苦難の道か?ディオールの新デザイナーと東電の新会長

 

 パリの代表的老舗ブランド、クリスチャン・ディオールの新デザイナーに、ベルギー出身の人気若手ラフ・シモンズ(44)が就任することが決まった。鬼才とうたわれたジョン・ガリアーノがユダヤ人への差別的言動を理由に解雇されてからもう1年もたっている。人選が難航していた東京電力の新会長に原子力損害賠償支援機構の下河辺和彦運営委員長が就くことが決まったが、どちらも以前なら喜びと誇りをもって受け入れられたはずの要請なのに、断られ続けた揚げ句の決定だった。

 ディオールのジョン・ガリアーノの後任には、ルイ・ヴィトンのマーク・ジェイコブスなど有力候補の名が何人もうわさにあがった。ディオールといえば、パリのエレガンスを代表する老舗ブランドの中でも、特に20世紀後半からの現代ファッションをビジネスの面でも牽引(けんいん)してきた筆頭格。同じLVMHグループのルイ・ヴィトンからマーク・ジェイコブスが異動しても不思議ではないと思われていた。彼でなくて、もう少し若手の才能のあるデザイナーが選ばれれば〝大抜擢(ばってき)〟とけん伝されたことだろう。

 いずれにしても、後任はもっと早く決まるはずだった。とりあえず元のデザインチームの一員だったデザイナーが制作したこの1年間の新作は、このブランドの過去作品を忠実になぞったようなものだった。いかにもディオールといった見栄えのせいか、中国やロシアなどでは結構よく売れたという。だが、欧米や日本のメディアや顧客の評判は芳しいものではなかった。

 ガリアーノの後任に名が挙がったデザイナーたちが引き受けなかった理由は伝えられていないし、それなりの事情がそれぞれあったことも確かだろう。しかし言えることは、ディオールのデザイナーという地位がもはやかつてほどの魅力をもたなくなってしまったという事実なのだと思う。

 それが意味することは、成長を続けることで発展してきた現代の産業社会が、ついに以前の一時的な大不況とはいえないような大きな曲がり角に差しかかっている中で、ファッション産業の大ブランドの位置も揺らぎ始めているということなのかもしれない。そして、そうした位置でデザインを引き受けることよりも、自由な場所で新たな時代に向けて創作をする方に魅力とより大きな可能性をデザイナーたちが感じていることを示しているのではないだろうか。

 ディオールの新デザイナーとなったラフ・シモンズは、ベルギー出身で家具デザイナーとして出発したがファッションに転向し、1996年にパリ・コレクションにデビュー。ベルギーのデザイナーに共通したテーラード技術とエッジの効いた前衛的なテイストを合わせた作風で人気を集めたが、一時は倒産して活動を中断するなどの苦労も経験している。2005年からは自身のブランドのほか、ミラノの人気ブランド、ジル・サンダーのデザインも担当していた。その才能はもちろん確かなものだが、今回のディオール就任には、彼の苦難に満ちた道のりがあったことは否定できないだろう。

ラフ・シモンズ氏 ラフ・シモンズ氏
ジル・サンダーでのラストコレクションから ジル・サンダーでのラストコレクションから

 しかし時代の大きな転換期の中で、それまでトップにいた企業が求めるものは自在に才能を発揮することではなく、ともすれば過去の成功体験に寄りかかりがちな安全策を基盤にした打開策だろう。東電がすでに原子力損害賠償支援という枠内で活動していた下河辺氏に求める役割もそうしたものに近いに違いない。この春には東電に限らず、ソニーやパナソニック、シャープなどのトップ交代も相次いでいるが、やはり同じような印象をぬぐえない。

 もし下河辺氏の原子力損害賠償や東電改革への意志が確かなものだとすれば、会長就任後は厳しいいばらの道になるほかない。同じように、ラフ・シモンズの創作への意欲と才能が確かなものだとすれば、彼は多分今まで以上の苦難の道を歩むことになるだろうとの思いを禁じ得ない。

下河辺和彦氏 下河辺和彦氏

 ラフ・シモンズを初めて見たのはパリのマレ地区で、同じころにデビューして恋人でもあったヴェロニク・ブランキーノの新作発表展示会で彼女を手伝ってバイヤーの注文を伝票に書いている姿だった。その様子はとてもほほえましく、同時に彼女の才能に対する真摯(しんし)な思いをも感じさせるものだった。そんな彼が、ディオールの数々の大きなプレッシャーに負けずに活躍して欲しい、とは切に思う。だが、それが結実する可能性は、下河辺新会長が東電を根本的に改革できる可能性と恐らく同じなのだ。

 

 

 

◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。