Vol.9 旭化成ホームズ「ヘーベルハウス」

 鉄骨と軽量気泡コンクリートパネル「ヘーベル」を建材に使用し、耐震性、耐火性に優れ、60年先まで快適に住み続けられる「ロングライフ住宅」を提供する「ヘーベルハウス」。1972年の創業以来、ライフスタイルの新風をいち早くとらえ、「二世帯住宅」という言葉を生み出すなど、画期的な間取りの提案を続けてきました。マーケティング本部 営業推進部課長の中村干城氏に聞きました。

「新素材」「高級」をキーワードに差別化集中戦略を徹底

金森氏 ヘーベルハウスは来年で創業40周年を迎えるそうですね。まずは創業時の話を聞かせてください。

中村氏 当社の歴史は、建材販売から始まりました。母体である旭化成が、65年に旧西ドイツのヘーベル社からの技術導入により、ヘーベルというALCパネル(Autoclaved Lightweight Concrete=高温高圧蒸気養生した軽量気泡コンクリート)を国産化。この建材を使って住宅事業に参入するため、72年に旭化成ホームズを設立しました。高度成長期のまっただ中で、大量生産、大量供給の時代です。住宅市場も、建てれば売れる、売れるから慢性的に数が足りない、という状況で、国策のもと、熟練の大工に頼らなくても完成するプレハブ住宅の需要が拡大していました。ただ、安価に早く建てることに主眼が置かれたため、「プレハブは安かろう悪かろう」というイメージがつきものでした。そうした中、後発参入組であった当社は、優れた建材と高級な造りで独自性を打ち出していきました。

金森氏 「新素材」「高級」をキーワードに差別化集中戦略をはかったということですね。となると、ターゲットは富裕層であったと?

中村氏 そうですね。具体的には、大阪を出身地とする住宅メーカーが多かった中、東京を拠点とし、所得係数の高い首都圏エリアをターゲットとしました。

金森氏 地域独特のニーズを吸い上げやすいというメリットもあったのでしょうね。

中村氏 ヘーベルという建材は、まさに首都圏エリアに向いたものだったんです。耐震性、耐火性に優れ、都心の密集地域においてシェルターの機能を発揮できるところが。

金森氏 実は、私は東京の下町育ちで、実家の周辺は住宅過密地域です。そして、ヘーベルハウスのお宅がとても多いんですよ。

中村氏 まさしくターゲットエリアです(笑)。

金森氏 80年には、「二世帯住宅研究所」を設立されました。その経緯について、教えてください。

中村氏 二世帯住宅そのものは、75年にすでに商品化していました。核家族化が間取りとして出現し始めていたのです。「親世帯と息子世帯が別々のキッチンを持とうとしている。この傾向は社会性を持つのではないか」と考え、「二世帯住宅」という言葉を発案し、「二世帯住宅研究所」の設立に至りました。

金森氏 研究所の活動内容は?

中村氏 年間8千棟を建てるとすると、注文住宅なので、8千通りの間取りが出てきます。それを比較検証し、実地訪問をしたうえで新しいニーズを探り当て、大量供給が可能なプレハブ住宅の特性を生かして標準化していきます。

金森氏 「人間データマイニング」といったところでしょうか。ニーズありきだからこそ、時代の変化に対応できるんですね。

中村氏 そうです。設立当初は、公共放送とのシンポジウムや新聞連載を通じて研究内容を発表するなど、二世帯住宅の啓発活動も積極的に行っていました。

金森氏

金森氏 私は、80年設立と聞いて、バブルのさかりで地価の高騰が止まらない中、家を買えない若い世帯にアピールするための商品だと思っていました。

中村氏 それも当たっています。二世帯住宅の需要のピークはバブル期で、都市部で若い夫婦が家を持つのは難しいので、一気に需要が高まったのです。

金森氏 その時、75年からの間取りの蓄積があったというのは大きな強みでしたね。

中村氏 はい。当時は親世帯と息子世帯の同居が当社の場合は7割強、両世帯の奥様ともに専業主婦という家庭が7割弱でした。となると、いかに嫁姑問題が起きないようにするかが重要で、「ナイスセパレーション」という言葉を創り、コミュニケーションしました。「生活を分けたほうが気持ちが近づきますよ」と、言いにくいことをはっきり言ってしまったのです。

金森氏 施主の気持ちに寄り添うすばらしいキャッチフレーズですね。その当時、競合に対する御社のポジショニングに何か変化はありましたか?

