1993年に発売を開始して以来、ファミリー向け一眼レフカメラとして不動の地位を確立している「EOS Kiss」。これまでに、初代「EOS Kiss」をはじめとするフィルムカメラ7種、2003年に発表した「EOS Kiss Digital」をはじめとするデジタルカメラ10種が発売されています。キヤノンマーケティングジャパン イメージコミュニケーション企画本部・カメラマーケティング部部長の中村真一氏に聞きました。
愛着の持てる商品名を引っさげ、ファミリー層をねらう
金森氏 実は、私は高校時代に写真部に在籍していたんです。ですからカメラは好きで、子供が生まれたときに、わが子を撮るならやっぱり「EOS Kiss」だろうと思って、「EOS Kiss Digital」を買いました。
中村氏 ありがとうございます(笑)。キヤノンの一眼レフカメラは、60万円台のプロ向けの機種から10万円前後のエントリーモデルまで、ターゲットによってさまざまな商品を展開しています。「EOS Kiss」は、エントリークラスの基幹商品として育てていこうと1993年に販売を開始しました。当時はフィルムカメラでしたね。
金森氏 一眼レフカメラでありながら、誰でも使いやすそうなイメージがありました。
中村氏 確かにそれまでの一眼レフカメラは、マニア向けというイメージが強かったと思います。「EOS Kiss」は、小型化、軽量化を実現し、ファミリー層に向けて「子どもをきれいに簡単に撮れるカメラ」というメッセージを発信しました。
金森氏 ネーミングがユニークでしたね。
中村氏 「Kiss」というネーミンングについて、当初は社内で賛否両論がありました。従来は「EOS10」「EOS100」などと数字をつけた名称が当たり前でしたから。
金森氏 そういうアイデアもあったのですか?
中村氏 ありました。「EOS Kiss」の発売前に「EOS1000」という機種が出ていて、レンズつき一眼レフが各社10万円台だった時代に6万円台の価格をつけた画期的な商品でした。この後継機種ということで、「EOS2000」にしたらどうかという意見も出ました。ただ、ファミリー向けに新しく売り出すこの商品を、70年代に爆発的に売れた「Canon AE-1」のような大ヒット商品に押し上げたいという戦略を持っていました。そのためには、一眼レフカメラとは縁遠かった方々にもアプローチしていく必要があります。そこで母親である女性をメーンターゲットに据え、愛着を持っていただけるようなネーミングがふさわしいということになり、最終的に「Kiss」に決定しました。
金森氏 そもそもターゲットを女性に据えることに対する是非論はなかったのですか?
中村氏 それはなかったですね。87年に「EOS」シリーズの販売を開始したときから女性ユーザーの拡大をねらっていましたので。その成果もあり、「一眼レフはプロ向け、あるいは”男の趣味”という意識」が少しずつ変わってきました。「EOS1000」でも女性比率は高かったのですが、それ以上にターゲットを明確化したのが「EOS Kiss」でした。
金森氏 一眼レフのエントリーモデルであれば、“カメラ少年”や若い男性をねらうのが上策という概念もあったと思いますが、あえてそうしなかったんですね。
中村氏 「EOS Kiss」の販売戦略を考えていくなかで、改めて「なぜ一眼レフカメラを買うのか」ということを整理してみたのです。ユーザーにアンケートをとってみると、上級機については、「風景写真を美しく撮りたいから」「旅先の景色をきれいに収めたいから」という回答が多く、普及機については、「子どもや孫のかけがえのない瞬間をきれいに残したいから」という回答が多くを占めました。「子どもを撮る」という使用目的に絞った時点で、自然と女性がターゲットに組み込まれました。
ちなみに、女性をターゲットとした一眼レフカメラは、87年に「EOS650」という商品を出しています。女性写真家を広告キャラクターに起用し、カタログのテイストも女性を意識したものでした。ただ、こちらの商品はF2層(35~49歳の女性)には支持されましたが、ファミリー層というところまではなかなか広がりませんでした。
金森氏 「EOS Kiss」はその点で見事に成功しましたね。
中村氏 発売した時期にちょうどオートキャンプブームなどがあって、家族重視の価値観が浸透した時代でもありました。そうしたなかで、「ずっとコンパクトカメラですませていたけれど、大切な家族の写真を一眼レフできれいに残したい」というニーズが生まれたのだと思います。
金森氏 なるほど。コンパクトカメラのユーザーを引き入れることができたわけですね。
コンセプトを「子供をきれいに撮るカメラ」にしぼる
金森氏 コミュニケーション戦略の変遷についても聞かせてください。
