レナウンと中国企業の資本提携に求められること

提携発表の記者会見で。山東如意科技集団の邸亜夫会長(左)とレナウンの北畑稔社長 提携発表の記者会見で。山東如意科技集団の邸亜夫会長(左)とレナウンの北畑稔社長

 日本の老舗(しにせ)アパレルメーカー、レナウンが中国の繊維大手「山東如意科技集団」の傘下に入る、とのニュースが伝えられた。山東はレナウン株の約40%を保有し、3人の取締役を送り込んで経営にも直接タッチするとのこと。このところ中国企業による日本企業買いが相次いでいるが、いよいよファッションでもか、とやや複雑な思いにかられる。

 というのは、日本のファッション企業の今後の継続・成長には中国を中心としたアジア市場との連携がどうしても必要で、その意味ではどんな形にせよ今回のレナウンの成り行きはむしろ正解なのかもしれない、と思う一方で、もし経営の主導権を中国企業側が握ることになれば、それはまだ時期尚早で先行きは危ういという気もするからだ。

 ファッション産業には、何やら得体(えたい)のしれない部分も含めた膨大なすそ野の広がりがある。マーケットが成立するためだけなら、服装の自由とある程度の経済的余裕があればなんとかなる。しかしファッションの送り手というのは、時間をかけて成熟したマーケットの中からしみ出るようにしてしか生まれてこない。商品の企画やデザイン力はそうした長い時間の蓄積が必要なのだ。

 山東は1972年に毛織物工場として設立され、今では糸や生地製造から縫製まで手掛けるメーカーだという。欧米のファッションブランドに生地を提供したり日本のクラレとも糸や生地の共同開発をしたりしているが、ファッション商品を企画・販売するノウハウや人材はほとんどないのが実情だろう。山東は「レナウンの商品企画力を取り込むこと」によって、繊維メーカーから総合衣料品グループへの飛躍を目指すとしているが、そううまくいくだろうか?

レナウン「イエイエ」のCM レナウン「イエイエ」のCM

 レナウンは1902年に大阪で繊維卸売会社として創業され、60年代ごろから総合アパレルメーカーとして日本のファッション産業の牽引(けんいん)役を果たしてきた。ドライブウエイに春がくりゃ♪……という「イエイエ」や、アラン・ドロンを起用した「ダーバン」など、斬新な広告でも業界を超えた注目を集めた。そうした発信を支える自由な社風と多彩な人材も特徴だった。長期休暇を毎年とってパリに写生旅行をしたり、「僕は自閉症気味なので」と言葉少なく語ったりする人が広報部門のトップにいて驚かされたこともあった。

 レナウンの売り上げが頂点だった90年代始めには、世界のアパレル企業の中でも第4位、続いてオンワード樫山が5位。年間売上が1,200億円を超すアパレル15社のうち日本勢が7社も占めていた。企業としての収益性も当時は外国企業をしのいでいた。百貨店を中心とした委託販売と派遣店員という日本独特の商法が当時は効率的だったこともあるが、マーケットを国内に絞って輸出などに伴うリスクを避けていたことが大きな要因になっていた。こうした利点は時代が変われば逆に弱点にもなる。

 今回の提携によって、レナウンは山東の豊富な資金力と巨大市場・中国という大きな武器を手にすることになるが、それよりも問題なのは、業績不振を招いた実は根深い原因となっていたそれらのウイークポイントを、提携によって克服していけるかどうかにかかっているのではないかと思う。ファッション産業はお金とマーケットがあれば何とかなるほど甘くはない。

 とはいえ、レナウンと山東の業務提携は日本のファッション産業の今後の展開にとっては大きな試金石となるため、期待を持って見守っていきたい。少なくとも、日本が中国に飲み込まれる、などという浅はかな憤りなどはもつ必要はないだろう。

 心配なのは、レナウンが90年代後半ごろからの業績悪化の過程の中で、リストラなどで多くの人材を失ってしまったことや、のびやかだった社風がかなり損なわれたように思えることだ。このコラムのためにレナウンの昔のCMビジュアル掲載を依頼したところ、企画書の提出を求められた。それが悪いというわけではないが、以前のレナウンとは全然違うことは確かだ。

 レナウンの業績悪化は、北畑稔社長が語っていた「疲弊しつつあるビジネスモデル」によることも確かなのだろうが、それよりも「忘れ去られつつある良き社風」の生み出したものを再点検してみることが求められているのではないだろうか?

◇上間常正氏は、朝日新聞社の速報ニュースサイト「朝日新聞デジタル」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。