Vol.15 宝酒造「宝焼酎」

 大正元年(1912年)に誕生し、長く庶民に愛され続けてきた「宝焼酎」が2012年に100周年を迎えました。80年代には宝焼酎「純」や「タカラcanチューハイ」など周辺商品とともに空前のチューハイブームをけん引しました。環境広報部 広報課 専門課長の山田和宏氏に、商品開発のポイントや時代に合わせた販売戦略について聞きました。

愛飲者が急増した戦後、イメージ回復と戦った高度成長期

金森氏 御社は、焼酎市場において長くリーディング企業ですよね。

山田氏 甲類焼酎市場のシェアは約30%、焼酎市場全体のシェアは約15%、いずれも業界トップです。

金森氏 いつごろからトップを維持しているのですか。

山田氏 1950年代から続いています。

金森氏 それはすごいですね。看板商品の「宝焼酎」のお話をうかがいながら、その秘密を探っていきたいと思います。「宝焼酎」は今年100周年を迎えたそうですが、創業当初の歩みについて聞かせてください。

山田氏 「宝焼酎」の原点は、愛媛県宇和島のアルコール製造会社、日本酒精が開発した「新式焼酎」です。現在の甲類焼酎の原型といえる新式焼酎は、とても高品質でした。そこに着目した四方合名会社(現・宝酒造)の社長四方卯三郎は、日本酒精と提携して関東での独占販売権を獲得し、1912年、みりんで使用していた「寶」の商標で販売しました。さらに1916年、日本酒類醸造(旧・日本酒精)が他社に買収されたのを機に、同社の技師兼工場長だった大宮庫吉をスカウトし、自社製造を開始しました。

金森氏 拠点は京都ですが、当初から関東に進出していたわけですね。

山田氏 そうです。1923年に関東大震災があったときは、四方と大宮がただちに東京へ向かい、各問屋さんを一軒一軒見舞って営業を早期に再開するよう励まし、伏見にある商品をすべて東京に送りました。すると、物資不足の中で飛ぶように売れ、「宝焼酎」の認知は一気に高まりました。

金森氏 その後戦争があって、戦後はどのような成長を遂げたのでしょうか。

山田氏 戦時中は軍需用アルコール製造で命脈を保ち、戦争直後は、食糧難の中でも比較的手に入りやすかったさつまいもを原料とする甲類焼酎を販売しました。日本酒、ビール、ウイスキーなどがほとんど出回っていなかったこともあり、大変な売れ行きだったそうです。

金森氏 日本はやがて経済成長期に入ります。その波にうまく乗っていけたのでしょうか。

山田氏 実は、経済成長とともに焼酎の売れ行きは失速していきました。ビール、日本酒、洋酒などが普及し始めると、「戦争直後の苦しい時代に飲んでいたお酒」というイメージがついてまわり、人気が急落したのです。そこで、焼酎に代わる市場を開拓しようとビール製造に挑みましたが、うまく軌道に乗せることができずに撤退を余儀なくされ、事業の再構築を迫られました。

右から「タカラエース」「チューロック」「ホワイトドッグ」

右から「タカラエース」
「チューロック」
「ホワイトドッグ」

金森氏 再構築の柱となった取り組みとは。

山田氏 焼酎のネガティブなイメージの刷新が大きな柱となりました。「タカラエース」(1958 年)、「チューロック」(1961年)、「ホワイトドッグ」(1962年)など、洋酒の対抗商品となるようなネーミングの商品を次々に打ち出したのです。

金森氏 各商品の写真が手元にありますが、ラベルに「焼酎」という文字がありませんね。

山田氏 それほど焼酎のイメージが良くなかったということです。「ホワイトリカー」という呼称を使っていいと許可が下りたのもこのころです。

金森氏 国税庁からの許可ということですか。

山田氏 そうです。業界全体で焼酎のイメージ向上に努めた時期といえます。

チューハイブームの火つけ役となった「宝焼酎 純」

金森氏

山田氏 高度成長期は、イメージ対策とともに商品開発を急ピッチで進め、蒸留技術、貯蔵技術、ブレンド技術を磨きました。

金森氏 そうした努力がどのような成果に結びついたのでしょう。

山田氏 1968年に発売した「レッドタカラ」は、「樽熟成」を焼酎に持ち込んだ画期的な商品で、焼酎愛飲家の間で高く評価されました。70年代に入ると、世界のアルコール市場で大きな変化が起こりました。震源地となったのはアメリカで、ウオツカの消費量が同国のナショナルドリンクであるバーボンウイスキーを抜いたのです。この現象は「ホワイトレボシューション」と呼ばれ、同様の現象が世界各国に波及。ウオツカ、ジン、テキーラといった無色透明の酒をベースにカクテルを楽しむようになりました。この流れが日本にも必ずやってくると信じ、独自の蒸留・貯蔵技術を駆使し、軽やかな香りと味わいのある宝焼酎「純」を1977年に発売しました。

金森氏 宝焼酎「純」は、味わいもさることながら、斬新なボトルデザインも評判となったのではないでしょうか。

発売当時の宝焼酎「純」のボトル 発売当時の宝焼酎「純」のボトル

山田氏 クリスタル風の角形ボトルに、商品ロゴをダイレクトプリントしたデザインは、従来の焼酎のイメージを一気に払拭(ふっしょく)しました。漢字の商品名に「宝焼酎」という冠をつけて正面から消費者に提案したというのも、エポックだったと思います。