中村氏 初登場の際の広告のキャッチコピーは、「愛はキスで残す。」でした。母親がいとしい赤ちゃんにキスをするような気持ちでシャッターを押してほしい、という気持ちを込めました。従来の広告の法則でいけば、「小型軽量」「オートフォーカス機能搭載」といった機能訴求が入ったはずですが、あえてそれはせず、情緒的なメッセージを打ち出しました。
金森氏 「モノ訴求」から「コト訴求」に変えたと。かなりの大転換ですね。シャッタースピードについて訴求したりはしなかったのですか? 子供は動きが早いので、それを撮るのにシャッタースピード優先機能は大変便利ですが……。
中村氏 特別にアピールしたわけではありません。コンパクトカメラのユーザーは、動き回る子供がうまく撮影できないという悩みは共通に持っていて、「決定的瞬間をうまく撮影できるのは一眼レフカメラ」ということは基本的にご存じでした。ただ、価格的な折り合いがつかず購入に至らなかった人が多かったと思います。
金森氏 そこに「EOS Kiss」が登場したと。
中村氏 はい。6万円台でありながら、動いている被写体でもピントが合いやすく、連写もできて、望遠レンズをつければ運動会で活躍するわが子も撮影できる。実際そうした目的に使ってくださる方が多く、当初のねらい通り、ファミリー向け入門機の代名詞となっていきました。
金森氏 競合商品との差別化をいかにしてはかったのでしょう。
中村氏 「Kiss」に似たネーミングや「子供を撮ろう」というコンセプトを後追いするメーカーも出てきました。それは、他社に影響を与えるほどのブランドイメージを確立したということですし、品質には絶対の自信がありましたから、他社製品はさほど脅威ではありませんでした。それよりもライバル視したのは、2000年代に入ってブームが加速したDVDレコーダーやiPodなどのデジタル家電です。05年に「EOS Kiss Digital N」を発表したときには、デジタル家電と並ぶメジャー商品に押し上げることを目標に据え、時代に即したブランド・リニューアルを行いました。アメリカのロックバンド「KISS」のメークをまねた子供たちが「KISS」の楽曲の替え歌を歌うテレビCMを覚えておいででしょうか。
金森氏 よく覚えています。インパクトがありましたよね。
中村氏 「テキトーに僕らを撮らないで」というキャッチコピーでした。キャンペーンのいちばんのポイントは、「親から目線」から「子ども視点」のメッセージにシフトしたことです。表現はメジャー感の創出を第一目的とし、カメラのことは一切語りませんでした。これまでで最も反響があった広告キャンペーンです。広告を見てウェブサイトや店頭にきてくださった方も大勢いたので、それぞれのサポート体制を万全に整えて対応しました。08年に発表した「EOS Kiss X2」、09年に発表した「EOS Kiss X3」の広告キャンペーンでは、「親の子への愛情はたとえ動物であっても普遍」というコンセプトで、動物の親子をモチーフとしたビジュアルを展開しました。10年に発表した「EOS Kiss X4」のキャンペーンでは、過去の偉人やモンスターの親子を題材にしました。今年発表した「EOS Kiss X6i」のキャンペーンでは、再び人間の親子をとらえ、親が子供を撮りたいと思う「はじめての瞬間」をテーマにさまざまなビジュアルを展開しています。
金森氏 表現はいろいろと変わっていますが、ファミリーというターゲティングと、エントリークラスで最高のスペックというポジショニングは全くブレていませんね。愛着の持てるネーミング、明確なターゲティングと使用目的、確かな性能、コストパフォーマンスの高さ、全てが強みとなって「子どもを撮るなら『EOS Kiss』」というブランドイメージを確固たるものにしたことがよくわかります。
金森氏、中村氏
販売価格を抑えつつ、最新・最高スペックを実現
金森氏 冒頭でもお話ししましたが、子供を撮るという目的でデジタル一眼を買おうと思ったとき、私の中では迷わず「EOS Kiss」が第一候補に挙がってきました。
中村氏 買うときに「Kiss」というネーミングに照れを感じませんでしたか? 男性にはつい聞いてしまうのですが(笑)。
金森氏 あまり感じませんでした。子供を撮るという目的がはっきりしていましたから。もと写真部ですが、カタログのスペック表もあまり見なかったですね。最低限どんな機能がついているかを確認して、十分高性能だなと感じて買いました。
中村氏 家電などのスペックは見るのですか?
金森氏 すごく見ます。実は「スペックおたく」で、最高スペックの商品を買うタイプの人間です。「EOS Kiss」に関しては、すぐに目的に合致したスペックだとわかったんです。
中村氏 そうなんですか。撮影スキルが高くてスペックにこだわる方だと、ミドルクラスの「EOS 5D MarkⅢ」や「Canon 40D」などに目が行きそうですが、それはなかったですか?