中村氏 大きな変化はなかったと思います。使う素材を鉄骨とヘーベルに限り、量塊感のあるデザインメソッドを貫くことで、独自性を保っていました。独特な住宅デザインが苦手な方もいますが、あえて変えないことで競合との距離を取り、ファンの拡大を目指しました。

金森氏 現在のシェアは業界で何番目くらいですか? 首都圏中心なので、全国展開の住宅メーカーとは単純に比較にはならないとは思いますが……。

中村氏 東京都の着工戸数は1位です。売り上げでみると全国では4位です。

金森氏 業界をけん引するメーカーとして、全方位的にビジネスを広げる可能性もあると思いますが、差別化集中戦略をとことん徹底していますね。

中村氏 実は、95年から5年ほど、木造構造の商品ラインアップを持っていた時期があったんです。バブル崩壊後、商品の幅を広げるべきではないかという判断からです。最後は黒字化もしたのですが、強みに集中する、ということになり、結局「鉄骨+ヘーベル」に一本化しました。

金森氏 そうした意思決定を、数年の間にされたのは見事だと思います。「選択」はしても「集中」はしないという企業が多い中、「やらないこと」をしっかりと決断されている。戦略論の模範ケースになりそうなお話です。

中村氏、金森氏

中村氏、金森氏

住宅メーカーにしてAMTULの法則を実践

金森氏 御社は「ロングライフ」という言葉を長く使っていますが、いつ頃から使い始めたのですか?

中村氏 ハード面においては、「耐久性」「長持ち」といった言葉で訴求していましたが、設計、デザイン、アフターメンテナンスなど、ソフト面のサービスも「ロングライフ」という言葉に集約し、訴求し始めたのは98年です。きっかけは、同年開始した「50年点検システム」でした。家の耐久性や安全性を築50年まで点検するというもので、10年点検が一般的だった市場を驚かせた取り組みです。

金森氏 「50年点検」というのは、大胆な発想ですよね。業界側としては、10年くらいで手離れしたいところだと思うのですが……。

中村氏 業界から多くの反発がありました。「30年程度で建て替えてもらったほうが業界が潤うではないか」と。社内にも、「そんなに長期間のアフターサービスを実現できるのか」という声がありました。ただ、当社は創業後1棟目からの点検履歴を保有していて、それは業界でもまれなことでした。それ以降も長年の点検データの蓄積を通じて、長期耐用住宅であることが現物をもって確認できる時代になり、さらに95年の阪神大震災でヘーベルハウスの強度が実際に証明されました。

金森氏 ちなみに、トヨタのプリウスが初登場したのが97年で、エコブームが一気に盛り上がりましたが、「ロングライフ」の開始は、その時期にもピタリとマッチしますね。

中村氏 そうなんです。当時は省資源化、産業廃棄物の削減など、地球環境問題への意識が高まっていました。また日本の家の寿命は30年弱で、家一軒の解体は家庭のゴミの20年分に相当するともいわれていました。そうした中で、「ローンを払い終わった頃にまた建て替えではなく、はじめに長持ちする家を建てればライフサイクルコストの観点から住宅投資を最小限に抑えられ、省資源にもつながる。家は消費財でなく、資産と捉える時代です。」という概念を、「ロングライフ」という言葉に込めて世の中に宣言したわけです。現在は「60年点検」を標榜(ひょうぼう)しています。

金森氏 一般的な住宅販売業者の態度を見ると、売るまでが一生懸命で、マンションなどは管理会社が変わるとつながりが途絶えてしまうこともあります。購入までをフォーカスするAIDMA(Attention・注意/Interest・関心/Desire・欲求/Memory・記憶/Action・行動)の法則に沿った売り方です。しかし、御社の場合は、購買後の長期的な態度も見据えるAMTUL(Awareness・認知/Memory・記憶/Trial・試用/Usage・本格的使用/Loyalty・ブランドの固定)の法則にしっくりくるような気がします。もっとも、住宅は「Trial・試用」ができません。そこで御社は、ヘーベルハウスで何十年も暮らしている家庭に、住宅購入を検討している人たちを招く見学会を行っていますよね。これがトライアルの役目を果たしていると思うんです。

岡田氏

中村氏 見学会は、大変ご好評をいただいています。まず、ハードが売りなので、建築中の骨組みを見ていただく見学会、さらに、新築物件の見学会、築30 年のお宅の見学会と、3パターンを用意しています。築30 年の見学会は、新築よりも驚嘆される方が多く、ハード面だけでなく、「築30年でも無料で点検をしてくれるんですか?」などと、アフターサービスに感心してくださる方が大勢います。今の時代はソーシャルメディアなどを通じて感想を聞くことも可能ですが、住んでいる方の直接の言葉の説得力にまさるものはないと考えています。

