Vol.11 はとバス「はとバス」

 戦後の荒廃した東京。まだ車両や燃料の確保が難しいなかで遊覧バスの運行を目指し、監督官庁への2年越しの陳情を実らせて1948年にはとバスは営業を開始した(前身は新日本観光株式会社。63年にはとバスに改称)。創業当初、皇居や日本橋など都内の名所旧跡を主としていた観光コースは、58年の東京タワーのオープンを契機にバリエーションを広げ、時代のニーズに応じた進化を遂げました。代表取締役社長の金子正一郎氏に聞きました。

生命線は「全社一丸」と「お客様の声ハガキ」

金森氏 はとバスは、「都内を遊覧する定期観光バス」という独自の市場を創出し、長い歴史を育んできましたが、これまでにいろんなご苦労があったと思います。都内近郊に魅力的なテーマパークができれば客足はそちらに向いてしまいますし、円高になれば外国人観光客、不況になれば利用客全体が縮小してしまいます。外的要因に非常に左右されやすいビジネスだと思うのです。

金子氏 おっしゃる通りです。はとバスの利用客数がもっとも伸びたのは、東京オリンピックが開催された64年前後。当時、お客様をご案内する添乗ガイドは花形職業でした。その後、オイルショック、バスガイドの応募者の減少、バブル崩壊などさまざまな試練がありましたが、先人たちの創意工夫によって克服し、今日に至っています。

金森氏 90年代に赤字経営が続き、経営の見直しを行って「奇跡の復活」を遂げたことは、よく知られています。そのあたりの経過について、聞かせてもらえますか?

金子氏 94年から4年連続で赤字が続き、98年には70億円の借金を抱える危機的な経営状況でした。同年就任した宮端清次元社長は、抜本的な改革に着手し、全社員の給与カット、不人気コースの廃止、魅力あるコースの開拓、積極的な販売プロモーションなどを次々と実行しました。また、社内で経営削減に努める一方で、お客様に提供するサービスは、車内で出すお茶一杯も質を落とさないことを徹底しました。

金森氏 V字回復のいちばんの原動力は、「全社一丸」ということだったんですね。

金子氏 はい。宮端社長と、日々お客様に接しているドライバーやガイドが建設的な意見を交わしながら再建に取り組んだと聞いています。その結果、わずか2年で経営は回復しました。

金森氏 トップと現場の連携というのは、とても大切なことだと思います。私は以前、コールセンターで働いたことがありますが、顧客の生の声が経営層になかなか届かず、残念な思いをした覚えがあります。はとバスはそうじゃないんですね。

金子氏 現場の声は、今も最重視しています。ツアーに参加してくださったお客様に「お客様の声ハガキ」をお配りして感想を集めていますが、一カ月で500~600通も届くんです。これを私やほかの役員ですべてチェックし、お褒めの言葉をいただいたサービスについては今後も維持し、クレームについては原因を究明し、改善に努めています。

金森氏 ここに「お客様の声ハガキ」の見本を用意していただきましたが、ツアー内容については、「見学箇所」「食事」「宿泊施設」「車両」「発着場所」「発着時刻」「料金」「行程」、サービスについては「電話応対」「窓口応対」「運転士」「ガイド」「添乗員」「各施設の応対など」を主な質問項目としています。回答は、どのハガキもぎっしり書き込まれていますね。YesかNoで答えてもらう形式ではなく、フリーアンサー形式にしているからでしょう。

金子氏 途中で立ち寄る飲食店の料理や店員の接客などに対するクレームがあった場合は、事実関係を調べてお店に改善をお願いしています。お褒めの言葉で圧倒的に多いのは、「ドライバーやガイドの対応がよかった」という内容です。

金森氏 「お客様の声ハガキ」は、はとバスの生命線といえますね。

金子氏 はい。ドライバーやガイドの対応など、はとバスが直接提供するサービスだけでなく、立寄先の施設や飲食店も商品の一貫と位置づけているので、さまざまな要素を組み合わせた全体としてどのように評価していただいているのか、常に目を配っています。

潜在的なニーズを喚起する商品を追究

金森氏

金森氏 はとバスの商品は、昔から独創性があるように思います。例えば「おいらんショー」や「ニューハーフショー」を組み込んだコースなどは、実に自由な発想ですよね。その商品開発力に感心しています。

