日本の伝統と職人技を生かした「三陽山長」の新しさ

 

 次の日本の首相を決めることになる民主党や自民党の党首選びに当たって、肝心の日本の方向を左右する政策論議の中身があまりにも浅いことに落胆させられた。特に気になるのは、震災復興や放射能被害対策と共に喫緊の課題であるはずの、これからの日本の先進工業国としての産業のあり方についてのビジョンがほとんど語られていなかったことだ。

 ヨーロッパのファッションブランドが独自の伝統と文化の特色を生かす物作りにシフトし、先進各国のマーケットの見直しを進めていることについて前回書いたが、では日本のファッション産業はどうなのか?「カワイイ」や先端のポップカルチャースタイル、またそれを背景としたストリートファッションはそれなりに活発だが、日本の伝統的な服飾文化や職人技を高い水準で生かしたブランドは、森英恵や三宅一生、川久保玲らの、若手では「まとふ」など一部での試みを除けばほとんどないと言ってよい。

 特にボリュームゾーンというべき国内大手アパレルのナショナルブランドでは、そうした取り組みはほぼ皆無だった。国内のマーケットだけに注目すれば、日本の伝統を生かした物作りよりも、欧米のトレンドや製品作りのシステムを取り込む方がビジネスとしては有効だったからだ。ただしそれはもう期限切れになっていて、アパレルの売り上げはだいぶ前からずっと下降状態が続いている。

 そんな中では、三陽商会が日本の高級靴の熟練職人集団と組んで11年前にスタートしたメンズブランド「三陽山長」は、注目すべきレアケースといえる。このブランドの靴は、英国のグッドイヤーウエルトと呼ばれる実用的で履き心地のよい靴の製法を採り入れているが、それを日本人の体形や足の骨格に徹底的に合わせてディテールを丁寧に作り込んでいることが特徴だろう。

 日本人のかかとに合わせた小ぶりなヒールカップや幅の狭いヒール、繊細な土踏まずのライン、革の内側に糸を通した縫い目のさりげなさ。また、靴底のはみ出し部分(コバ)を削ってスマートに見せる日本独自の職人的な手仕事の技も盛り込まれている。全体のデザインとしてはビジネスの場で履けるベーシックな形が基本だが、足によくフィットして、かつどこか日本のシンプルで粋なセンスが漂っているように感じられる。

三陽山長銀座店 三陽山長銀座店
靴作りの現場 靴作りの現場

 

 靴といえば、履き心地を重視する個人的なこだわりがあって、実際には外国製の靴を選ばざるを得なかった。だがこの靴を履いてみた時のフィット感は、日本人としての贔屓目(ひいきめ)を差し引いても格別のものと思えた。

 ブランド発足からしばらくの間は一部の靴好きから注目される程度だったが、そんな中でも靴の型を少しずつ広げ、またベルトや革小物、靴下や傘、ステッキなどの紳士用品と品目の幅を広げる努力も続けてきた。いわばマニア向けのこだわり商品というレベルに留まっていたのだが、それがここ数年は「絶好調といってよいほど」という売り上げ増を見せている。今年上半期も対前年同期比2桁の伸びとのこと。

ドレススニーカー ドレススニーカー

 昨年2月に発売した、一見ビジネスシューズに見えるが軽くて衝撃性を吸収する新素材の中敷きやソールを使った「ドレススニーカー」が、東日本大震災が起きて徒歩帰宅者が多く発生したこともあってか、かなりのヒットともなった。この靴には三陽山長がいうところの日本的な「技・匠・粋」のコンセプトと、現代の日本のビジネススタイルと生活環境の変化への対応が同時に込められている。また、大量生産ではないので、修理も作った職人たちが直接担当する態勢になっている。そうしたことが評価されて、好調な売れ行きにつながっているのだろう。

 価格はたとえば代表的なストレートチップで5万5,800円、最上級のラインは10万円超と決して安くはない。だが明確なこだわりと必要なコストをかけて作れば、そうした製品は評価されてきちんと売れる、ということをこのブランドは証明しているのだと思う。コストや価格にあまりとらわれて品質を低下させたり海外に工場を移したり、円高を嘆いたりしているだけでは、デフレはいつまでたっても終わらない。

 三陽山長の直営店は3店舗、全国の百貨店でも協力店舗は7店しかないが、ネットでの販売も広がっている。規模は小さくても、きちんと作ったものはちゃんと売れるような環境も新たに広がっているのだ。そしてこのような例は靴やファッションに限らず、他の製品分野でも広がりつつあるし、もっと試みられてもいいのではないかと思う。

三陽山長 ホームページ http://www.sanyoyamacho.com/

 

◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。