Vol.4 TOTO「ウォシュレット」

 「おしりを拭く」から「おしりを洗う」へ。トイレ習慣にまったく新しい快適性を提供し、日本が世界に誇る温水洗浄便座のスタンダードへと成長したTOTO「ウォシュレット」。1980年の誕生以来、進化を重ねて今年ついに累計出荷台数3,000万台を突破した(※)。その独自性にあふれたイノベーション思想と歴史を、ウォシュレット生産本部 ウォシュレット第二部部長の井上修治氏に聞きました。

(※2011年1月時点)

開発の原点は、可能性にトライする企業文化

金森氏 井上さんは、社内でもっとも長くウォシュレットの開発に携わっているとうかがっています。開発部隊のある九州・小倉からお越しいただき、ありがとうございます。

井上氏 私のウォシュレット人生は、のべ24年ですね。でも最初の話となると1960年代までさかのぼりますので、「産みの苦しみ」は知らないのです。

金森氏 それは、ウォシュレットに前身的な製品があったというお話ですね。

井上氏

井上氏 はい。TOTOは、1964年から「ウォッシュエアシート」という医療用便座をアメリカから商社を通じて輸入販売していました。実はこれは水の温度管理などが不安定で、 改良がなかなか進まず、1969年ごろにライセンス契約をして国内生産に踏み出しました。1970年代前半までは、台数も月100台程度で、まだ注目される商品ではありませんでした。1975年に洋式の便器の台数が和式を上回って今後の拡大が期待される環境となり、加えて将来の清潔思考の到来を予測し、 1970年代後半に入り自社開発の決定がなされました。

金森氏 なるほど。しかし病院向けと一般用では、消費者の品質に対するハードルも変わります。企業として、「これはいける」という意思決定の背景は。

井上氏 ひとつは、TOTOの企業文化には「少しでも可能性があればトライしてみよう」という気風があるということです。それと当社は、日本に衛生的な商品を普及させることが、創業時の理念のひとつです。トイレに新しい快適さを提供する挑戦なら、自分たちが切り開こうという姿勢があったのだと思います。

金森氏

金森氏 そして、ウォシュレットが1980年に発売されます。まず不思議なのは、誕生時からGとSの2機種があることです。普通に考えれば、開発コストも余計にかさみますが。

井上氏 この2機種は、お湯を沸かすシステムが違います。ひとつはその場でお湯を沸かす瞬間式のS、もうひとつはあらかじめ温めたお湯をタンクにためておく貯湯式のGです。瞬間式のSは機能を絞り込みコストを抑えることが可能でした。逆に、 Gにはたっぷりとしたお湯を使える良さがありました。Gは上位モデルの位置づけで、暖房便座機能が付いていました。機能や価格でお客様に選んでいただく営業方針が、最初からあったのです。

水道工事店との連携で広めた「快適さの実感」

金森氏 スタンフォード大の社会学者ロジャーズは、イノベーションが普及するための5つの要件を挙げています。例えば「これは今までよりいい」と分かる相対優位性、「万年筆もよさがあるけど、ボールペンは便利だな」と価値観の移行期間がありながらよさが認識される両立可能性、「試したらよかった」といった試行可能性などです。ウォシュレットのことを考えてみますと、そもそも「お尻を洗う」という文化が以前はありません。よさを理解してもらうのが難しそうな商品が、これだけヒットしたのはなぜでしょう。

井上氏 これも伝え聞いた話ですが、営業マンが文字通りウォシュレットをかついで全国の水道工事店をまわり、「一回でいいから使ってください」と説明したそうです。当時は今ほど購入の選択肢がなく、壊れたら、近くの水道工事店に修理や交換を頼むのが一般的でした。それと同時に、テレビCMも積極的に展開しました。「おしりだって、洗ってほしい」のコピーが話題を呼んだのは、1982年のことです。