金子氏 はとバスの商品は、「期待通りの東京」「一度訪れてみたかった東京名所」といったいわゆる王道のコースと、あまり知られていない見どころや娯楽を発掘して紹介する新規コース、この両輪でお客様のニーズにお応えしています。

金森氏 顕在的なニーズに応えつつ、潜在的なニーズを喚起する商品を追究されているわけですね。

金子氏 その通りです。夜景を楽しむコース、ショーを満喫するコース、クルーズ、ヘリコプター遊覧など、さまざまな潜在的なニーズを掘り起こしてきました。また、「見物」だけでなく、ゴルフやボーリングなど「体験」を組み込んだコースも提案してきました。新規コースの開拓は絶えず行っていて、社内では「千本ノック」と称しています。担当者が新しいスポットを見つけ出してはアイデアを練り、立寄候補先に提案してサービス内容や価格を交渉し、商品化を目指しています。

金森氏 しかも、企画の目新しさや面白さだけでなく、値ごろ感も求められますよね。

金子氏 競合する他社と戦ううえでも、とても大切なことです。平均して、半日観光だったら5千円前後、食事がついても1万円を切る価格帯になるように意識しています。

金森氏 利益を出すのはなかなか大変ですね。

金子氏 大変ですが、サービスの質を落とすことはできません。長く培ってきたはとバスブランドへの信頼を失ってしまいますから。

金森氏 時代とともに利用者層は変わってきているのでしょうか?

金子氏 1950~60年代は、集団就職で東京にやってきた地方の若者が、稼いだお金で両親を招いて一緒にはとバスに乗って東京見物するケースがたくさんありました。また、地方からの修学旅行でやってきた学生さんに利用してもらうケースも多くありました。はとバスの添乗ガイドは、男子学生にとってはあこがれの対象であり、女学生にとっては将来就きたい職業像であったようです。実際、そうした内容のお手紙がガイド宛てに多数届いたと聞いています。その後、ニーズの多様化に応じて商品ラインアップを増やしていくなかで、東京在住のお客様も増えてきました。近年は、シニアのご夫婦や、シニアの女性グループのお客様も増えています。いずれにしても、ひとりで参加される方は少なく、ご夫婦、ご家族、ご友人同士、地域のお仲間同士など、複数でのお申し込みがほとんどです。

金子氏、金森氏

金子氏、金森氏

人や車両の雰囲気、時間や空間も商品

金森氏 実は、昨年初めてはとバスに乗ったんです。地方から遊びにきた友人と一緒に。スカイツリーや浅草周辺をめぐるツアーで、東京生まれの私もすごく楽しめました。見慣れたはずの景色が、とても新鮮に映りました。

金子氏 ありがとうございます。私も東京生まれですが、はとバスに乗って初めて皇居の二重橋が2つあることを知りました。

金森氏 えっ、そうなんですか?

金子氏 正しくは1つなのですが、皇居前広場側から見て、手前の石橋が二重橋と誤認されることが多いんです。実際は、その奥にある鉄橋が「二重橋」です。

金森氏 私も知りませんでした(笑)。

金子氏 ガイドが提供するのは、新鮮な驚きや発見です。そして、商品ラインアップやお客様層が変わっても、女性ガイドがご案内をして、同乗する数十人のお客様が一緒に行動するスタイルは、一貫して変わっていません。

金森氏 ガイドさんと複数のお客さんが一緒にいる時間や空間も商品のうちなんですね。はとバスのお客さんは、「非日常」を求めている部分もあると思うんです。ガイドさんの案内を通した街の景色や、複数の人と車内で味わう一体感は、まさに「非日常」を演出するものだと思います。

金子氏 以前、引退したガイドが特別復帰して、昔の歌を歌いながらお客様をご案内するツアーを実施したところ、大変好評でした。懐かしさを超えて、新鮮さを感じていただけたのではないかと思います。

金森氏 ドライバーさんやガイドさんなど「人」が提供する雰囲気とともに、「物」が提供する雰囲気も、はとバスの非日常感を演出していると思います。つまり「車両」です。私がはとバスに乗って実感したのは、視点の高さです。ほかの路線バスよりも椅子の位置が高いので、遠くまで見渡せて、とても気持ちよかったです。

金子氏 お客様に快適な視野を提供するため、座席の位置を高くしたスーパーハイデッカー車を多数導入しています。内装も特別仕様で、ゆったりした空間を実現しています。屋根のない2階建てのオープンバスも外の空気が感じられて気持ちいいですよ。また、ドライバーは運転する車両をこまめに磨き、ガイドは車内の備品を常に点検・補充するようにしています。

