「景気乱気流」時代の、ユニクロの果敢な決断

 高級ブランドは売れないのになぜユニクロが絶好調なのか? 世界的な人気ブランドだったヨウジヤマモトがなぜ倒産してしまったのか。未曽有ともいわれる経済危機が世界を覆う中で、長く不況知らずともいわれてきたファッション市場でも、これまでの経験法則では理解しにくい現象が起き始めている。先月はじめ、ユニクロはパリのオペラ座近くの一等地に売り場面積約2,100㎡のグローバル旗艦店を開店し、その一週間後にヨウジヤマモトが会社更生法の申請を発表した。ほんの1年前にでも、限られた内部関係者を除いて誰がこんな出来事を予想できただろうか。

ユニクロ1
ユニクロ2

 ユニクロ・パリ店では、10月下旬になっても開店前に300人を超す行列ができていた。オープン前のキャンペーンは不況下では例外的な規模のもので、バスや地下鉄をはじめ街中での広告塔やフリーペーパーへの大々的な広告掲載、またロゴ入りのバゲット袋を市内のパン屋に配って町行く人まで広告塔に仕立てた。開店直前には、ポップなファッション街ともいわれるマレ地区に期間限定ショップを開店、パリの最先端の高級セレクトショップ「コレット」にコーナー展開も試みた。

 だがより効果的だったのは、規模ではなくてその中身のようだった。ユニクロ製品のスタイリングを提案した小冊子には、東京風のポップな着こなしをした日本人モデルが掲載され、広告のビジュアルもこれに沿ったものだ。店の内装もLEDのライトアップなどでハイテク日本のイメージを強調している。もう一つは、39.9ユーロ(約5,300円)のカシミヤセーターや9.9ユーロ(約1,300円)のジーンズと並んで、ドイツ人の有名デザイナー、ジル・サンダーがデザインした「+J(プラスジェイ)」が目玉商品になっていることだ。

 ジル・サンダーといえば、かつてはデザインの完ぺきさと高級素材の飽くなき追究で知られ、このブランドを傘下に収めたプラダ・グループが、コストアップに耐えられず彼女を追い出してしまったほどのデザイナーだ。価格志向のユニクロとは本来は水と油の存在だったはずで、その危うい(?)コラボレーションを前面に打ち出すには決断が必要だっただろう。

 現代マーケティングの泰斗(たいと)フィリップ・コトラーによると、いまやこれまでとは全く違う景気の乱高下が常態となる新時代に突入していて、企業は今までの成功体験にとらわれない戦略転換と選択的な思い切った投資が必要なのだという。ユニクロが今回パリで打ち出した高級ファッションへの接近や情報発信型企業への戦略転換は、そうした「乱気流の時代」に向けた果敢な決断といってよいのかもしれない。

 ただし気になるのは、既存の高級ファッション自体がすでに混迷の淵に立たされていていることだ。パリの優雅な手作りのオートクチュールのイメージを記号化して大量生産してきた現代の高級ファッション産業システムは、製品が本来の質とは実は異なってしまったという自己矛盾、そしてマーケット拡大がすでに頭打ちになってしまったことへの有効な打開策を見いだせないでいる。ここ数年のうちに世界のビッグブランドが次々と倒産してもおかしくないだろう。

 ヨウジヤマモトの倒産もその兆候の一つだ。1981年にパリ・コレクションにデビューしたこのブランドは、パリの伝統とは全く異なる日本の服飾文化の伝統を基盤にした無彩色でシンプルな作風の服で衝撃を与え、世界の前衛派の旗手としての存在感を示してきた。80年代以後の現代ファッションは、パリの正統とパリ以外の前衛派とのお互いに欠かせない協同作業で発展したものだった。しかし問題は、その共犯関係といってもよいような協同作業の中で、どちらもその本来の伝統の固有性を失ってしまったことだ。

 そういう意味では、ヨウジヤマモトのつまずきは現代の高級ファッション産業の状況を先取りした「前衛的な倒産」といってよいのかもしれない。

 いま、低価格を武器にファストフードをもじった「ファストファッション」と称されるアパレルブランドが売れ行きを伸ばしていて、ユニクロもそのカテゴリーに分類されている。しかしスウェーデン発の「H&M」やスペイン発の「ZARA」などが無国籍的なイメージなのに対して、ユニクロが日本発であることを打ち出したことには何らかの新しい可能性が期待できる。無個性で大量生産という面ではファストファッションと高級ファッションは実は同じ穴のムジナで、乱気流の時代には対応しにくいからだ。

 「ファッションは時代を映す鏡」といわれる。それは多分、流行や社会風俗の変化をうすぼんやりと映す鏡といったぐらいの意味に解釈されてきた方が多いだろう。しかしもっと磨いてみれば、もう少し深く時代や経済の姿を映し込んでいるかもしれない。そんな構えでこのコラムをつづっていきたいと思う。
 

◇上間常正氏は、朝日新聞社の速報ニュースサイト「朝日新聞デジタル」でもコラムを執筆しています。

上間常正(うえま・つねまさ)

1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリストとしても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。