金森氏 「地上戦」と「空中戦」の両面からの伝達があったと。

井上氏 そうですね。また当時は「ウォームレット」という暖房便座のみの商品も売れていました。これが当時は約3万円。もう3、4万円プラスしていただければウォシュレットの普及タイプ、さらに4万円ほどのプラスで高級タイプをつけることができました。水道工事屋さんがセールスしやすく、お客様も分かりやすい価格体系だったと思います。ちなみにその頃の決め言葉は、「3回使ったらやめられませんよ」。まさに実感だと思います。

金森氏 ところで、もう一つの試行可能性として、初のウォシュレット体験がパブリックスペースだったという人も多そうです。私もこだわる方ですので、昔は自分の行動エリアでウォシュレットがあるビルをチェックして、そのリストが頭に入っていました(笑い)。

井上氏 パブリック向けのウォシュレットの発売は1991年からですが、それ以前もホテルやビジネスビルなどへの導入は進んでいました。パブリックには家庭用向けとは違う苦労があります。例えばホテルの客室はお湯はたっぷり使えても、電源がなかったり電気が嫌う多湿環境だったりします。また公共空間では多機能性よりも、清掃や管理のしやすさを納入者は重視します。環境に応じた機能のチューニングが必要なのです。もちろん、おっしゃるようにパプリックでの体験が購買に結びつくことも多かったようです。1987年から数年間、ウォシュレットのあるトイレを紹介する「ウォシュレットマップ」を販売促進用に制作していました。1987年というのは、累計台数100万台を突破した時期です。

井上氏 金森氏

井上氏 金森氏

今の「顧客満足」を超えて進化し続ける

金森氏 ウォシュレットは、「洗浄」「乾燥」「暖房便座」という基本3機能を誕生時から確立していました。その先のニーズは、どのように拾われていたのですか。

井上氏 順を追ってご説明すると、1983年に「ビデ洗浄」が追加されます。その次はにおい対策で、80年代後半には「消臭機能」が付きました。これは芳香剤を使い、定期的に交換するタイプでした。においは元から分解しましょうということで、90年代には業界初の「オゾン脱臭」が生まれました。大きな進化の合間にも、着座していない場合の誤作動を防ぐ「着座スイッチ」、「リモコン機能」など、細かく利便性を向上させています。

金森氏 90年代の前半には、ひと通りの機能は整ったわけですね。

井上氏 その後は、細かなチューニング系になっていきます。例えばノズルをムーブしながら洗ったら気持ちがいいとか、水量を強弱させてマッサージしながら洗ったほうがいいとか、ノズルの位置が調節できたほうがいいなどです。

金森氏 進化し続けようとするその発想と姿勢は、重ね重ね感服です。

井上氏 一言でいえば、当たり前になっている常識を疑うということですね。これは便器の話ですが、従来の便器は内周に水の通り道のフチがあり、そこに汚れがつきます。それを当たり前と、おそらくお客様も思っていらしたでしょう。でも、便器の技術者は、フチなし形状のトイレを作ればいいと考えた。ウォシュレットの進化も同じだと思います。

金森氏 なるほど。最近のマーケティングの世界では、「消費者のニーズだけを信じてはいけない」と、「顧客満足を忘れることも必要だ」ということが言われています。顧客満足のその次のところに企業はいかなければいけない。

基本機能からデザインへ、さらなるクリーンへ

井上氏 90年代後半の大きな進化は、1999年の「アプリコット」というデザイン性を高めたシリーズの誕生と、「ワンダーウエーブ洗浄」ですね。それまでのウォシュレットは、 どうも主張をし過ぎている。便器と一体となった時の見え方をもっと考えたほうがいいのではないか。そういう声が、当時新しく赴任した海外事情に詳しい部長や社員から出ました。デザインのレベルを上げるなら、まずデザインから考え、そこに必要な機能を入れ込むというこれまでとは逆の発想が必要でした。そして生まれたのが「アプリコット」です。組織に新たな血や違う視点が入ることも重要です。

