“アベノミクス”とやらの効果なのか、株価の値上がりや円安が進んで景気がやや上向く期待が出始めているようだ。とはいえ、これで何か新しい道が開けるというわけではないだろう。来年度の政府予算案を見ても、中身は小泉時代の新自由主義とそれ以前の公共事業ばらまきを単に混ぜただけ。喜ぶのは、円安でしか勝負できないかつては主力産業だった一部の輸出型企業と、過剰資金を投機に使えるファンド企業ぐらいなのではないか。
経済について不安を感じてしまうのは、素朴なレベルでいまの産業社会のあり方が健全とはいえない、と思えるからだ。たとえば、モノ作りの産業というのは、ほかではまねできないようなものを国内で丁寧に作ってそれを好む顧客に買ってもらうことで過分ではない利益を得る。成長や進歩は少しずつでいい。いずれにしても、今では追いつくべき相手はもうどこにもいないのだし……。そんな企業ではいけないのか?
近刊の「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」(タッシェン、4,500円)を読んでみると、モノ作りの素朴で健全な姿が過ぎ去ってしまったイメージではなくて、今でも現実にあり得るのだということが分かる。それと比べると、マーケットの飽くなき拡大とコストの削減によって成長と利益増をめざすだけの、今の一般的な企業のありようの方がむしろ一時の異常な状態なのではないか、と思わせられるのだ。
この本は、イッセイミヤケの長期的ヒット商品となったプリーツプリーズの約20年の歴史を振り返りながら、この服の特徴と魅力を17人の筆者と約400点の画像で紹介している。それはそのまま一つの優れたファッション論としても読めるし、アートとしても十分楽しめる写真集ともなっている。こうした本ができてしまうこと自体が、このブランドのまれな魅力と人気の秘密を示している。
だが、この本はそれだけにはとどまらず、具体的に成功しているモノ作りの実例としても示唆に富んでいる。プリーツプリーズは、三宅一生が「プロダクトとしての服」、それは「忙しく活動する現代人のために、軽くて、メンテナンスが簡単で、携帯しやすい服」との狙いをもとに、アイデアの段階から慎重に作り上げてきたブランドだった。
本の中でも紹介されているように、デザインは三宅デザイン事務所、糸を東レと開発し、その指定工場で生地を編み、ポリテックス工業でプリーツ加工し、販売は(株)イッセイミヤケというサプライチェーンマネジメントを、すでに1980年代に先駆的に確立していた。本ではこうした生産過程を約80ページもかけて触れているが、このページの写真も他の部分に劣らずアーティスティックな印象に映る。それは単にカメラワークの高さのせいばかりではないだろう。
この服がアートとの親和性が高いことは、森村泰昌や荒木経惟、ティム・ホーキンソン、蔡國強らとのコラボレーション、また田中一光や佐藤卓らが手がけた媒体ビジュアルの楽しい表現からも分かる。写真家・高木由利子がインド、ケニア、中国、モロッコを旅して、現地の人たちにプリーツプリーズを着せて撮影した写真は特に印象的だ。
鈍く光る青のプリーツをへジャブのようにまとったモロッコの女性、シルクロードの砂漠で赤とピンクのプリーツを着てマージャン卓を囲む男たち、ヒンドゥー教の聖地バラナシでオレンジ色をまとった行者の老人……。このプリーツの服は、その土地の伝統的な生活スタイルや人々の表情に不思議と自然に溶け込み、服もそれによって実に多彩な表情を帯びている。三宅はこの本の中で、「本来、服というのはアノニマスでよいというのが私の考えです。…(中略)それがプロダクトであっても使い手に自由を与えるものでなくてはなりません」と書いている。
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素材に細かいひだを入れるプリーツという手法は、それ自体は日本の独自なやり方というわけではない。だがそれを楽しみながら徹底的に追究し、それを先端のハイテク繊維で表現し、どんな体形でもそれを一枚の布で覆うという考え方は西欧流の立体的な服作りとは全く異なる発想だ。そうした意味では、プリーツプリーズは日本でしかできなかったクリエーションとモノ作りだといってよいだろう。
こうしたモノ作りが、過去や未来のユートピアとしてではなく現実のビジネスとして日本に存在している。そのことにもっと、改めて注目すべきだと思う。
◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。
1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。