Vol.10 明治「明治ブルガリアヨーグルト」

 ブルガリアで育まれてきた伝統のヨーグルトを1971年に日本で初めて発売。市場にはプレーンヨーグルトというカテゴリーがまだなく、消費者の「すっぱい」「甘くない」という反応からスタートした「明治ブルガリアヨーグルト」は、「ヨーグルトの正統」というポジショニングを維持しながらシェアを拡大。日本の食文化に大きな影響をもたらしました。乳製品ユニット 市乳事業本部 ヨーグルトマーケティング部 マーケティング1グループ長の樋口靖夫氏に聞きました。

開発の契機は大阪万博の「ブルガリア館」

金森氏 商品誕生の経緯についてお聞かせください。発売開始当初は「明治プレーンヨーグルト」という商品名で、容器も今と違って牛乳パック型だったとか。いずれにしても、プレーンヨーグルトの市場がなかった時代だったのではないでしょうか?

樋口氏 ヨーグルトはありましたが、甘みや寒天で加工され、おやつとして食されていました。プリンやゼリーといったデザートのカテゴリーに属する商品だったのです。当社がプレーンヨーグルトの製造に踏み切る一つの契機が、70年の大阪万博でした。それまでプレーンヨーグルトの存在は知っていたものの、「すっぱ過ぎて売れない」と判断していました。しかし当時の経営陣は、「ブルガリア館」で紹介されたプレーンヨーグルトに改めて着目。ノーベル生理学・医学賞を受賞したロシアの微生物学者、イリア・メチニコフ博士の「ヨーグルトに含まれる乳酸菌が長寿に有用である」との学説にも励まされ、「本場の本物のヨーグルトをつくるべきだ。健康にいい乳酸菌製品の価値は日本人にも受け入れられるはず」と決意しました。

金森氏 発売後、人々の反響はいかがでしたか?

樋口氏 実は、1日数百個売れるかどうかというスタートでした。それどころか、「風味が変だ」「甘くないので不良品に違いない」といったお問い合わせが相次ぎ、当時の担当社員はその対応に追われる毎日だったそうです。

金森氏 はじめは砂糖の添付もしていなかったんですね?

樋口氏 そうなんです。お問い合わせを受け、紙パックの表面に砂糖を添付して売ることにしました。ジャムと混ぜるなど、食べ方の提案もしっかりやらなければダメだということで、コミュニケーションにも力を入れていきました。

金森氏 当初の販売チャネルは?

樋口氏 今のように大型スーパーが多くなかった時代で、老舗スーパーから町の小さな食料品店まで、きめ細かく展開しました。

金森氏 その後、ブルガリアの国名使用許可を得て73年に「明治ブルガリアヨーグルト」に商品名を変更されましたね。

樋口氏 ヨーグルトは、乳酸菌の生息に適した土地であるブルガリア、トルコ、ギリシャといった国々の伝統食品ですが、中でもブルガリアのヨーグルト文化はヨーロッパでよく知られ、メチニコフ博士が研究を深めた国でもありました。「聖地」の名前を冠したわけです。

朝に食べる習慣が定着し、需要が拡大

金森氏 その後の需要の拡大は、やはり「食べ方提案」が効いたのでしょうか?

樋口氏 それもありますし、81年に容器の形状を「フルオープンタイプ」にリニューアルしたことも大きかったと思います。今ではおなじみですが、スプーンですくいやすく、内ブタと外ブタの間に砂糖を収納できる形状は、当時革新的でした。

金森氏 他社がまねをすることも予想されたと思いますが、それについてはどういう考え方だったのでしょう?

樋口氏 常に一歩先を行くというポリシーでしたし、とにかく市場が小さかったので、ヨーグルト市場全体が大きくなればいい、という考えでした。デザートのカテゴリーではなく、独立し

金森氏

金森氏 実際にそうなりましたね。

樋口氏 はい。売り場も独立したコーナーを獲得できるようになりました。

金森氏 ヨーグルトを料理に使う発想も、この商品発だったのではないでしょうか?

