50万円以下のクルマの新しい価値

 家電やクルマなどの市場はこのところすっかり「エコ」ばやりのようだが、そのクルマのことでちょっとおしゃれでエコな動きが起きている。それを知ったきっかけは、すぐ近所の自動車板金塗装修理工場で見かけたクルマに心ひかれたことだった。

 それは小さな赤いプジョーで、全体がつやつやとしていて、持ち主が大切に乗ってきたことがひと目でわかるような感じだった。修理中かと思って近づいてみると、フロントガラスに「費用込み、30万円」とのラベルが付いていた。年式は約10年前で走行距離も60,000㎞を超えているが、黒地に赤いステッチが入ったファブリックのシートも清潔そうに見えた。

 価格のラベルの付いたクルマはまだほかにもあった。黒のメルセデス・ベンツのCクラスのセダン、もう1台も深紅のメルセデスでかつては「小ベンツ」などと揶揄(やゆ)されたが実は名車だった190Eタイプのスポーツセダン。年式はどちらもかなり古いが内外装はとてもきれいで、ラベルの価格は50万円以下だった。両方とも新車の時は500万円を超えていたはずだ。なにやら「いずれ劣らぬ名花」といった観に魅せられて、工場の人に声をかけた。

aaaaaaaaaaaaaaaaa プジョー(左)とメルセデス・ベンツ
aaaaaaaaaaaaaaaaa 「ほとんど奇跡」という190E

 売り物のクルマは、その工場の人が個人的なつてで仕入れたものだとのこと。年式からすればほとんどタダ同然だが、ワンオーナー車で「どれも本当に程度のいいクルマなんです」という。廃車にするのがもったいなくて、工場で細かい部分を徹底的に整備、ブッシュ類などの消耗部品は全部新しくして売りに出すことにしたのだそうだ。そして、「お客の反応も悪くない」とも。そういえば、最近この工場の前を通りかかった時にそんな感じで置かれていたクルマがあったことを思い出した。アウディの紺のアバントや、メルセデスのシルバーのEクラスワゴン……。どれもすぐに姿を消した。

 工場の人は「最近は中古車店などでも、50万円以下のクルマがよく動いている」と話してくれた。こうした動きは日本だけではないようで、特に程度のよいドイツ車やイタリア車の多い日本に注目して本国から仕入れにくるバイヤーが増えているという。

 理由は色々と考えられる。世界的な経済不況で新車販売の動きが鈍っていること。そして資源・環境の問題から考えれば、次々と新車を開発して販売を促進するやり方にはある種の再考が求められていることも事実だろう。日本では50万円以下なら自動車取得税がかからないという利点もある。しかし注目すべきなのは、「50万円以下の古いクルマの新しい価値」といったようなものに新たな目が向けられ始めたことではないだろうか。

 新しいクルマにはさまざまな新技術が、その中にはもちろん排ガスの浄化や燃費の向上、安全などの事故対策も盛り込まれている。しかしクルマの基本的な、走る・止まる・曲がる・丈夫といった性能はもう何十年も前にほとんど完成していて、特に名車といわれたようなクルマはそれが傑出したレベルに達していた。同じタイプのクルマでも、新型になるほどコストダウンの結果でむしろレベルが低下しているとさえいわれる。

 古い「名車」には、そんな高い性能がある。しかもたいていは、それだけでも50万円を軽く超えるような高級な革シートやシートヒーターなどの装備品が付いていて、乗り心地もよい。燃費の面でも、工場の人によれば「古いクルマは大事に運転するので、結果的にかなりよくなる」という。最近のエコカーは燃費がよくてパワーもあるので「安心して高速道路などでビュンビュン飛ばしていることも多い。実際にはカタログデータの燃費とはだいぶ違ってしまうこともある」。

 新車は確かに性能がよくて燃費もいい。「女房と畳は新しいほど~」とのざれ句がクルマの引き合いにされたことも多かった。しかし古女房とのいたわりつつの付き合いにはかけがえのない良さもある。いまの時代はそんな「古女房」のよさを見直すことがより求められているのではないだろうか。

 しかし問題なのは、新しい「古女房」となれるようなクルマの数がそんなに多くはなくて、むしろ一般的にはどんどん減っていることだ。近所の工場にあった深紅の190Eは「ほとんど奇跡といっていいくらいの程度のいいクルマ」なのだそうだ。まあ、上を見ればきりがない。大切なことは、古いものに新たな価値を見出すことだ。

 筆者も実は古くなったクルマの買い替えを考えていた。それで近所の工場にあったクルマに目が行ったのだが、考えてみたらうちのドイツ車にも捨てがたい魅力はある。50万円かけて整備したらぐっと若返るだろう、と思いつつ迫ってきた車検をまた取ることにした。

◇上間常正氏は、朝日新聞社の速報ニュースサイト「朝日新聞デジタル」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。