サッカーのW杯南アフリカ大会で改めて印象に残ったのは、世界の一流選手たちの躍動する体の美しさだった。理にかなった無駄のない動きそのものというよりも、ユニホームと一体となったいわば「見た目の美しさ」に心ひかれた、というのが正直な感想だ。というのは、中には変なユニホームもあって、そういう時は見ていても興趣がそがれて、そのチームの選手がかわいそうだと思ったからだ。
そんなわけで、日本体操協会が発表した2010年の体操競技日本代表選手の公式ウエアの発表会に興味をもって出席した。今回のユニホームは日本の代表的デザイナー、コシノヒロコがデザインを担当し、ミズノが制作したものだった。「チョウのように美しく華麗に舞ってほしい」。そんな意図で、チョウをモチーフにした図柄、色は赤を基調に黒い線と白地がバランスよく配合されている。皮膚の伸び縮みや体の動きの大きい部分にゆとりをもたせる独自の裁断技術を使ったり、女子用のレオタードを2㎝ハイレグにしたりなど、機能面での工夫も盛り込まれている。
このユニホームは、なかなかの出来だと思えた。これまでのものは、覚えている限りでいえば、意図不明の図柄や色使い、選手の体を必要以上に覆うようなデザインが多かった。それと比べると今回はとてもすっきりしていて、「美しく見せる」とのねらいもはっきりしている。しかし、このユニホームにはある種の不満を感じさせられた。
あえて厳しい言い方をすれば、欠けているのは今の若い人のリアルな身体感覚や生活感といったようなものかもしれない。そのため、ウエアと肢体が一体となって醸し出すようなセクシーさが感じられない。発表会では日本の男女代表チームの選手たちがこのユニホームを着て姿を見せたが、どこか戸惑ったような感じで、彼ら自身がこれを「カッコいい」と思っている印象は受けなかった。
機能面では公式ウエアほどの厳しさは求められないのだろうが、最近はかなりおしゃれで本格的なスポーツウエアが増えている。たとえば、若い女性の人気ブランド、ステラ・マッカートニーのスポーツラインや、イッセイミヤケのデザイナーだった滝沢直己が去年立ち上げた「naoki(ナオキ)」などは、「美しくスポーツを楽しむ」という若い世代の感覚にマッチしたウエアとして大きな支持を集めている。
日本体操協会の公式ウエアにこのレベルでのファッション性をすぐに求めるのは酷なのかもしれない。おそらく、日本のスポーツ界の発想は今でも見た目の美しさなどは二の次とされていて、そうした中では今回の体操ウエアはよくやったというべきなのだろう。とはいえ、最近は水泳やゴルフ、陸上競技などでもおしゃれな一流選手が増えている。そうしたアスリートたちの競技で見せる美しさは、彼・彼女らのユニホームやファッション感覚と無縁ではないに違いないと思う。
そうした「見た目の美しさ」とは、鍛錬によって培われた体の動きや肢体そのもの、タフな精神がなければいけないし、また同時に、それを表現するウエアやファッション感覚もなければ成り立たない。
このことは別にスポーツに限ったことではない。ユニホーム=制服という意味でいえば、軍隊や消防などはともかくとして、市民生活に接触する機会の多い警察官や鉄道・交通の職員の制服なども、もっと見た目の美しさを追求してほしいと思う。機能、つまり与えられた役目を追求することはもちろん大切なのだが、それを一般の人々に対してどう表現するのかということは多分その見た目の美しさと深くかかわっているのではないか。「見た目は二の次」として機能だけを追求することで、何が損なわれていくか? そのことに注意してこだわりたいと思う。
制服ということでいえば、ビジネスパーソンのスーツだって同じだ。本来はとてもセクシーで細かいファッション感覚が必要なスーツが日本では多くが没個性的なただの制服にしか見えないのは、「大切なのは中身だ」と外見を二の次にしていた、日本が発展途上国だった頃の発想から抜けきらない人がまだ多いせいなのだろう。
スーツといえば、W杯で見かけた強豪国のチームの監督たちのスーツ姿は、一部の例外(日本も含む)を除いてみなセクシーでカッコよかった。それは多分、彼らがいわゆる中身だけのことを考えていなかったからだろう。
◇上間常正氏は、朝日新聞社の速報ニュースサイト「朝日新聞デジタル」でもコラムを執筆しています。
1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。