福島原発に関連するニュースは、このところ事故によって広がっている放射線量についての内容が比重を増している。野菜や牛肉の一部に基準値を超える量が検出され、それがどう出回っていて、その責任はどこにあるのか。といった報道が、テレビや新聞などで矢継ぎ早に流れ出している。原子炉や圧力容器の状態がまだ決して一段落したというわけでもないのに、こうしたマスメディアによる放射線汚染の情報は果たしてどんな結果をもたらすのだろうか。
まず感じるのは、これらの汚染情報がいくつかのレベルに折り重なった不安をかき立てることだ。この数値はどれくらい危険なのか? どうすれば汚染から逃れられるのか? もっと深刻な汚染が隠されているのでは? そんな風にいわば自己防衛的に受け止めると、まず自分や家族の安全・安心について考えてしまうものだ。それ自体は別にとがめられることではないだろう。しかし、自分の安全・安心を重視すればするほど、福島を中心とした現地の人々は結果としては厳しい状況に追い込まれてしまうのではないか? そしてもっと不安なのは、自分が福島や東北の現地の状況やそこで暮らす人々への想像力が欠けてしまっているのではないか?そのことがさらに深刻な事態を招いてしまうかもしれない、という恐れだ。
では、どうすればよいのだろうか? 個人的な寄付はしたが、まだ現地でのボランティアなどには参加していない。しかし、経済力や時間のやりくりには限りがある。現地への想像力を欠かさないようにしてどんな支援ができるのか? 自分がかかわっているファッションという分野ではどんなことが可能なのか、などと考えていたところ、東京の六本木ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTで「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」と題した特別企画展が開かれることを知った。(7月26日から31日まで)
この展覧会は、デザイナー三宅一生氏がこれまで仕事を通してかかわってきた東北地方の伝統的な手仕事の技を紹介する試みだという。雪の季節が長い厳しい環境のもとで、自然と共存する暮らしの中で工夫を重ねて力強く美しい日用品を生み出してきた、この地方の人々の「心」とその底力の強さに焦点を当てた企画だ。福島県大沼郡の「からむし、からむし織/昭和村」、宮城県白石市の「紙衣、紙布織/白石和紙工房」、山形県米沢市の「シナ布/原始布・古代織参考館 出羽の織座」など9カ所の「衣」に関するものづくりの制作プロセスや完成品、素材などを展示する。
また、三宅氏がデザインした東北との40年以上に及ぶかかわりから生まれた衣服の展示や、期間中は毎日、現地の人々が技術を語るトークイベントが開かれ、東北の「衣」に関するドキュメンタリー映像や各地の代表的な祭りの映像などの上映、音楽演奏、詩の朗読会なども行われるという。
この企画が意義深く思えるのは、それが三宅氏のこの地方との長いかかわりの体験に裏打ちされていることだ。参加した人々は今回の震災でさまざまなダメージを受けているに違いない。それは三宅氏自身の現在の仕事にも少なからずかかわっているだろう。だから氏にとっては、いま現地の人々がどんな状況に置かれていて、どんな思いでいるのか、ということが他人事ではなく感じ取れるのではないかと思う。この企画展は義援金やチャリティーイベントのような直接的な支援とは異なるが、現地の状況への想像力や今回の被災を自らの問題としても共に考えていくことが必要なことを知るための、大きな示唆となるのではないだろうか。
雑誌『一個人』が、「甦(よみがえ)れ!美しい東日本」という別冊特集号を出している。大震災の被害状況を伝えるのではなく、震災前の東日本の素晴らしさを再認識してそのことを伝えたい。そのために、東北地方のリアス式海岸の美しい(美しかった)風景や、地方鉄道の車窓からのパノラマ、名湯・秘湯、祭りや名物料理などを魅力的にかつ淡々と紹介している。雑誌の定価のうち100円は義援金とのことだが、この特集の「支援の力」はそれよりずっと大きなものになると思う。
繰り返し思うことは、いま大切なことは被災地のことを共に生きている自分の問題として想像力を働かせることだ。自分の周りだけの安全と安心を求めていると、それは必然的に被災地を排除してしまうことにつながってしまう。もし我々が放射線被害を恐れて、たとえば福島県産の食物を忌避するような動きが広がれば、それは必ず同じことが世界と日本との関係でも起きてしまうことにつながってくるだろう。支援とは排除の代償としての義務ではなくて、共感することなのだ。
◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。
1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。