コピー問題と表現の自由 ファッション美術館での作品撤去

 神戸ファッション美術館で開かれた企画展で、ルイ・ヴィトンからのクレームによって出品作の一部が展示会場から撤去された出来事がネットなどで話題になっている。この問題は当事者にとっては、一方は登録商標権への、もう一方は表現の自由への侵害になるのだろうが、ニュースとしての出来事という観点からは、また違った側面が見えてくる。

撤去された岡本光博氏の作品「バッタもん」=岡本氏提供 撤去された岡本光博氏の作品「バッタもん」=岡本氏提供

 クレームを受けたのは、美術家の岡本光博氏が≪バッタもん≫と名付けて出品された作品9点。ルイ・ヴィトンのモノグラムやダミエなどを使って昆虫のバッタをかたどった一点もののオリジナル作品で、素材はほかにもシャネルやグッチ、コーチなど有名ブランドも含まれていた。

 この展示は「ファッション奇譚 服飾に属する危険な小選集」とのタイトルで今年4月15日から6月27日まで開かれた企画展で、ファッションのスキャンダラスな(危険な)要素、特にオリジナルとコピーのかかわりを問題意識として取り上げる意欲的な企画だった。また、服飾史に残るような作品をマネキンに着せずに、それ自体を一つのモノとしてオブジェのように並べた展示方法もこれまでの服飾展ではほとんどなかった試みだ。

 ルイ・ヴィトンのクレームは5月6日付で、岡本氏の作品がコピー商品でつくられていて、また登録商標権の無断使用にもあたる、として展示の停止を求めたとのこと。これを受けて、美術館を管理運営する神戸市産業振興財団はすぐ翌日、他のブランド分も含めた9点全部を会場から撤去してしまった。その決定にあたって財団と作者、ルイ・ヴィトンの間でどんなやりとりがあったのか、またはなかったのかは不明だが、展示側であるはずの財団が展示を守る方向で十分に努力をしなかったことは確かなようだ。

 新聞やテレビなどのマスメディアではあまり報じられなかったが、ネットでは美術関係者らも含めて賛否両論が起きている。表現の自由や作品への検閲にあたるとしてヴィトン側への非難もあるが、作品はまねし過ぎだとしてコピー問題に言及する声もあった。しかしこの賛否は議論としてはかみ合っていないようだ。というよりも、作品をコピー問題にからむ商品として抗議したヴィトン側と、コピー問題をテーマに作品として表現した作者の意図はもともと全く次元が違うからだ。

 この問題をヴィトン側からみれば、コピーによる莫大(ばくだい)な逸失利益を防ぐために多くの費用と手間をかけて摘発に努力してきた経緯から今回のクレームは当然の措置で、作品がクリエーションの水準でコピーなのかどうかまで踏み込む意図はなかっただろう。だが作者側からみれば、この問題は始めから当然クリエーションのレベルの話で、作品撤去は表現の自由を侵したことにならざるを得ないことになる。

 しかし今回の一連の出来事は、結果として双方にとってよかったと言ってよいのではないかと思う。ルイ・ヴィトンにとっては偽造品への大きな警鐘になったわけだし、作者・企画者にとっても創造とコピーの問題、また表現の自由への提起ともなったし、作品が話題になること自体も決して悪くはないからだ。それぞれのレベルで提起された問題は今後ももっと論議されるべきだが、今回の対立が訴訟問題にまで進むことはないと思われる。

 ルイ・ヴィトンはこれまで、スティーブン・スプラウスや村上隆、リチャード・プリンスといった先端の著名アート作家とのコラボレーションを数多く手がけてきたし、若手作家への支援や美術館建設にも尽力してきた。それが、アートを不当に侵害する企業だなどと言われるのは心外なことだろう。また、≪バッタもん≫が現実的にルイ・ヴィトンに大きな逸失利益となるとも考えられないからだ。

 今回のことで責められるべきなのは、財団があまりにも急いで作品を撤去したことだ。本来ならば作者そして美術館担当者と十分に協議して作品の意図を改めて共通認識した上で、ルイ・ヴィトン側と時間をかけて交渉すべきだった。それができなかったのは、アートの現場とそれを管理する文化行政の側に深刻な溝があって、それが結果的に表現の自由を損なったり無用な混乱を引き起こしたりした原因になったといってもよいのだ。

 ルイ・ヴィトン ジャパンにとっても即日の作品撤去は予想外のことだったようだ。あるスタッフは「美術館があんなに早く撤去してしまうとは思わなかった。作者や神戸市の人たちと必要があればいくらでも話し合う場と時間を考えていたのに」と語った。とはいえ、もちろん作品が撤去されなければ双方にとってもっとよかったと思う。

◇上間常正氏は、朝日新聞社の速報ニュースサイト「朝日新聞デジタル」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。