民主党代表選挙が終わって菅新内閣が最初にやったことの一つが、6年半ぶりの円売りドル買い介入だった。円高がこのまま進めば輸出産業の収益が悪化して、雇用も減り中小企業も打撃を受けるというのが一般にいわれる理由で、そのこと自体は分かる。しかし、自国の通貨をむやみにドルに変えて価値を下げるようなやり方で対処することはよいことなのだろうか。
対外貨の為替レートを安くするということは、つまり自らを安売りすることだろう。しかし日本の産業・経済は安売りで輸出を無理に伸ばすしかないほど全体として本当に切羽詰まっているのだろうか。日本の対外収支は貿易でも資本収支でもかなりの黒字基調が続いているし、経済の輸出依存率も先進国の中では最も低い方に属している。円高で困るのは、一般に思われているよりも実はかなり狭い部分なのではないだろうか、という気もする。
もう一つの疑問は、円高は輸入にとっては明らかに有利になるわけで、その利点が「円高対策」という時にどれだけ考慮されているのか、ということだ。「為替レートが1円上がると、~億円の損」などと悲鳴を上げている輸出企業は、円高による資材の輸入価格の低下やデフレによるコスト減を本当にちゃんと差し引いているのだろうか?
輸入といえば、ファッション業界にとっては、円安は大いに困りこそすれ何の得にもならなかった。人気ブランドの多くは輸入ブランドだし、国内のアパレル産業は市場がほぼ国内限定なので円安は資材価格のコスト増にしかならなかったからだ。特にラグジュアリーブランドは、ユーロの高騰による価格アップは大きな試練だった。当初は対円レートで100円弱だったのが2007年ごろには170円近くまで上がったが、各ブランドは無理な値引きをせずに製品の価値をより魅力的に見せる努力を続けた。
ブランドによっては、ユーロ高の最盛期のころには価格高騰でかなりの在庫を抱えたところもあったようだ。あるパリのブランドのジャパン社の社長は「それでもセールは絶対にやらずに、歯を食いしばってサービス面での強化に努めた」という。そうした中でも、フランスやイタリアなど欧州のラグジュアリーブランドの業界が政府や中央銀行に対して対策を要望したというような動きは、知る限りでは決してなかった。
欧州のラグジュアリーブランドがこうした姿勢を保てたのは、長い歴史をもつ老舗企業としての利点や、記号的価値が重視されるファッション産業という特殊性もあるかもしれない。しかしその点を割り引いても、やはり学ぶべきことは多いと思う。そもそも日本の工業製品の多くは、既に高品質だとの評価を得ていたはずだ。バブル崩壊後の経済不況の中で、長く続けた不自然な金融緩和や円安誘導で、日本の輸出企業はそうした本来の姿を忘れかけているのではないだろうか。
国際決済銀行(BIS)が毎月公表している実効為替レートによれば、今年8月の円価は対ドルで戦後最高価の79円75銭だった95年4月と比べて31%も低い。今はむしろ円安になっていて、これまでがあまりにも超円安だったというべきなのだ。その超円安は一部の輸出企業に恩恵をもたらせただろうが、日本の産業全体にとってはコスト増を与え、消費者は購買力をそがれた。
デフレの克服には、消費の主力である家計部門の実質可処分所得を増やすことが必要だ。それには魅力的な商品をより安く買えることが必要で、円高はそのための有効な力になると思う。円高傾向でやや活力を取り戻しつつある日本のファッションのマーケットが示しているのは、魅力があって欲しいものが買いやすくなること、それが売れて業界が活性化するということだ。
「円高対策」というのは、円を安くすることではなくて、円が高くても売れるような産業のあり方を短期的、長期的な両面で真剣に考えることではないどろうか。安易な円安誘導はその場限りでのカンフル剤に過ぎず、少し長い目で見れば体力をより損なう結果にしかならないに違いない。歴史的に見ても、通貨の価値が安くなって長く栄えた国などないのだから。
◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。
1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。