伝統と本職に立ち返る老舗ブランドの新戦略

 

 7月のパリ・オートクチュールコレクションが終わってからこの夏にかけて、欧米の老舗ブランドの最高経営責任者(CEO)ら最高幹部の来日が目立つ。特にイベントなどがあったわけではなく、日本のジャーナリストやマーケティングの専門家などに会って市場としての日本の国内事情などについて色々とヒアリングをしたようだ。聞くところによると彼らはいま一斉に、日本市場での販売戦略の再構築を考えているらしい。去年は3月の東日本大震災の後でほとんど誰も来なかったのに、ずいぶん急な様変わりぶりだ。

 ラグジュアリーブランドは2010年代の後半から、中国やロシア、インドなどの新興マーケットへの進出を急加速してきた。新作コレクションの会場でもこうした国々からの観客の姿が目立ち、もう日本の時代は終わったのか、との感慨を抱かされたものだった。それだけに、今回の〝来日ラッシュ〟という変化には興味をそそられる。

 ここ数年の間にもう何度も、北京や上海での欧米ブランドの旗艦店オープンイベントに招待された。そしてそのたびに感じたのは、その場と街全体とのアンバランスな印象だった。ブランド店は高層のまばゆい現代建築が並ぶ中にあるのだが、少し外れて角を曲がると中国の昔ながらのアパートや市場がぎっしりと続いていて、人のたたずまいも違う。それを見ていると、海外ブランド店と中国のいわゆる一般的な消費者との間にはいったいどれくらいの距離があるのだろうか、と思ったものだった。

 上海で去年、直営店をオープンしたヨーロッパの高級時計ブランドのCEOは、「この値段の時計を買える中国人たちが、実際に中国の店でどれくらい買うだろうか」と語ったことを思い出す。その言外の意味は、中国に出店しても金持ちの顧客層はヨーロッパの本店や日本の旗艦店で買おうとするのではないか、ということだろう。その理由の一つは偽物商品の問題で、中国ではあらゆるレベルのコピー商品が出回っているため、たとえ直営店でも精巧な偽物が紛れ込むという話をよく聞くからだ。

 もう一つの理由は、価格の問題。中国やロシア、インドなどの経済発展が著しいとはいえ、1人当たりの所得は先進国よりはまだまだ低い。一部の富裕層が増えても、ブランド商品の顧客層が急速に広がることは期待できない。とすれば、売り上げを確実に伸ばすためには、購買力を意識して価格を下げざるを得ない。そのためにはコストを平均的に下げるしかなく、製品の質が低下してしまうことになる。高級品たるものが、それでもよいのか? そうなると、日本やアメリカの顧客はどう思うか?

 今回の変化の背景には、高級ブランドの経営陣のそんな危機感があるのではないかと思われる。フランスのあるブランドの幹部は「いま我々がすべきことは市場拡大よりも、価値ある高級品を届けるという本来の伝統に立ち返ることだ」と語っていた。実際に、今年の新作では伝統技術を駆使して作り込んだ力作を発表するブランドが目立つ。

 7月のパリ・オートクチュールでは、新任のラフ・シモンズがデザインしたクリスチャン・ディオールの新作ショーが大きな話題となった。前任のジョン・ガリアーノがユダヤ人への差別的発言で解任されその正式な後任がなかなか決まらなかった。だが今回の新作は、ディオールの伝統の技とエレガンスの感覚をラフの現代的なセンスでよみがえらせた、高級さと着やすさを兼ね備えたような力作だった。

 

クリスチャン・ディオールの2012年秋冬パリ・            オートクチュールコレクションより クリスチャン・ディオール 2012年秋冬 パリ・オートクチュールコレクションより
クリスチャン・ディオールの2012年秋冬パリ・オートクチュールコレクションより
新デザイナーのラフ・シモンズ クリスチャン・ディオール
新デザイナーのラフ・シモンズ

 

 ガリアーノの後でラフが決まるまでの2シーズンの間に発表されたディオールの服は、実は中国などでの売れ行きは悪くなかったという。とりあえずディオールっぽさを誇張したような印象だったのだが、欧米や日本での評価はあまりよいとはいえなかった。アントワープ出身の実力派で、後任の本命ともされていたラフ・シモンズによる今回の新作は、ディオールの今後の新たな世界戦略の考え方を示したものと考えてよいだろう。

 ディオールに限らず、オートクチュールの高級な作り込みを重視するような傾向は、他の高級ブランドでも強まっていくと思われる。イタリアのヴェルサーチが期間中に本格的なショーを開いたり、ディーゼルの傘下に入ったメゾン・マルタン・マルジェラがオートクチュールの正式会員として参加したりしたことも、そうした方向を示している。オートクチュールを再開するかどうかは不明だが、イヴ・サンローランが久々に復活の鬼才エディ・スリマンをデザイナーに起用して今後の新作に期待を集めている。

 伝統を生かして本職をきちんと作ること。欧米の有力ブランドが示そうとしているこの行き方は、ファッションに限らず先進国の産業の戦略として再考してみるべきヒントだといえるのではないだろうか。為替レートに一喜一憂しながら、コストと価格を優先したグローバル化だけが産業の生きる道ではないのだから。

 

◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。