金森氏 そういえば、東京駅近くのはとバスの発着所の前を通ると、ドライバーさんがはとバスを磨いている光景をよく見かけます。

金子氏 はとバスの長年の伝統です。

金森氏 すばらしいですね。ところで、先ほど、バスガイドの応募者の減少というお話をされていましたね。

金子氏 女性の職業選択肢が増えるにつれて応募者が減り、過去に社内で「ガイドサービスをやめてしまおうか」という議論が持ち上がったこともあったそうです。しかし、「ガイドがいなければ、はとバスじゃない」ということで、今日に至っています。私は、ガイドは昔も今もはとバスの大切な財産だと思っています。

金森氏 現在はどのように募集しているんですか?

金子氏 高校や専門学校に募集要項を配っているほか、一般公募もしています。現在は定員割れということはありません。採用した新人ガイドは、一カ月半の研修期間を経て現場に出ていきます。

金森氏 そこで注目したいのが、若い新人を「はとバスのガイド」というプロフェッショナルのレベルまで引き上げる人材育成力です。その秘訣(ひけつ)とは?

金子氏 歴代のガイドの知識やノウハウを蓄積していて、これをもとに作成した「教本」でガイド教育を行っています。また、新たに生まれた名所や話題についても、随時、ガイドに情報提供します。このほか、実際にコースに乗務してみて気づいたことを記録してストックしており、これを他のガイドが自由に閲覧できるようになっています。

金森氏 ナレッジマネジメントの好例ですね。もう一つうかがいたかったのが、はとバスの販売ルートです。

金子氏 7割近くが直販で、残りの3割が代理店経由です。直販は、発着所近くの売り場、電話予約センター、ウェブの3つを窓口としていますが、最近はウェブのウエートが高くなっています。そこで、ウェブサイトの展開も工夫して、オープンバスの車窓風景を動画で流すなどしています。

金森氏 7割の顧客を直販で獲得できるというのは、まさにブランドの力ですね。「東京で面白いことがしたい。だったらはとバスにしよう」と想起してくれる人が多いのでしょう。

東京に続々と名所が誕生。リピーターを増やしたい

金子氏

金森氏 今後の戦略についても聞かせてください。

金子氏 今年は、東京ゲートブリッジ、東京スカイツリーと、近年にない大型名所が生まれました。この機をとらえて魅力的な商品を企画し、アピールしていきたいと思っています。

金森氏 アピールといえば、朝日新聞で30段広告を展開されましたね。

金子氏 昨年は震災があって、とても大変な1年でした。新聞広告には、「今年こそ明るい1年になってほしい」との願いをこめました。出稿は、「東京スカイツリー“展望デッキ”の入場付東京観光コース」の販売スタート日に合わせました。おかげさまで、9時半の販売開始からわずか10分で完売しました。

金森氏 直販が7割ということですから、ブランド強化という意味でもとても効果的なキャンペーンだったと思います。最後に、今後の課題についてうかがいます。新規顧客の開拓はもちろん重要ですが、この先、日本の人口は縮小していきます。となると、リピーターをいかに増やしていくか、そのへんがネックではないでしょうか。

金子氏 おっしゃる通りです。心底満足していただけるサービスを維持することで、リピーターを増やしていきたいと考えています。なお、新しい企画のコースには、社員がお客様にまぎれて参加し、サービスに不足はないか、お客様がどんな印象を持たれているのか、きめ細かくチェックしています。

金森氏 その調査結果をサービス向上につなげているわけですね。ファンづくりにおいてとても有用なことだと思います。

金子氏 はい。ただ、はとバスは、申し込まれた代表の方のお名前とご連絡先の提示しか求めていないので、現段階ではリピーターの把握が十分にできていません。ここが悩みどころで、例えば郵便番号をご提示いただくなど、なるべくお客様の負担にならない範囲でマーケティングの材料を得る方法はないかと模索しています。さらに、外国からのお客様の取り込みにも力を入れています。現在、外国からのお客様の比率は1割程度。外国語のガイド、車内アナウンス、ウェブサイトを充実させるなどして利用客数の拡大をはかっていきたいと思います。