樋口氏 そうですね。「いかに多くの人に食べていただくか」「いかに一人の人に多く食べていただくか」という2点が今も変わらない目標なのですが、最初に成功したのは前者のほうで、朝食の一品にヨーグルトを加えることをお勧めしていく中で、その習慣が日本の家庭にだんだんと定着していきました。現在も朝に食べるという人が圧倒的多数です。料理活用の提案は、主に後者を目的としてきました。

金森氏 私も毎朝ヨーグルトを食べています。プレーンヨーグルトは、日本の食文化を変えた商品の一つと言っていいのではないでしょうか。習慣化に成功したのですから。全チャネルで販売し、容器に創意工夫を加え、食べ方を提案し……、品質改良についてはいかがですか?

樋口氏 折々で行っています。まず、味については、当初と比べて酸味が減っています。そもそもブルガリアで一般的に食べられているヨーグルトは酸味が強く、伝承の味に近い当社製品は、他社製品よりも「ちょっとすっぱいヨーグルト」という位置づけです。そのポジショニングは守りつつ、お客様に好まれる酸味に調整してきました。また、乳酸菌も変えています。84年に従来のブルガリア菌・サーモフィラス菌に加え、「LB51菌」を使用し、「明治ブルガリアヨーグルトLB51」として発売していましたが、93年に「ラクトバチルス・ブルガリカス2038株」と「ストレプトコッカス・サーモフィラス1131株」に変更し、末尾をとった「明治ブルガリアヨーグルトLB81」にリニューアル。96年にはヨーグルト製品初の特定保健用食品に認定されました。

金森氏 ヨーグルトの味は乳酸菌で決まるんですか?

樋口氏 それがすべてというわけではありませんが、7、8割方は乳酸菌に左右されると思います。

樋口氏、金森氏

樋口氏、金森氏

売り場環境の変化をパッケージデザインに反映

金森氏 中身のリニューアルはパッケージのリニューアルと連動しているのですか?

2003年
1996年

樋口氏 連動しています。それ以外にも2年に1度くらいのペースでデザインを変えています。しかも、商品から受ける印象が変わらないように。これがロングセラーを維持する一つのキーポイントだと思っていて、売り場環境の変化に対応しつつ、ブランドイメージをキープしているのです。例えば、需要が急激に伸び、売り場に大量陳列されるようになった時期と重なる96年には、ブルーの斜めの直線ラインが入ったデザインを打ち出し、複数が並んだ時の躍動感を演出しました。2003年には、ブランド調査から得た「本物」「天然」「正統」といった商品イメージに即してラインを曲線にし、さらに、ブランドロゴをやや大きめにする代わりに青みを濃くして全体的なデザインの印象を保ちました。

金森氏 消費者のパーセプションを見渡しつつ、気づかれない程度にそっと新鮮味をもたらすというのが秘訣(ひけつ)なんですね。なるほど。売り場の話でもう一つおうかがいしたかったのが、圧倒的なチャネル支配力です。そこにはどんな工夫がありますか?

樋口氏 ヨーグルトのおいしさと健康価値を商品を通じて提案し、「食べ方提案」を地道にコミュニケーションしてきたことで、「ナンバーワンブランド」の地位が確立し、自然と「座席」が広がっていきました。ヨーグルト市場は、直線の右肩上がりというよりも、階段を上るように成長しており、踊り場の時期に圧倒的に強さを見せるのは「ナンバーワンブランド」です。そうした時期にフェースを広げていきながら、次のステップに上るタイミングで新商品や新しいコミュニケーションを打ち出してきました。それともちろん、棚を広げてもらうための営業活動も地道にやってきました。

金森氏 万一欠品していたら、お店は、「ヨーグルトといえばブルガリアヨーグルト。それを置いていないのか?」とお客さんに言われてしまう。品質、パッケージデザイン、コミュニケーション、売り場など、マーケティングミックスでそうした環境をつくり上げてこられたことがわかります。コミュニケーションといえば、「明治ブルガリアヨ~グルト~」というサウンドロゴは広く認知されています。森田公一さんの作曲だそうですね。私は、その情報をヨーグルトの内ブタに印刷されていた「なるほど豆知識」で知ったんですが……(笑)。

