。ランナーには少し暑いかもしれないが応援にはちょうどいい。半袖に薄いウインドブレーカーをはおる。ボストン市の公式ツイートが「バックパックやスーツケースは沿道では控えて」「飲み物のボトルは1リットル以下に」など細かい注意を繰り返していた。大きなかばんはセキュリティーチェックをするというので、鍵と携帯と財布とハンカチだけを持った。MITのすぐ南側にあるハーバード橋を渡った。応援のプラカードやベルを手にした親子連れがボストン方向を目指す。冬は凍結していたチャールズ川の水面は光を反射し、白いヨットがはえる。対岸のバックベイが近づくにつれ歓声が聞こえてきた。
マラソンコースは南北に走るマサチューセッツ大通りをくぐって立体交差し、コモンウェルス通りの中央に上がってくる。ブラウンストーンと呼ばれる赤褐色の砂岩づくりで昔ながらの出窓を配した建物が並ぶ通りはマグノリア(モクレンやコブシ)の街路樹が満開だ。沿道を家族連れが埋め、お供してきた犬たちがひまそうに寝そべる。ゴールまで残り1キロを切った地点。リストバンドでタイムを確認してラストスパートをかけるランナーもいれば、にこやかに観客に「もっともっと」というように手を振ってさらなる応援を要求する楽しげな男性もいる。
今年らしいのはiPhone(アイフォーン)でセルフィー(自分撮り)をしながら走る人の姿だ。腕を高く掲げて逆に沿道の応援風景を撮り続けるランナーがいるかと思えば、幅広ゴムバンドにミニビデオカメラをくくりつけて頭に巻き、“自作ウエアラブル端末”で記録しながら走るおじさんの姿もあった。
ランナーの一団の中にボストンの歴史地区の観光ガイドがかぶるような三角帽が見えてきた。ポール・リビアにふん装した青年だ。ポール・リビアは独立戦争当時、真夜中に馬を走らせ内陸のレキシントンに英国軍の来襲を伝令したことで知られている。ボストンマラソンの開催日は、このレキシントン・コンコードの戦いを記念したパトリオッツデー(愛国者記念日)と決まっているのだ。
沿道の市民は拍手と歓声でランナーを迎える。車いすを押すランナーにはひときわ大きな拍手が起こり、重い足をひきずり歩いてゴールを目指す人たちには「You Can Do It!」と激励がとぶ。
拍手しながらみていたら、隣の老婦人に「もっと大きな応援の声ださなきゃ。こうよ。ヒュッヒュー!!」とあおられた。奥様、どこからそんな学生みたいな声が出るんですか……。みんなで拍手をしてみんなで声をかけて、知らない人とハイタッチ。気温が夏日まで上がった数年前の大会では近所の人がビニール袋に氷をいれたものを家からもってきてランナーに配った。そんな温かみのある大会だとランナーの一人から聞いた。一緒に見ているだけでわくわくしてくるような街とランナーの一体感。ただ、疎外感を抱えた人がここに立ったら、逆にとんでもない孤独を感じるのかもしれない。ここへ爆弾を持ち込んだ容疑者兄弟にとってこの歓声や拍手はどう聞こえていたのだろう。
吹雪や北極の渦による寒波で記録的な寒さだった冬をくぐりぬけて迎えたボストンマラソン。マグノリアだけでなくレンギョウや桜も咲き乱れ、ボストンはいま春真っ盛りだ。
地元ケンブリッジ市警察とは別に、MITとハーバード大学は警備のためにそれぞれ独自の警察をもっている。MIT警察は60人ほどの規模。パトカーや白バイ、自転車などでパトロールにあたる。市警察とも連携して動いているが、キャンパス内の緊急連絡で即応してくれるのが彼らだ。実験などで深夜遅くなった場合は、連絡すれば地下鉄駅までのエスコートもしてくれるとオリエンテーションで説明された。MITのあるケンドールスクエアから隣のセントラルスクエアにかけての一帯はキャンパス以外にもMIT関連の建物が散在している。このためこの地区では、ケンブリッジ市警察とMIT警察両方のパトカーが巡回するのを見かける。
http://police.mit.edu/
取材・紙面編集の仕事を経て、デジタル事業に取り組み15年。2011年からデジタル事業担当。13年7月からMITメディアラボ・シニアアフィリエイト。
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