ベネトンの「キス写真」とバチカンの「侮辱感」の距離

 ベネトンが先月発表した広告用ポスターに対して、ローマ法王庁(バチカン)が法的措置も辞さないとの抗議をしたことなどでちょっとした話題となった。ベネトン側が一連のポスターのうち法王の分をすぐに取り下げたため騒動は収まったようだが、考えるべき問題はまだ残っていると思う。

 このポスターはベネトンが始めた「反・嫌悪(UNHATE)」キャンペーンの一環として作られたもので、各国の対立する政治的指導者がキスをしているように見える合成写真が使われている。オバマ米大統領と中国の胡錦濤国家主席、ドイツのメルケル首相とフランスのサルコジ大統領などといった組み合わせで、問題の写真は法王ベネディクト16世とイスラムのシーア派指導者だった。

※画像をクリックすると拡大して表示されます。

故・金正日総書記(北朝鮮)× 李明博大統領(韓国) 故・金正日総書記(北朝鮮)と
李明博大統領(韓国)
オバマ大統領(米国)と胡錦濤主席国家主席(中国) オバマ大統領(米国)と
胡錦濤主席国家主席(中国)
オバマ大統領(米国)×チャベス大統領(ベネズエラ) オバマ大統領(米国)と
チャベス大統領(ベネズエラ)
メルケル首相(ドイツ)×サルコジ大統領(フランス) メルケル首相(ドイツ)と
サルコジ大統領(フランス)

 ベネトンの趣旨は「人々や異文化間の相互理解を平和的に深めるため」とのことだったが、バチカン側は「法王の尊厳を損ない、信者の気持ちを侮辱するものだ」としてポスター発表のすぐ翌日に抗議を申し入れた。ベネトンは「趣旨からすると非難は予期していなかった」としながらも謝意を表明したが、そんなにすぐ謝ってよかったのだろうか。

 今回のキャンペーンのポスターの写真は、法王の分に限らずある種の嫌悪感に近い抵抗感を覚えさせることは確かだろう。だがその理由は、キスをしているのが男性同士だったり、不仲だと知っている同士だったりの組み合わせだからだ。もちろん作り手側はそのことは十分承知で、訴えたい内容に向けて写真を見た人を引き込むための媒介としてその抵抗感を利用する仕掛けだ。これは広告写真・映像の定番手法の一つにすぎない。

 アメリカやドイツの政府は、国家元首の写真が商業的な目的のために無断使用されることは好ましいことではないとの苦情を表明したが、それ以上の対策をとる姿勢は示さなかった。写真が個人的な人格や名誉を傷つけることを目的としたものではないことは明らかで、ベネトンのキャンペーンの内容に文句をつける理由はなかったからだろう。組み合わせの一つだった李明博大統領の韓国と急死した金正日総書記の北朝鮮も特に反応はしなかった。

 そうした中でバチカンと一部のカトリック信者だけが「侮辱」と受け止めて謝意と写真撤回を要求したのはなぜか? この写真のキスに性的なメタファーが示されているとは誰が見ても思わないだろう。憎しみを乗り越えようとの写真の趣旨に法王が反対だからとも思えない。だとすれば、その原因は写真の「抵抗感」によるものだったのではないだろうか。

 この程度の抵抗を「侮辱」と受け止めるのは、法王が絶対的に正しくて偉い存在であるためどんな抵抗感も許せないと思うからではないか。絶対的な正しさは批判や反論とは相いれない、というのはただの論理的帰結に過ぎない。それを現実的に主張するのは、独裁者か宗教的な狂信者かのどちらかだ。もし理念としての神は絶対的に正しいのだとしても、現実のローマ法王や法王庁がそうだというわけではないし、そうとも思ってはいないだろう。

 だとすれば、バチカンはもうこれ以上の抗議は「絶対者の誤謬(ごびゅう)」に陥る危険を避けるためにもやめた方がよいと思う。神の子のイエスは「汝(なんじ)の敵を愛せよ」とベネトンよりずっと前に言っていることだし。キリスト教とイスラムの勢力が対立している地域の問題は、法王とイスラム教指導者の仲が悪いというわけではなくて、現実的な利害関係から抗争を陰で操っている資本家や政治家のせいなのだ。ベネトンの写真はそういうことを言おうとしているのだから。

 ただし、米・独両政府が示した「商業主義的」な抵抗感という意味なら、バチカンの反発も部分的には了解できる。ベネトンは社会的問題を訴えた一連の広告キャンペーンを1980年代の後半ごろから展開し、ビジネス的な成功にもつながったことは確かだったからだ。しかし考えてみれば、社会的問題への関心を広く喚起したり商業的成功をおさめたりすることは、決して非難されるようなことではない。

パリの街角に掲げられた広告 パリの街角に掲げられた広告

 ベネトンがキャンペーンで展開したのは、エイズや人種差別、死刑制度、戦争の悲惨さなどだった。このキャンペーンを牽引(けんいん)したのはベネトンの広告ディレクターを務めていた写真家のオリビエーロ・トスカーニで、彼の活動は広告写真だけにとどまらなかった。ベネトンがイタリア・トレヴィーゾの本社に開設したデザイン学校を拠点に、問題を掘り下げる雑誌を定期的に発行したり世界各国で精力的に講演したりの活動を展開した。

 その活動は90年代にも続き、彼とは取材を通して何度もインタビューしたり、99年に原宿のストリートの若者たちの撮影に同行したりもしたが、その姿勢は社会の現実を深く掘り下げようとする真摯(しんし)なジャーナリストのものだった。

 こうした広告キャンペーンの手法はその後は定番化することでインパクトが低下してしまったが、世界が大きな混迷期を迎えたいま、もう一度注目されてもいいのではないだろうか。もしトスカーニが震災後の福島を撮影したら、などと想像してみるのだが……。

 

◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。