樋口氏 そうでしたか(笑)。

金森氏 ともあれ、印象に残る広告です。

樋口氏

樋口氏 覚えやすい曲調ということもありますが、長期にわたって継続的に届けている効果でもあると思います。一時的なブームをあおるようなものではなく、ブランドイメージを伝承していくコミュニケーションを心がけています。

金森氏 派生商品のねらいについても聞かせてください。現在コンビニエンスストアを中心に展開されている、小型容器の独り食タイプ「明治ブルガリアヨーグルトLB81低糖」や、フルーツタイプはいつ頃生まれたのですか?

樋口氏 95年からです。ヨーグルトの消費が世帯だけでなく個人でも進み、コンビニが台頭してきた時代でもありました。「手軽さ」を好むコンビニユーザーなどに向け、甘みやフルーツが加わったヨーグルトを展開したところ、消費が拡大。やがてコンビニにおいても「ナンバーワンブランド」の座を獲得するに至りました。もっとも手軽なドリンクタイプも提案。習慣化しやすいので、健康志向の強い人に支持されています。

金森氏 利便性を提供することで、変わりゆくニーズに対応していったと。

樋口氏 はい。特にフルーツヨーグルトは、プレーンヨーグルトにジャムを入れて食べる提案をしてきた中で、「最初から混ざっていたらうれしい」というニーズが生まれました。急躍進したのは、小型容器を4個連結したパッケージを導入した01年以降で、フルーツヨーグルト市場においても現在シェアナンバーワンを保有しています。

金森氏 基本商品のクオリティーを堅持しつつ、消費行動やし好の変化を派生商品に展開し、ブランドを強めてきたことがわかります。

乳酸菌の研究により新たな価値発見の可能性

金森氏 ヨーグルト市場は今も成長し続けていると聞きます。

樋口氏 「おいしさ」と「健康」のバランスが取れたヨーグルトは、食品市場の中でも数少ない成長分野と目されています。ヨーグルト市場は現在約3,000億円弱の規模となっており、飲用牛乳の約半分の市場まで成長しました。

金森氏 発売当初を振り返ると、改めてすごい数字ですね。

樋口氏 まだまだ伸びると思います。また、ヨーグルトの味を左右する乳酸菌の機能について、わかっていないこともたくさんあります。宝の山がたくさん眠っているんです。

金森氏 そうなんですか。研究成果が待たれますね。

樋口氏 当社は、冒頭に触れたメチニコフ博士が研究していたこともあるフランスのパスツール研究所と2年間をかけて乳酸菌の共同研究を行うプロジェクトを進行中です。1907年に博士が唱えた「ヨーグルトに含まれる乳酸菌が人間の老化防止に有効である」という「不老長寿論」、今で言うアンチエイジングの機能を、最先端の技術と頭脳を動員して探ろうとしています。

金森氏 「おいしさ」「健康」に、「美」という価値が加わったら、市場の反応は大きそうですね。

樋口氏 パスツール研究所もとても意欲的です。というのも、当社はヨーグルトのシェアにおいて世界で4位の位置にいるのですが、上位3社が複数国展開のシェアであるのに対し、当社は日本一国でシェアを獲得しています。そこに評価と関心を向けてくれていて、研究所の所長も「研究の行方がとても楽しみだ」とおっしゃっています。

金森氏 少子高齢化の流れの中、「いかに多くの人に食べてもらうか」「いかに一人の人に多く食べてもらうか」ということでいえば、後者はまだ伸びしろがあるように思いますが、今後の課題をどのようにとらえていますか?

