欲望と喚起する「伝統」と「自然」

 東北の被災地を回っていて頭をよぎったのは、ドイツの哲学者テオドール・アドルノの「アウシュビッツの後で、詩を書くことは野蛮である」、またフランスの哲学者ジャンポール・サルトルの「アフリカの飢えた子供たちを前に、文学は何ができるのか」という言葉だった。そして、この問いを「ファッションはこの震災の後で」と置き換えて色々と考え込まざるを得なかった。たとえば「ファッションどころではないのでは?」と考えると、半分はそうかもしれないが、もう半面では大きな過ちを引き起こす可能性もあると思うからだ。

 アドルノやサルトルは文学と向き合う姿勢に対する深刻な自己反省のニュアンスが強かったようだった。しかし、たとえ差し当たっての無力さやこれまでの姿勢への反省をかみしめる必要があったとしても、それでも何かを語ったり行動したりしてみようとするしかないのでは? まだほとんど片付いていない瓦礫(がれき)の光景を見ながらそんなことを考えていて、東京で開かれているファッション関連の二つの展覧会のことを思い出した。

ルイ・ヴィトンの森の写真を使ったテーブル板 ルイ・ヴィトンの森の写真を使ったテーブル板

 一つはルイ・ヴィトン六本木ヒルズ店で開催中の「ルイ・ヴィトンの森」写真展(31日まで)。音楽家の坂本龍一が率いる森林保全団体「モア・トゥリーズ」とこのブランドが協力して着手した同名の保全林作り(長野県小諸市、104ヘクタール)が3年目に入ったことを記念して、写真家瀧本幹也がこの森の四季折々の姿を撮り下ろした作品が展示されている。カラマツやアカマツ、白樺などが季節ごとに違う光や湿気の中で見せる繊細な表情が、あえて突き放したような律義で硬質な表現によってかえって生々しく迫ってくる。

 その森の美しさは、震災によってもなお損なわれなかった東北のリアス式海岸の緑の美しさと重なる。そして残された希望を象徴するかのような緑の美しさとは対照的な、破壊された海沿いの街々の人災ともいえる悲惨さを浮き立たせていた。人災とは、津波の高さが想定を超えていたとか、東京電力や政府の対応が稚拙で後手に回ってばかりいたという意味だけではない。もしかするとこんな災難が起きる可能性を否定できないにもかかわらず、効率や便利さを優先した結果として多くの命や生活が失われてしまった。そんな生活スタイルや街づくりをしてきた我々全体の責任という意味での人災というべきではないだろうか。

 そうしたことへの警鐘として、また残された希望の象徴という意味では、ルイ・ヴィトンのこの写真展はとても有意義なものだといってよい。また、フランスの高級ブランドが日本の片田舎での森作りに力を傾けていたことは、とても優れた先進的なパブリシティーでもあったと評価してもよいだろう。7月末に開かれた写真展のオープニングイベントで、来日したこのブランドの5代目当主パトリック・ルイ・ヴィトンは「我々はかばん製作で古くからずっと木と関わってきた」と語ったが、この言葉の意味は今とても深いように思える。

 オープニングイベントでは、坂本が「この森の音を思い出しながら作った」という新曲を、オーストリアのギタリスト、クリスチャン・フェネスとライブ演奏で披露した。また、トルコや中国、ハイチなど各国で震災プロジェクトに取り組んでいる建築家、坂茂が今回の東日本大震災への取り組みとして、避難所でもプライバシーを守るために考案したパネル仕切りや2、3階建ての仮設住宅の設計案などを紹介。瀧本の写真集「LOUIS VUITTON FOREST」(幻冬舎)も発売されている。

新曲を演奏する坂本龍一さん。ルイ・ヴィトン六本木ヒルズ店で 新曲を演奏する坂本龍一さん。ルイ・ヴィトン六本木ヒルズ店で
写真集「LOUIS VUITTON FOREST」 写真集「LOUIS VUITTON FOREST」

 もう一つは、28日まで東京・表参道のジャイルで開かれている「WAO~記憶の森~」展。日本の地域の伝統工芸を基盤にしながらもその枠を超えた現代的感性で作品作りを試みている作家たちの作品を展示している。今回は赤木明登(輪島塗)、坂本理恵(会津塗)、堀木エリ子(和紙)、Tatz Miki(阿波藍染め)の作品や、世界のラグジュアリーブランドと日本の伝統工芸のコラボレーション作品(たとえばフェンディと加賀象眼のキーホルダー)などを紹介。会場を伝統という「記憶の森」に見立て、月や花、光などをテーマに日本の美意識と現代感覚が溶け合ったイメージの世界を作り出した。

 この二つの展覧会で共通して強い印象を受けたのは次のようなことだった。いま世界中で起きている気候異変や自然災害、環境汚染、経済や政治不安といった先の見えない暗さの中で、地域の伝統や自然の美しさが切実に貴重なものだと感じることだ。もし今何を買いたいと欲望するとすれば、それは伝統や自然とイメージが強く結び付いたものではないかという気がする。

 

◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。