「杉本博司 ハダカから被服へ」展 服へのマクロな視点で現代を考えさせる写真展

 

 ヨーロッパの信用不安は、世界の主要な証券会社や銀行の予想を超える負債の大きさを感じさせる。世界各地で次々と起きる自然災害、そして日本で起きた福島の原発事故による放射能被害の広がりへの不安。いまの産業社会は、もしかするともう避けきれない破滅に向かっているのではないか?個人的にそんな思いに駆られることもあるし、まだ少数ではあるが各界の識者からもそうした発言が出てきている。

 そんな中で、東京・北品川の原美術館で開かれている写真展「杉本博司 ハダカから被服へ」(7月1日まで、月曜日休館)は、衣服やファッションを人類の歴史というマクロな時間の流れの中で改めてたどることで、我々の産業社会の意味を問い直す視点を与えてくれる。

 展示作は杉本が撮影した各時代の衣装写真のほか、自身で脚本・美術・演出を手がけた文楽の人形や能楽の装束など約40点。裸姿の原始人類や服を着て家を作ったネアンデルタール人やクロマニョン人の模型を、当時の自然を背景に撮影した「ジオラマ」、歴史的衣装をろう人形に着せて撮った「肖像写真」シリーズ……。そして今回の中心となる近代ファッションの代表的な服をマネキンに着せて彫刻のように見立てた「スタイアライズド スカルプチャー」シリーズで構成されている。

「類人」©Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi 1994年 ゼラチンシルバープレート64.7×89.5㎝ 「類人」©Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi 1994年 ゼラチンシルバープレート64.7×89.5㎝

 杉本によれば、人間は服で性器を覆い発情を隠すことでより発情するようになり、恥じらいと隠ぺいのはざまで人の心が育まれた。そうして人の文化と社会が生まれ、服は人が私であるために着せ替え人形のように自分を装うための仮面になった。ジオラマや肖像写真シリーズでは、かつては人が裸で幸せだったかもしれない時代から、服が氷河時代を生き残るための手段になったり、闘いや権威の象徴に、そして富や誘惑を誇示したりするためのものになる過程がわずか10点ほどの写真で手短だが説得力をもって示されている。

 「スタイアライズド スカルプチャー」では、マドレーヌ・ヴィオネやシャネル、エルザ・スキャパレリ、バレンシアガといった、それぞれ特徴的に近代性を表現したデザイナーたちの服をマネキンに着せた写真。色を捨象したモノクロームの表現によって、服の素材感とフォルムがより強調され、デザイナーの意図と服そのものの美しさが浮かび上がってくる。そして、硬質なマネキンを覆う服はまるで皮膚のようにも思え、かえって生々しい肉体へのイメージを誘う。また、モノクロームの黒の色は露光時間を長くして何度も焼き込んだような複雑な厚みがあり、それが現代のミニマルアートのような深い精神性を服に帯びさせているようにも見える。

 その写真にはそれぞれ、杉本が自ら書いた長めのコメントのような文章が添えられている。シャネルの絹のシフォンのドレス(1926年)には、彼女が「孤児から身を起こし、幾多の恋愛を通じてパトロンを得、自らが働く女性として、働く女性のための新しいエレガンスを創作した」として、このドレスは「時代の先を見透かしているようだ」とある。

 ユダヤ人への差別的な発言でクリスチャン・ディオールから追われたジョン・ガリアーノのスーツ(1997年)の写真には、「華やかなファッションの世界とは裏腹に、毎年のように新しさを求める、意欲とその理由を失いそうな、今、を感じさせる」としている。

「スタイアラズド スカルプチャー011〔ジョン・ガリアーノ 1997〕」2007年 「スタイアラズド スカルプチャー011〔ジョン・ガリアーノ 1997〕」2007年
ゼラチンシルバープレート149.2×119.4㎝
「スタイアライズド スカルプチャー003〔川久保玲1995〕」2007年 「スタイアライズド スカルプチャー003〔川久保玲1995〕」2007年
ゼラチンシルバープレート149.2㎝×119.4㎝

©Hiroshi Sugimoto/Courtesy of Gallery Koyanagi
衣装は京都服飾文化財団所蔵

 

 また会場では、1970年代から80年代にかけてパリコレクションに殴り込みをかけた三宅一生や川久保玲ら日本人デザイナーの作品の写真のコーナーが設けられ、ヨーロッパで培われた近代のエレガンスの伝統に非西洋的な価値観を持ち込んだことの意味を具体的に紹介している。川久保の、19世紀末にヨーロッパで流行したバッスルスタイルをアクリルニットで揶揄(やゆ)するように造形したドレス(1995年)には「色のピンクも、裏切り感に満ちている」、また竹のようなアコーディオンプリーツの服(1998年)には千利休の一重切竹花入れを思わせるとして、利休が高価な花器の価値そのものをあざ笑ったことをこの作品の意図に重ねている。

 今回の企画は、杉本がこれまで「歴史の歴史」展、「アートの歴史」展などで展開してきた歴史を貫く視点を、服・ファッションを題材にしたことで、ファッションに新たな分析の角度をもたらせ、また我々に近・現代という枠組みから離れた視点からいま起きていることを考える必要性を訴えていることに意義があるのだと思う。

 こうした視点は、いまの産業社会の問題を考え、ことさら近代の枠組みから離れようとしない姿勢に対して反省することを促すものではないだろうか。もう物を作ったりその情報を伝えたりする側よりも、消費者の意識の方が先に進んでしまっていることが多く、マーケティングの課題などはその最たるものなのだから。

 

「杉本博司 ハダカから被服へ」
開催期間 : 2012年3月31日(土)-7月1日(日) 月曜休館
開館時間 : 11:00~17:00(水曜日は20:00まで・最終入館は閉館時間の30分前まで)
開催場所 : 原美術館
主    催  : 原美術館
公式サイト : http://www.haramuseum.or.jp/

 

 

◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。