樋口氏 ヨーロッパの一人あたりの消費量を見てみると、スウェーデン人は日本人の約5倍、フランス人は約3倍。食文化や食べる量が違うとしても、そこに近づくポテンシャルは十分にあると思っています。

金森氏 朝食以外のシーンに登場する機会を増やしていく取り組みが必要ですね。

樋口氏 おっしゃる通りで、そういう意味では、料理活用のアピールがまだ足りておらず、レシピの開発をはじめ、料理に適した商品の開発も考えられます。幸い現在はとてもいい時期にさしかかっていて、生まれた頃からプレーンヨーグルトがあった世代が子育ての渦中にあります。商品価値をよく知る方々が、日本の家庭にますますヨーグルトを広めてくださると確信しています。

金森氏 「明治ブルガリアヨーグルト」は、発売から約40年経って成熟期を迎えるどころか、なお成長途上。この先どんな展開があるのか楽しみな商品です。ありがとうございました。

樋口靖夫

明治 乳製品ユニット 市乳事業本部 ヨーグルトマーケティング部 マーケティング1グループ長

1993年入社。現場での営業担当を経て、本社で商品開発からマーケティング全般を担当、現在はヨーグルトのマーケティング業務を行っている。

インタビューを終えて

 「明治ブルガリアヨーグルト」は、市場導入期において「風味が変」「甘くないので不良品に違いない」という声を克服し、「酸っぱい」というキャズム(溝)を超えて成長期に入った。以後、同製品が愚直に行っているのはロングセラー商品として成長するためのお手本のような展開だ。外見(パッケージ)と中身(味)に消費者が気がつくか気がつかないかという微妙な変更を加えて消費者ニーズの変化に応える。一方でCMソングやブランド名は大きな改変や派生をさせずにかたくなに守っていく。そしてリーダーとして需要を喚起し、市場を拡大しているのだ。

 人口減少よって市場縮小時代に入った日本において、同ブランドの2大テーマである、「いかに多くの人に食べてもらうか」「いかに一人の人に多く食べてもらうか」は、業種や商品を問わず、後者の比重が高くなっている。ヨーグルトのリーダーにして老舗ブランドが今後どのような施策を展開するのかに注目したい。(金森努氏)


金森 努氏

金森 努(かなもり・つとむ)

有限会社金森マーケティング事務所取締役社長 東洋大学経営法学科卒。大手コールセンターに入社。本当の「顧客の生の声」に触れ、マーケティング・コミュニケーションの世界に魅了されてこの道20年。コンサルティング事務所、電通ワンダーマンを経て、2005年独立起業。青山学院大学経済学部非常勤講師(ベンチャー・マーケティング論)、グロービス経営大学院客員准教授(マーケティング・経営戦略)、日本消費者行動研究学会学術会員
金森氏ブログ「 Kanamori Marketing Office

HISTORY

1971年

明治ブルガリアヨーグルト 1971年

1971年 明治プレーンヨーグルト発売


1973年

明治ブルガリアヨーグルト 1973年

1972年5月のブルガリア大使館からの国名使用許可を受け、1973年の12月に明治ブルガリアヨーグルト発売


1981年

明治ブルガリアヨーグルト 1981年

現在の容器形状への変更


1984年~

1984年より健康機能に優れる「LB51菌」を使用し。「明治ブルガリアヨーグルトLB51」として発売

明治ブルガリアヨーグルト 1991年
明治ブルガリアヨーグルト 1990年
明治ブルガリアヨーグルト 1989年
明治ブルガリアヨーグルト 1988年
明治ブルガリアヨーグルト 1987年
明治ブルガリアヨーグルト 1985年
明治ブルガリアヨーグルト

導入期のCM


1993年

明治ブルガリアヨーグルト 1995年
明治ブルガリアヨーグルト 1994年

乳酸菌をラクトバチルス・ブルガリカス2038株とストレプトコッカス・サーモフィラス1131株に変更し、末尾をとった「明治ブルガリアヨーグルトLB81」へリニューアル


1996年

特定保健用食品に認定

明治ブルガリアヨーグルト 1996年


1999年-2007年

明治ブルガリアヨーグルト 2007年
明治ブルガリアヨーグルト 2006年
明治ブルガリアヨーグルト 2003年
明治ブルガリアヨーグルト 2001年
明治ブルガリアヨーグルト 2000年
明治ブルガリアヨーグルト 1999年
明治ブルガリアヨーグルト

琴欧洲起用のCM


2009年

明治製菓と経営統合。それに伴い、企業ロゴ変更

明治ブルガリアヨーグルト 2010年