金森氏 「アプリコット」というのは、操作部の“袖”がないモデルですね。

井上氏 それと、“湯量を減らす”ことも、大きな課題でした。北海道のような寒冷地では、水道水の水温度は1℃近くの場合もあります。瞬間式のウォシュレットがその水温から、家庭用の15アンペアのブレーカーが落ちない電力消費で適温の37.5℃まで上げられるのは、430cc。このわずかな量で、快適な洗い心地を提供するために生まれたのが、「ワンダーウエーブ洗浄」です。人間の目につけっぱなしに見える蛍光灯は、1秒間に約50回瞬いています。お尻はもう少し敏感で、1秒間に70回ぐらいの水玉が当たらないと、連続的に洗っている気がしません。「ワンダーウエーブ洗浄」は、強い吐水と弱い吐水を瞬間的に繰り返し、水玉を連射することで快適な洗い心地を実現した機能です。

金森氏 少ない水で洗えるというのは、環境にも貢献する機能です。しかし先人たちが優れた革新をされていると、後に続く人たちは大変ですね。

井上氏 現在の私たちの大きなテーマ、そしてトイレの永遠のテーマは、「グリーン」と「クリーン」です。それには見た目のクリーンもありますし、においのクリーン、そして肉眼では見えないほどの微細な領域でのクリーンもあります。新しいウォシュレットには、「電解除菌水」がノズル内の通水路とノズルの外側を除菌洗浄し、よりきれいなノズルを保つ新しい清潔機能が登場しました。電解除菌水というのは、水道水に含まれる塩化物イオンを電気分解して、一時的に除菌力を持たせた機能水で、水からつくって数時間で元の水に戻る環境にやさしいものです。

金森氏 それは素晴らしい。ただひとつ疑問は、快適性と利便性を追求し続ける中で、価格も全体的に上がってしまうことはないのですか。

井上氏 ウォシュレットの価格構成における大きな要素は、部品の費用です。部品をいかに小さく少なくするか。これは輸送効率にも関係しますが、まだまだ革新の余地があると思っています。ただ一方で、ウォシュレットには「ネオレスト」というフラッグシップ商品があり、これは品質、デザイン、機能のすべてにこだわり、今のTOTO の最新技術をお客様に伝えるモデルです。自動車メーカーほどではないですが、フラッグシップから普及モデルまで、お客様のニーズに応えられるラインアップがあり、そのすべてにTOTOらしい先進性と快適性がある。そのことは今後も貫いていきたいと思います。

井上修治

TOTOウォシュレット生産本部ウォシュレット第二部部長

1985年にTOTO入社、翌1986年から約10年ウォシュレットの開発に携わる。2年のブランクを経て、さらに今日までウォシュレット開発と共に歩む

取材を終えて

 ウォシュレットは「普及論」的に考えれば、その良さが理解されにくいイノベーションです。しかし、マーケティングの4Pの要素のうち、製品(Product)の難しさを、「販売チャネル(Place)の強力なプッシュ」「注目を集める(Promotion)」「もう少し費用を追加すれば手に入る、わかりやすい価格設定(Price)」という他の3つがカバーしました。

 ロングセラーとして「売れ続けるしくみ」は、飽くなき進化の追求にあるといえます。「おしりをキレイにする」という中核価値は発売当初にすでに備えていました。さらなる快適を実現する付加価値として80年代にビデや消臭機能を装備。その時点で十二分であるにもかかわらず、さらなる進化を目指し、「水のあたり方」など「個人の好み」に属する領域に踏み込んでいるのです。そして、進化はさらにその先へ。もはや顧客が知らない世界を目指し、自らの信じる「顧客ニーズ」や「顧客満足」から離れて見ています。

 多くの商品が成熟化し、競合商品との差別化をめぐって汲々(きゅうきゅう)とすることが多い製品戦略ですが、ヒット商品は「製品(Product)」だけで成立するものではありません。また、ユニークで競争力のある製品を作るためには、「一度離れてみる」という、いわば「離見の見」も必要であると教えてくれる事例です。(金森 努氏)


