ハーパース・バザー休刊が示す、消費社会の構造の大きな変化

『ハーパース・バザー』日本版 『ハーパース・バザー』日本版

 『ハーパース・バザー』日本版が10月発売の今年12月号で休刊になるとのこと。ハイエンドのファッション誌としては去年の『マリ・クレール』、今年の『ハイ・ファッション』に続く相次ぐ休刊となり、出版不況の中とはいえ、高級ファッション業界とそのマーケットが本格的な曲がり角にさしかかってきたことを示す一つの象徴的な現象といってよいだろう。

 ハーパース・バザーといえば、1867年に米国で創刊された世界でも最も長い歴史をもつ女性誌の一つ。南北戦争が終わって国内が安定し、産業社会化の進展とともに女性がファッションを楽しめる時代が始まったころにこの雑誌はスタートした。ちなみに『ヴォーグ』の創刊は1893年。1913年に新聞王といわれたランドルフ・ハーストがハーパースを買収した。30~50年代には伝説的な編集長カーメル・スノウのもとで、マン・レイやリチャード・アベドンといった名カメラマンが活躍して先端的な高級ファッション誌としての形を確立した。

 もっとも日本版の発行は2000年8月のことで、創刊10年。それほど歴史が古いというわけではない。日本では欧米系の女性誌は『エル』や『マリ・クレール』などフランス誌との提携誌が70・80年代から先行していて、米国系のハーパースや同じころに日本で創刊されたヴォーグ・ニッポンはいわば満を持しての後出しの登場という形だった。なぜ後出しなのかといえば、そのころ高級ファッションのマーケットは過去最高といえる盛況ぶりだったから。ついにヴォーグやハーパースも、と喧伝(けんでん)されたが、マーケットはすでに飽和状態になっていて下降に向かう前の最期のにぎわいだったのだ。

 そしてその時期は、ファッションの領域に限らず、マスメディアが大衆の商品への欲望を喚起することができてマーケティングの有効な手段ともなった最期の時期でもあった。とりわけファッションの世界では、ファッション誌というメディアは一種の業界内装置としてファッションシステムの中に強力に組み込まれていて、ファッション産業の進展に大きな役割を果たしてきた。ただし、ファッション誌がそうした業界内装置として働いた歴史は実はそれほど古くはない。

 本来はごく一部の富裕階級のものだった欧米の高級ブランドがグローバルな有力企業になったのは、せいぜい1970年代の後半以後のことだった。それ以前にライセンスビジネスという形を生み出して大きな収益をあげたことがきっかけだったが、それは高級ブランドの存在基盤を否定しかねない両刃の剣でもあり、多くのブランドは後でその契約解消に努めることになった。実際にブランドの急成長を促したのは、80年代のバブル景気に沸いていた日本市場への進出、そしてITや金融産業のバブル的な好況が続いた90年代のアメリカ市場の需要だったといってよい。

近年のファッション誌 近年のファッション誌

 近年のファッション誌の隆盛は、このような実需となる購買層との関係に支えられたものだった。だから、実需が低下してくれば雑誌は売れなくなるし、逆に売り上げの低下は商品が売れなくなってきたことの表れともいえるのだ。そして、こうした関係によって支えられていた雑誌のメディアとしてのクオリティーの低下も招く。最近のファッション誌のなりふり構わぬ付録攻勢は、そのことの表れでもあるだろう。

 ファッションメディアはこうした状況にどう対応していくのか? いずれにしても、ファッション誌の活字マスメディアとしての有効性は、高級ファッションブランドの購買層の低下とともに、メディアが消費を喚起するという意味ではもうとっくに崩壊しかけている。ハーパース・バザー日本版はそれが有効だった最期の時期に登場して、今度はその逆にその有効性の終わりを示す最初の先ぶれとなった、ということになる。

 とはいえ、ファッション誌がすぐに軒並み総崩れになるというわけでもないだろう。たとえば、マスメディアに左右される傾向が強い最後の世代であるバブル世代の〝アラフォー〟に向けた女性誌などはまだ好調が続いているし、テーストを明確にして読者層のターゲットを絞った若い世代向けのファッション誌はそれなりの安定した部数を維持できている。

 しかしだからといって、そんな雑誌のどれかが部数が急増して、それが勧める商品の売り上げも急に伸びるというようなことは多分もう起こらない。高級ファッション誌の動向が示しているのは、そういう消費社会の構造の大きな変化であり、皮肉なことだが、それが時代を敏感に映すファッションというものの大きな役割でもあるのだ。

 

◇上間常正氏は、朝日新聞デジタルのウェブマガジン「&」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。