金森氏 なかったです。風景写真を撮ろうという目的だったらミドルクラスに目が行ったと思いますが、子供を撮るためのカメラとして、スペックと予算のバランスを考えたとき、やっぱり「EOS Kiss」だなと思いました。
中村氏 なるほど。
金森氏 逆に、ハイアマチュアクラスの人が「EOS Kiss」に流れるということはありませんか?
中村氏 それはあります。上級機を使っていたユーザーが高齢になって軽量の「EOS Kiss」に変えたという話は結構聞きます。ただ、数十万円の上級機の市場もエントリークラスのカメラの市場も伸びているので、“食い合い”ということではないと思います。
金森氏 それにしても、最新・最高スペックと言うのは簡単ですが、価格を抑えながら実現するにはさまざまな苦労や工夫があるのではないでしょうか。
中村氏 フィルムカメラのときは、商品の重さと撮影時のコマ速(フィルム走行速度)の2点が重要なスペックでしたが、デジタルカメラになると、画素数やISO感度など新しい指標がいろいろと加わり、しかも毎年のようにリニューアルして機能が向上していますから、ハイアマチュア向けのカメラと変わらないスペックに近づいています。性能を落として価格を抑えているメーカーもありますが、当社はそのようなことはしません。99年に発売したフィルムカメラ「EOS Kiss3」からは、標準ズームと望遠ズームの2本のレンズをつけた「ダブルズームキット」を業界で初めて販売し、今や8割近い方が「ダブルズームキット」を購入されています。デジタル一眼のダブルズームでも10万円前後が量販価格帯の目安になっていますね。
金森氏 いくら子供をきれいに撮りたいといっても、何かと物入りな子育て世代にとって許せる金額というものがあると思います。その期待にしっかりこたえていますし、デジタル家電と対抗するうえでもプライシングはとても重要ですよね。
中村氏 そうなんです。「ボーナスのうち10万円を家電に使うとしたら、何を買いたいか」となったとき、選択肢に残らなくてはいけないと思っています。
金森氏 そういう意味で、売り場が変わったということはありますか?
中村氏 メーカーごとに売る販売店が多いので、基本的には大きな変化はありません。ただ、「初心者向けコーナー」などを設けている店では、そこに「EOS Kiss」を置いていることも多いですね。新聞などメディアで一眼レフカメラの大衆化をトレンドとして取りあげてくれた時期があって、そうした影響もあると思います。
ミラーレスカメラ「EOS M」と住み分けながら「撮る楽しさ」を伝えていきたい
金森氏 「EOS Kiss」の購入者が、付属のダブルズーム以外のレンズを新たに購入することもありますか?
中村氏 あります。ただ、2~3割にとどまっているのが現状で、レンズを換えることによる写真表現の楽しさに気付いていただけるような施策に力を入れています。例えば、花の接写がきれいに撮れるマクロレンズの魅力や、背景がぼやけた雰囲気のある写真が撮れる単焦点レンズの魅力などを伝えるカタログをつくり、具体的な撮影シーンや活用例を紹介しています。
金森氏 手元にカタログを用意していただきましたが、「こういう写真を撮ってみたい」「スイーツの写真がこんなにきれいに撮れるなら、ブログにアップしたら評判になるな」などとイメージできるつくりになっています。
中村氏 子供が大きくなってもいろんなシーンで活用していただきたいと思っています。
金森氏 さて、9月中旬に満を持してミラーレスカメラ「EOS M」が発売されますね。
中村氏 「EOS M」の主要ターゲットは、20~30代の独身男女です。性能的には最新の「EOS Kiss X6i」とほとんど変わりませんが、自然と住み分けされていくと思います。動き回る子供を撮影するなら連写に強い「EOS Kiss X6i」、街歩きや旅行先で気軽に持ち歩いてちょっとした小物や食べ物を撮影するなら軽量の「EOS M」というように。広告においてもそうしたことを訴求していかなければならないと思っています。
金森氏 アダプターがあればキヤノンのレンズをつけられるんですね。
中村氏 60種類以上あるレンズをすべてつけることができます。キヤノンの一眼レフカメラを持っている方は、レンズを流用できるわけです。「EOS M」に親しんだ20~30代の独身男女が結婚して子供ができたときに「EOS Kiss」に移行してくれたらいいなと期待しています。いずれにしても、「写真を撮る楽しさ」を伝えていくことがいちばん大事だと思っています。
キヤノンマーケティングジャパン イメージコミュニケーション企画本部 カメラマーケティング部部長
1990年入社。銀塩の一眼レフブームを巻き起こした初代「EOS Kiss」以降、一貫してEOSシリーズのマーケティングを担当する。
インタビューを終えて