金森 努氏

金森 努(かなもり・つとむ)

有限会社金森マーケティング事務所取締役社長 東洋大学経営法学科卒。大手コールセンターに入社。本当の「顧客の生の声」に触れ、マーケティング・コミュニケーションの世界に魅了されてこの道20年。コンサルティング事務所、電通ワンダーマンを経て、2005年独立起業。青山学院大学経済学部非常勤講師(ベンチャー・マーケティング論)、グロービス経営大学院客員准教授(マーケティング・経営戦略)、日本消費者行動研究学会学術会員
金森氏ブログ「 Kanamori Marketing Office

HISTORY

1964年 アメリカンビデ社(米)の福祉器具
「ウォッシュエアシート」を輸入販売開始

「ウォッシュエアシート」 「ウォッシュエアシート」


1980年 国産の「ウォシュレット」を販売。
「Gシリーズ」「Sシリーズ」の2タイプで展開。

「ウォシュレット」 「ウォシュレット」

1982年に戸川純さん出演の「おしりだって洗ってほしい」のCMを放映し、話題に。


1985年 朝日新聞に掲載された広告。コピーは仲畑貴志氏

1985年9月17日付 夕刊 1985年9月17日付 夕刊


1987年 ウォシュレット一体形便器「クィーン」登場

「クィーン」 「クィーン」

便器とウォシュレットを一体化することで、すっきりしたデザインを実現。ウォシュレット累計出荷台数100万台突破。


1991年 ホテルなどの、住宅以外の用途向けの「パブリック向けウォシュレット」発売


1992年 朝日新聞に掲載された広告

1992年11月22日付 朝刊 1992年11月22日付 朝刊
1992年3月1日付 朝刊 1992年3月1日付 朝刊


1993年 タンクレスのウォシュレット一体形便器「ネオレスト」登場

「ネオレスト」 「ネオレスト」

大洗浄が8L、小洗浄が6Lの洗浄量を実現。(当時の一般便器は大小ともに13L)


1994年 朝日新聞に掲載された広告

1994年4月5日付 朝刊 1994年4月5日付 朝刊


1998年 ウォシュレット累計出荷台数1,000万台突破


1999年 ウォシュレットアプリコット発売

「ウォシュレットアプリコット」 「ウォシュレットアプリコット」

水玉で洗浄することにより、従来より少ない水量でしっかりした洗浄感の「ワンダーウェーブ洗浄」を搭載。


2000年 ウォシュレット一体形便器に「便ふたオート開閉」「オート便器洗浄」機能を搭載


2002年 ウォシュレット一体形便器に「NEWネオレスト」発売

「NEWネオレスト」 「NEWネオレスト」


2005年 レストルームを香りと音でさらに快適にする「オートフレグランス」「オートサウンド」機能を搭載

ウォシュレット累計出荷台数2000万台突破。


2006年 掃除がしにくく、汚れが見えにくかったウォシュレットの
ふち裏をなくした「ふちなしウォシュレット」を搭載

「ふちなしウォシュレット」 「ふちなしウォシュレット」

2002年に発売した「ふちなし形状」の便器に続き、清掃性に配慮した機能。


2008年 便座と便ふた内部に断熱材を挟みこみ、
暖めた便座の熱を逃がしにくくする「ダブル保温便座」を搭載

「ふちなし形状」 「ダブル保温便座」

便ふたを閉じると、約30%の節電になる。


2010年 ウォシュレットが発売30周年を迎えた


2011年

電解除菌水でノズルを洗う「電解除菌水ノズル洗浄」や、広い範囲をやさしくサッと洗える「ワイドビデ洗浄」といった清潔性に配慮した機能を搭載した新商品を、2月1日発売。

※ウォシュレットはTOTOの登録商標です。