※画像は拡大表示します。

2012年2月22日付 朝刊 全30段

2012年2月22日付 朝刊 全30段

金子正一郎

はとバス 代表取締役社長

1975年東京都入都。2011年7月に同交通局長退職後、はとバス代表取締役社長就任。

インタビューを終えて

 モノを売るビジネスでマーケティングを考える際には、最終的な施策は4P(製品=Product、価格=Price、販路=Place、広告・プロモーション=Promotion)の組み立てを行う。しかし、サービス業の場合3つのPを加えて考えるべきである。即ち、人員=Person、業務プロセス=Process、物的証拠=Physical Evidenceだ。

 はとバスの場合の3つのPは、Physical Evidence=快適さを実現するバスの車内空間、Process=しっかりと練られた業務マニュアルとナレッジ共有のしくみ、Person=モチベーションが高い乗務員(運転手とガイド)とツアー企画をしたり、バックエンドで社内を支えたりする全社一丸となった社員がそれにあたる。もちろん4+3のPがバラバラで存在しては意味がない。「マーケティングミックス」というが如く、各要素が渾然一体となって相乗効果を発揮することが求められる。それが、はとバスでは見事に実現されている。底流にあるのは、長い歴史の中で幾度も襲いかかってきた厳しい環境の変化、思いもよらぬ所から登場する競合の脅威に対抗するため、「顧客満足の追求」というベクトルを合わせて全社一丸となっていることが上げられる。

 日本のマーケットが縮小するという厳しい時代に突入したのは全業種共通の課題だ。その中で、顧客支持を得て生き残りを図るはとバスの事例から学ぶところは大きい。(金森 努氏)


金森 努氏

金森 努(かなもり・つとむ)

有限会社金森マーケティング事務所取締役社長 東洋大学経営法学科卒。大手コールセンターに入社。本当の「顧客の生の声」に触れ、マーケティング・コミュニケーションの世界に魅了されてこの道20年。コンサルティング事務所、電通ワンダーマンを経て、2005年独立起業。青山学院大学経済学部非常勤講師(ベンチャー・マーケティング論)、グロービス経営大学院客員准教授(マーケティング・経営戦略)、日本消費者行動研究学会学術会員
金森氏ブログ「 Kanamori Marketing Office

HISTORY

1948年

新日本観光株式会社 (旧社名)


1949年

はとバス 三菱ふそう1945年式35人乗り

団体貸切第一号車 成田山初詣バスを元旦に運行 女性ガイド第一期 5名採用
都内定期観光バス運行開始第一号車 「富士」号
都内半日Aコース・250円


1951年

夜の定期観光バス運行開始
夜の定期観光コース・350円
都内一日Cコース・500円


1953年

外国人向Tコース本格運行開始・700円


1958年

貸切豪華バス「走るパーラー」 導入。冷暖房付1号車


1960年

夜のお江 Eコースに吉原松葉屋 「おいらんショー」 が登場・800円
ボウリング・ゴルフBGコース・500円


1963年

はとバス スーパーデラックスバスBタイプ
はとバス スーパーデラックスバスAタイプ

定期観光用スーパーデラックスバス (40人乗り)導入
株式会社はとバスに社名変更


1964年

オリンピック記念コース:700円 競技場を見学


1965年

はとバス オープンバス

オープンバス導入。高速道路を取り入れた新東京ドライブコース・500円で活躍し人気を集めた


1971年

東京スーパーバスコース・1,500円


1976年

講談師を案内役にした花のお江戸コース・3,300円


1979年

3月以降の導入車のボディはレモンイエロー、屋根は白 (アイボリー) に統一された


1983年

2階バスコース 東京パノラマドライブコース運行開始 2,000円
東京ディズニーランド(R) と皇居・東京タワーコース 7,400円


1989年

ニューシンボルマーク(社章)とCI導入


1991年

夕遊黒鳥の湖(ニューハーフショー)運行開始 11,000円


1997年

東京湾アクアラインコース 運行開始


2001年

はとバス はとまるくん

新型バス「はとまるくん」運行開始。「お台場・海ほたると浅草観音」 8,900円


2002年

はとバス ピアニシモ

募集型企画旅行専用バス 「ピアニシモ」 運行開始


2005年

2階建て「ハローキティバス」導入


2009年

はとバス O'sola mio

2階建てオープンバス「O'sola mio」運行開始


2010年

はとバス OGガイド

特別企画 「あの歌この歌東京ドライブ」・2,500円
OGガイドが車窓の景色にちなんだ歌謡曲を歌いながら案内。何度も期間を延長するほどの人気企画となった


2012年

2012年 東京スカイツリー(R)展望ツアーを3月に受付開始