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「お金があれば何でも買える。幸せにもなれる」との考え方に素直に同意する人は決して多くはないだろう。しかし多くの人は、たいていの幸せは欲しいモノをお金で買うことで満たされると思っている。そして不当な手段でなくお金を得るためには、汗して働かなければならない。経済の高度成長の時代にそうして働き続ける中で、私たちはお金がなくても得られる幸せや楽しみの多くを忘れてしまい、またお金で買える物が自分で作ったり身近にあったりする物よりきれいで便利だと思いがちになった。工場で次々と作られる品々は、機能性を超えた楽しさや夢を帯びていて、買う欲望を強く誘ったからだ。
ファッションは早くからその代表格のように思われてきた。だが20世紀の半ば過ぎ頃までは、服は主に自分で、または裁縫の上手な身近な人に頼んで仕立てるのが普通だったのだ。既製品といえば、制服とか「吊(つ)るし」と呼ばれた魅力のない安物とかに限られていた。それが、既成服のデザインや縫製技術の進歩とそれを上回る巧みなイメージ戦略によって急速に注文服にとって代わりファッションの主役になった。だが、服を作る楽しみや自分で作った服を着る楽しみはもうなくなってしまったのか。それはもうファッションではないのだろうか?
水戸芸術館で22日から開かれている「拡張するファッション」展(5月18日まで)は、そんな問いへの答えのきっかけを与えてくれる。展示では、マネキンに服を着せるやり方とは違って、ファッションを軸としながらもこれまでの服作りとはかなり異なる表現・物作りをしている国内外のデザイナーやアーティストたちの仕事をパネルや映像、またワークショップやパフォーマンスなどで紹介している。共通しているのは、ファッションを消費産業のためのデザインやイメージ作りという考え方に距離を置いた活動を続けていることだ。
快適な生活のためのアート的な服や住環境をデザインする「BLESS(ブレス)」(独)や、独自のハンドメードの服作りのスーザン・チャンチオロ(米)、人同士の関わり方の中から服やアートの新たな創造を見いだす活動を続けているパスカル・ガテン(オランダ)などの海外アーティストたち。「女の子」たちとの徹底したコミュニケーションを通して彼女たちの夢や思いを表現する服を作り続けている神田恵介、綿密な刺しゅうやかぎ編みでお直しを中心に活動する横尾香央留、また独自な表現の若い写真家たち(ホンマタカシ、長島有里枝、浅田政志)、子供のためのファッションやアートプロジェクトをしているグループ「FORM ON WORDS」……。
その一人、パスカル・ガテンが開催前に来日。芸術館の会場監視のスタッフたち8人と2週間で制服作りを試みた。まず彼女の提案で、それぞれが自分のワードローブから、制服にしたいと思うような服、家で一番くつろげる服を2着ずつ持ち寄った。それをもとに自分が着たい「制服」のイメージを練り、素材や色使いなどを検討し、2週目になって初めて実際の服作りに着手。みんな服を作るのは初めてなので、戸惑いが多かった。「生地にハサミを入れるのが怖かった」とスタッフの一人。デザインが固まっていないし、本当に自分で服を作れるのかどうか不安だったからだ。
だがガテンは「とにかく手を動かして。そのうちまたアイデアが浮かんでくる」と励ました。布には刺しゅうや刺し子で図案を描き込み、ポケットを増やしたり、持ち寄った素材で工夫しバイアステープで袖の裏側に補強を施したりした。そのうち服作りが楽しくなって作業や会話を通してアイデアも次々と生まれ、時間も忘れて作り続けたという。出来上がった制服は、予想をずっと超えたおしゃれな服となった。その服にはさまざまな思いや記憶が込められていて、着ても快適だからだ。
22日のオープニングトークでガテンは「ファッションのアイデアはデザイナーの所有物ではない。人と分け合い影響し合うことで成長し、美しくなる。赤ん坊が生まれると、それが誰とも違う美しい人間になれるのと同じこと。美しさは見つけようとすればどこにでもあるのです」と語った。
この展覧会は、新しいファッションのあり方を目指して活動や著作に取り組んでいる林央子さんが執筆した展覧会と同名の本の内容がもとになっている。「ファッションはもっと民主化される必要がある。写真や映画などとも結びついているし、現代の人々の生活と共にあるもので、その中から生まれるものだからです」という。
物の作り手と使う人、美しさを表現する側と味わう側が必ずしも別ではないのはファッションに限ったことではない。生産者と消費者の関係を硬直化して考えがちなマーケティングがあるとすれば、ファッションのこんな例を参考に少し考え直してみる必要があるかもしれない。
◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。
1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。