品質とスタイル ジャン・ルイ・デュマ氏がエルメスに残したもの

 アイスランドの火山噴火、ギリシャの財政危機などでヨーロッパ発の混乱が続いている。どちらも一応の対策によって何とか沈静化しつつあるようだが、影響は実はもっと根深く残っていくのではないかとの見方も多い。そんな中で今月初めに報じられた、エルメスの前会長ジャン・ルイ・デュマ氏死去のニュースは、ブランド産業の今後の課題を考える上で一つの大切なヒントを与えてくれそうな気がする。

ジャン・ルイ・デュマ氏(Photo:Edouard Boubat、提供:エルメス) ジャン・ルイ・デュマ氏(Photo:Edouard Boubat、提供:エルメス)

 エルメスといえば、ブランドの中のブランドともいわれ、フランスが誇る数多くのブランドのうちでも特に長い歴史をもつ。創業者一族の一人として生まれたジャン・ルイは、1978年にエルメスの第5代目会長に就任した。創業からこれだけの代になるとたいていはあまり使いものにならないのだが、彼は全くそうではなかった。むしろ、これまで出会った有力ブランドの経営者の中でも最も傑出した人物といってよい。そして、エルメスのブランドとしてのありようが、彼の知性や感性、また優れたビジネス感覚とも密接に結びついていた。

 いまでこそエルメスは最高級ブランドとして若い世代にも広く認知されているが、1980年代の初めごろまでは、日本でもごく一部の金持ちやファッション通ぐらいにしか知られていなかった。欧州の老舗ブランドの多くはそんなものだったのだが、エルメスは特に富裕な高齢者用の「終わったブランド」だと思われていた。そんな状況をしぶとくかつ果敢に打破したのがジャン・ルイだった。

 フランス最高のエリート養成校E.N.A(エナ、パリ政経学院)を卒業してアルジェリア戦争に従軍。インドや中東などを放浪後、アメリカの高級百貨店でバイヤーなどの経験を積み、エルメスでは職人見習いとしてスタートした。冒険精神や東洋の美術・工芸への深い造詣(ぞうけい)が彼の持ち味だが、会長としての手始めは広告によるブランドイメージの刷新だった。一人しかいなかった広告スタッフを増やし、若い女性をモデルにした下品すれすれの大胆なビジュアルなどで「驚きと製品への食欲」を誘った。

エルメス2010年秋冬コレクションの新作(撮影・大原広和氏) エルメス2010年秋冬コレクションの新作(撮影・大原広和氏)

 スカーフの図案の多様化と多色化、ケリーバッグなど定番商品のカラー展開などといった現代的なアピールも積極的に進めたが、一方で独自の職人技の維持・向上に大きな力を注いだ。エルメス伝統の技術だけに固執せず、世界各地の優れた職人芸の現場を訪ね、それを工房のスタッフに吸収させた。

 こうした手法は他の老舗(しにせ)ブランドでもだいたい共通していて、エルメスも含めて80年代以後は世界市場に向けて規模が急拡大した。しかしエルメスが他と違ったのは、多くのブランドがコンピューターの導入や分業化、生産工程の一部外注化などで生産効率を上げたのに対して、品質維持を最優先する姿勢を崩さなかったことだろう。主力商品であるバッグは、生産が注文に追い付かなければためらいなくオーダーストップした。

 ラグジュアリーブランドは大量生産化したことで品質やオーラの低下を招き、そして今、世界的な経済不況の中で規模拡大を前提としてきた経営環境の危機に直面している。そうした中にあって、「ファッションの命は短い。大切なのは品質とスタイルだ」との言葉を身をもって実践してきたジャン・ルイとその姿勢を受け継いでいるエルメスのあり方は、ファッション産業に限らず欧米や日本など各先進国の伝統企業には大きな示唆となるだろう。

 エルメスは1983年にエルメスジャポンを設立。ジャン・ルイは何度も日本を訪れ、京都や国内各地の伝統産地との技術交流にも力を入れた。90年代にはエルメスのデザインチームが数十人単位で何度も来日、各地でデザイン研修をしてその成果をさまざまな製品に反映させている。日本での売り上げは、爆発的ではないが着実な伸びを続けてきた。この2、3年のラグジュアリーブランドの不振の波と無縁というわけではないが、エルメスはその影響が最も少なく、そして今後も確実に生き残るブランドの最有力候補であるとの見方は強い。

 ギリシャの財政危機をきっかけとしてユーロ安円高基調になると、日本では対欧州輸出への懸念が言われ、「1円高くなれば~億円の損失」と嘆いて見せる輸出企業もある。しかしそれなら、ずっと続いていたユーロ高のころにはいったいどれだけ稼いでいたのだろうか? 1円でも高くなればすぐ商売に影響するほど品質には自信をもっていないのか? ジャン・ルイはユーロ高への不満などは決して口にしなかったし、エルメスの売り上げの伸びもユーロの為替相場とは無関係だった。

◇上間常正氏は、朝日新聞社の速報ニュースサイト「朝日新聞デジタル」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。