金森氏 「Usage」「Loyalty」という観点からすれば、「長期点検制度」などのサービスは実に有意義だと思います。マス広告の訴求という空中戦を展開しながら、社員がしっかりと購入後の地上戦もおさえていますよね。おそらく購買動機には、「紹介」が多いのではないでしょうか。

中村氏 はい。直接紹介だけでなく、「ヘーベルハウスに決めようと思っている」という話を聞いた方が、「実はうちもヘーベルハウスで、建ててよかった」「知人の家がヘーベルハウスで、とてもいいらしい」などと後押ししてくださる例も多く見られます。当社では、全国で年間延べ400回以上の「住まいの学習塾」を無料開催し、換気扇の掃除法や、フローリングのワックスのかけ方など、住まいの日常のお手入れ方法をご紹介しています。こうした取り組みに人員と予算をかけているのも独特ではないかと思います。

金森氏 それが家への愛着につながり、オーナーからの直接紹介や後押しにつながっているのでしょうね。

マスコミュニケーションは新聞広告を重視

金森氏 マスコミュニケーションについても聞かせてください。

中村氏 マス広告は、新聞にかなり力を入れています。ヘーベルハウスの創世記を支えてくださった団塊世代以上の読者が多く、55歳以上のご契約者でみると今も約3割のシェアを占めています。しかも、そのお子さん世代が家を求める時代にさしかかり、団塊世代に後押ししていただく意味でも、新聞はとても重要なメディアなのです。また、住宅業界は、消費税引き上げの影響をまともに受けやすく、先々の増税を見据えた時、ローンを組まずに購入可能な団塊世代へのアプローチは必須と考えています。

金森氏 「Awareness」「Memory」をしっかり取っておくということですね。確かに御社の新聞広告はとても強く印象に残っています。まさにAMTULの各段階をきっちりふまえた戦略といえるのではないでしょうか。

※画像は拡大します。

2011年9月9日付 朝刊 旭化成ホームズ 2011年9月9日付 朝刊
011年10月14日付 朝刊 旭化成ホームズ 2011年10月14日付 朝刊
2011年11月11日付 朝刊 旭化成ホームズ 2011年11月11日付 朝刊

中村氏 最近のコミュニケーションは、3階建て住宅を積極的に訴求しています。3階建て住宅の普及は、全国の住宅の約8%程度ですが、東京では3割近くになります。そこに広告投資ができるのも、3階建てのニーズの多い首都圏をターゲットとしているからで、また、二世帯住宅と3階建て住宅の相性のよさもあります。

金森氏 広告コミュニケーションにおいても独自性を貫いているんですね。ちなみに、二世帯住宅は、現在何%くらいのシェアなのですか?

中村氏 20%強です。キッチンが2つある家を二世帯住宅と定義していますので、同居型を含めるとパーセンテージはもっと上がります。また、以前は息子夫婦との同居が7割強を占めていましたが、現在は娘夫婦との同居も同等になり、キッチンを共有しても問題のない家庭が増えています。共働き率も高いため、わざわざ暮らしを分けるよりも、親世帯と孫が交流しやすい空間づくりが求められるようになっています。

金森氏 なるほど。今後、間取りにおいても、コミュニケーションにおいても、そうした新しい暮らしのあり方を提案していくことになりますね。

中村氏 すでに「i_co_i(イコイ)」という商品も打ち出しています。共働きの子育て家庭と、核家族を経験し、働く女性に理解があり、自分たちもまだまだ元気で活発な親世帯家族が、「交流空間」「協力空間」「自分空間」を持ち、それぞれ自分らしく生きながらも、3世代で一緒に過ごす時間を楽しめる住宅です。  さらには、「2世帯+未婚の息子さん・娘さん」という同居のあり方も増えています。ひと昔前は、「パラサイトシングル」というネガティブな表現をされましたが、実態を見てみると、仕事をなさっていて、とても親子仲がよく、幸せに暮らしている家庭が多いんです。言いにくくて言えないことをポジティブな価値観に転換してきた当社としては、「+未婚の息子さん・娘さん」という新しい現象についても、明るくメッセージしていきたいと考えています。