消費が成熟化した市場においては、セグメンテーション、ターゲティングはニーズギャップを抱えたホワイトスペースを丹念に洗い出す作業である。その意味ではEOS Kissは、それまで一眼レフが「マニア向け」として売り出されており、なかなか手が出せずにコンパクトカメラで代替させていたファミリー需要を掘り起こすことに成功したということになる。しかし、それをモノにできたのは「最高性能で低価格」というプロダクトとプライスの二律背反を解決し、さらに誰にでもわかりやすいメッセージでプロモーションしたことによるものだ。
いい製品、安い価格、面白い広告、売り場の確保というマーケティングの「4P」のどれかが突出していても売れるわけではない。ターゲットの明確さとそのニーズに応えたポジショニング、さらには4Pの要素が絡み合って整合することによって、EOS Kissはロングセラー商品の地位を不動にしているのである。(金森努氏)
金森 努(かなもり・つとむ)
有限会社金森マーケティング事務所取締役社長 東洋大学経営法学科卒。大手コールセンターに入社。本当の「顧客の生の声」に触れ、マーケティング・コミュニケーションの世界に魅了されてこの道20年。コンサルティング事務所、電通ワンダーマンを経て、2005年独立起業。青山学院大学経済学部非常勤講師(ベンチャー・マーケティング論)、グロービス経営大学院客員准教授(マーケティング・経営戦略)、日本消費者行動研究学会学術会員
金森氏ブログ「 Kanamori Marketing Office 」
HISTORY
1993年9月 EOS Kiss発売
「小型・軽量・サイレント・簡単操作」をキーコンセプトに開発。コンパクトカメラのユーザーだった女性やファミリー層を取り込み、ヒットとなった。
EOS Kiss
EOS Kissポスター
1996年9月 New EOS Kiss
New EOS Kiss
機能の向上と使い易さを追求。
1999年3月 EOS Kiss III
EOS Kiss III
7点AF(オートフォーカス)とさらなる小型・軽量化を実現。
2001年11月 EOS Kiss III L
EOS Kiss III L
ボディカラーの変更や金属パーツの採用などによって、より一層高級感を高めた。
2002年9月 EOS Kiss 5
EOS Kiss 5
小型化・軽量化を一層図りながら、従来のAF一眼レフカメラの常識にとらわれない斬新なデザインを採用。高級感あふれるシルバー&メタリックグレー塗装や、ホールディング性を追求したグリップなどが特徴。
2003年9月 EOS Kiss Digital
一眼レフカメラのユーザー層を広げたEOS Kissシリーズのデジタル版として登場、普及型デジタル一眼レフカメラの先駆けとして注目された。上位機種と同等の画素数の撮影素子を搭載しながら低価格を実現し、市場を一挙に拡大させた。
2005年3月 EOS Kiss Digital N
第二世代の普及型一眼レフカメラとして登場。起動時間が0.2秒と機動力が大幅に向上した。
アメリカのロックバンド KISSのメークをまねた子供たちが、KISSの楽曲の替え歌を歌う広告を展開。
2006年9月 EOS Kiss Digital X
9点AFを搭載し、基本性能の充実と更なる進化を実現。
KISS KIDSが日本上陸!着物を着たり、日本の名所を巡ったりしながら楽曲を歌う広告を展開。
2008年3月 EOS Kiss X2
記録媒体にSDカードを採用。リアルタイムの映像を液晶モニターで確認しながら撮影できるライブビュー撮影機能を搭載した。
EOS Kiss X2
親の子への愛情は、たとえ動物であっても普遍であるというコンセプトで、動物の親子をモチーフに広告展開。
2008年6月 EOS Kiss F
EOS Kiss X2の弟分として、手頃な価格で高品位な写真が撮れるエントリーモデルを発売。本体重量450グラムという、それまでのシリーズ中で最軽量を実現。
EOS Kiss F
2009年4月 EOS Kiss X3
フルHD動画撮影に対応。
EOS Kiss X3
EOS Kiss X2に引き続き、動物の親子が登場。「普遍の愛」をテーマに、動物の親子の広告を展開。
2010年4月 EOS Kiss X4
Eos Kiss X4
過去の偉人やモンスターの親子を題材として、「普遍の愛」を表現した広告。
朝日新聞の朝刊9ページにわたって9組の親子が登場する広告を掲載。
2011年3月 EOS Kiss X5
バリアングルの液晶モニターを搭載。
大きなゾウから小さなウサギまで、人間と9組の動物たちが登場。こどもたちのベストショットを狙うべく、動物の親たちはカメラを離さずスタンバイ。体の大きさは違っても、みんな「普遍の愛」を表現。
EOS Kiss X5
2011年12月6日付 朝刊
2012年6月 EOS Kiss X6i
EOS Kiss X6i
タッチパネルのバリアングル液晶モニターを搭載。各種撮影設定やAFフレーム選択、撮影後の画像再生時の拡大/縮小などで直感的な操作が可能になった。
再び人間の親子をとらえ、親が子供を撮りたいと思う「はじめての瞬間」を広告のテーマに。