中村干城

旭化成ホームズ マーケティング本部 営業推進部課長

1993年入社。現場で営業担当、エリアの店長、所長を経て、2008年にマーケティング本部営業推進部に。主に広宣・販促を担当し、2010年より現職。

インタビューを終えて

ヘーベルハウスのマーケティングは4Pで考えても非常に整合性が高いのが特徴です。

・製品(Product)=ヘーベル+鉄骨の特性に絞り込んで施主のニーズにピッタリと合う設計を行い、しかもロングライフを実現。
・価格(Price)=価格はちょっと高め。施工シェアにこだわるのではなく、ターゲットエリアの高価格需要層に絞り込むことによってハイスペックな商品を実現している。
・販路(Place)=あくまで直販にこだわり、施主の高度なカスタマイズ要求に応えられるようにしている。
・広告(Promotion)=新聞広告でAMTULのA→Mをしっかり獲得し、見学会で体験=トライアル(T)を実現。施工後は担当者の手厚いフォローでU→Lを獲得する。

 マーケティングはどこか1カ所がうまくいっていても、長期的な成功は実現することができません。上記のような「整合性」も、ヘーベルハウスのロングセラーのヒミツの一端だと考えられます。 (金森 努氏)


金森 努氏

金森 努(かなもり・つとむ)

有限会社金森マーケティング事務所取締役社長 東洋大学経営法学科卒。大手コールセンターに入社。本当の「顧客の生の声」に触れ、マーケティング・コミュニケーションの世界に魅了されてこの道20年。コンサルティング事務所、電通ワンダーマンを経て、2005年独立起業。青山学院大学経済学部非常勤講師(ベンチャー・マーケティング論)、グロービス経営大学院客員准教授(マーケティング・経営戦略)、日本消費者行動研究学会学術会員
金森氏ブログ「 Kanamori Marketing Office

HISTORY

1972年 「ヘーベルハウス」誕生

1960年代、高度成長期の日本。東京など大都市圏は、深刻な住宅不足の状況にあった。旭化成は建材事業への参入を目指し、1966年、旧西ドイツのへーベルガスベトン社から軽量気泡コンクリート「へーベル」の技術を導入。この「へーベル」と鉄骨軸組工法を組み合わせた「ヘーベルハウス」を1972年3月に発売し、11月に「旭化成ホームズ株式会社」が誕生した。


1975年 「二世帯住宅」販売開始

aaaaaa 昭和50年代初期の二世帯住宅

親子同居が当たり前という社会から、家族や家に対する考え方が大きく変わりつつあった時代。そこにいち早く着目し、「二世帯住宅」という新しい考え方を世の中に広めたのも「ヘーベルハウス」だった。1980年には「二世帯住宅研究所」を設立。以来、「ヘーベルハウス」は、ペットと暮らし、高齢者対応、家事・収納、共働き家族・子育て、熟年家族などさまざまな研究を行っており、その成果を商品や設計テクノロジーとして結実させている。


1981年 「3階建て住宅」販売開始

レガシィツーリングワゴンGT 昭和50年代中期の3階建て住宅

「ヘーベルハウス」が3階建て住宅の開発を始めたのは1978年。重量鉄骨ラーメン構造による3階建て試験販売・標準化に取り組み、1981年、東京地区で初めて販売を開始した。その後、都市部において3階建て住宅のニーズが始まったことから、軽量鉄骨3階建て住宅を全国販売した。


1998年 「ロングライフ住宅の実現」を宣言

1994年、住宅関連企業などで構成される「21世紀住宅研究会」を主宰し、良質な住宅ストック形成のための提言を行った。「ヘーベルハウス」は定期的な点検と適切なメンテナンスを行えば基本性能を半世紀以上持続できると判断し、1998年、業界に先駆けて「50年点検システム」を導入。新事業戦略ビジョンとして「ロングライフ住宅の実現」を宣言した。


1999年 「ストックヘーベルハウス事業」開始

「ロングライフ住宅の実現」に向けたサービス拡充の一環として、暮らしの変化に伴う住み替えニーズに着目。1999年、「ヘーベルハウス」の中古住宅「ストックへーベルハウス」の仲介事業を開始した。適正な評価に基づく中古住宅流通市場を形成するという試みは、中古住宅の流通量が少ない日本では画期的だった。


2007年 「住宅総合技術研究所」開設

「ロングライフ住宅の実現」に向けた基礎技術研究や商品開発のため、2007年、旭化成グループの研究開発施設が集中する静岡県富士市に「旭化成ホームズ住宅総合技術研究所」を開設。旭化成グループの最先端技術との融合により、さまざまな新しい価値を生み出すことを目指し、研究・開発を進めている。


☆ヘーベルハウス デザインバリエーションのラインアップ

「ヘーベルハウス」公式ウェブサイト http://www.asahi-kasei.co.jp/hebel/index.html/

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