金森氏 宝焼酎「純」の売り上げ状況はいかがでしたか。

山田氏 発売当初から年間約70万ケースと順調に売り上げを伸ばし、82年度には100万ケースを突破。85年度には678万ケースを販売する大ヒット商品となりました。

金森氏 ちょうどそのころ、チューハイブームが起こりましたね。ブームの要因をどのように分析していますか。

山田氏 宝焼酎「純」の登場が、チューハイブームの大きな引き金になったと自負しています。従来の焼酎を知る世代には新しいイメージと味わいが受け入れられ、若い世代にはトレンドの酒として受け入れられました。女性の飲酒率の高まりもブームを後押ししていたと思います。また、「村さ来」「つぼ八」など「ニュー居酒屋」と呼ばれるお店が台頭してきたことも大きかったですね。それまでの居酒屋は、サラリーマンが日本酒を差しつ差されつ……という光景が一般的でしたが、チューハイブーム以降は女性や学生たちがジョッキで焼酎割りを飲む姿が多く見られるようになりました。

金森氏 宝焼酎「純」のヒットやチューハイブームは、「宝焼酎」のイメージ刷新と売り上げ向上にも貢献したのではないでしょうか。

山田氏 おっしゃる通りです。

※画像は拡大表示します 1982年7月5日付 朝刊1982年7月5日付 朝刊

金森氏 ブームに乗じて「宝焼酎」のコミュニケーションに力を入れたということはありますか。

山田氏 宝焼酎「純」に関しては宣伝活動を展開しましたが、それだけではなく、取引先に営業が出向いたときに、「グレープフルーツなどの果実で割って飲むとおいしいですよ」などと、積極的に「飲み方提案」を行っていました。

金森氏 ブームの裏にはそうした地道な営業努力もあったんですね。ちなみに84年には「タカラcanチューハイ」を発売していますね。

山田氏 缶チューハイは業界初の試みでした。ラインの建設に大型投資が必要でしたが、新しいジャンルの開拓にこそ価値があるという当時の社長判断によって挑戦に至りました。

金森氏 「タカラcanチューハイ」は、結果的に宝焼酎「純」に続くエポック商品となりましたよね。この二つの商品は、広告も印象に残っています。

山田氏 「タカラcanチューハイ」のイメージキャラクターにはジョン・トラボルタ、宝焼酎「純」にはシーナ・イーストン、その後もボーイ・ジョージなど海外の人気スターを起用して大々的に広告キャンペーンを展開しました。どの広告にも共通していたテーマは外国人タレントを起用しながらも「和」の世界を持っていたことで、焼酎の新しい世界観を打ち出しました。

金森氏 一連のコミュニケーションは、焼酎の新たなポジショニングの獲得に大いに寄与したと思います。

山田氏、金森氏

山田氏、金森氏

流通チャネルの変化に合わせて大容量化

山田氏 その後、逆風もありました。酒税法の改正や、世界貿易機関(WTO)において欧米から税差是正の提訴があって裁定に敗れたことを受けて、焼酎の税率がどんどん上がっていったのです。

金森氏 どんな対策を講じたのですか。

山田氏 新たな価値を提供するべく、「宝焼酎」や宝焼酎「純」とは違った味わいの琥珀(こはく)色に輝く宝焼酎「レジェンド」を88年に発売するなど、商品ラインアップを充実させました。

金森氏 なるほど。

山田氏 また酒の大型ディスカウントショップがオープンし始めたのは、ちょうどこのころです。流通の変化は、大容量ペットボトル入り焼酎の市場の拡大につながりました。自家用車で店に乗り付けて買い込む場合、壊れやすいビンよりペットボトルのほうが便利で、しかも大容量なら何度も買い出しする必要がありません。ただ、当社はこの「大容量化」にはやや乗り遅れてしまいました。これまでの市場を大事にしたいという思いが強かったからです。

金森氏 長い歴史がありますから、町の小さな酒屋の販路がしっかりしていて動きにくかったということもあったのでは。

山田氏 それもありましたが、消費者の購買傾向の変化に対応していくことが必要だと考えました。また、これを教訓に、2000年代にスーパーやコンビニでも酒類の販売ができるようになった際は、いち早く棚割りの提案や共同販促の働きかけを行いました。

金森氏 流通の構造変化に対応して「提案営業」を行ったと。

山田氏 はい。スーパーやコンビニへの提案営業は、お酒の業界では進んでいませんでした。

金森氏 スーパーで販売される焼酎も、やはり大容量のペットボトルがメーンになりましたか?

山田氏 そうです。酒屋さんが自宅まで御用聞きに来て配達してくれた時代は、リユースできるガラスビンがメーンでしたが、店内をカートで運んで購入するようなスタイルになってからは、大容量のペットボトルのほうが好まれるようになりました。

金森氏 先ほど税率引きあげの話が出ましたが、スーパーの酒類販売が始まった頃にも上がっていたのでしょうか。

山田氏 1989年から1998年にかけて段階的に上げられました。その結果、以前に比べて税率は3.2倍になりました。一方洋酒の税率は下げられ、現在ではウイスキーと焼酎の度数あたりの税率は同じになっています。

金森氏 3.2倍とはすごいですね。ただ、焼酎の人気は衰えなかった印象があります。

山田氏 商品の特性としては、健康志向にあっているということがあると思います。またマーケット的には、乙類焼酎市場の拡大があります。

金森氏 いわゆる「本格焼酎ブーム」ですね。

山田氏 はい。本格焼酎の人気に火がつき始めたのは2001年ごろですが、当社はその前から、乙類焼酎は全国的に人気を博するようになると考えていました。そこで93年、本格純米焼酎「よかいち」を発売。この商品は当社の本格焼酎を代表するブランドに成長しました。また、ブームが始まった2001年には、本場九州産の本格焼酎3品(本格米焼酎 洞窟かめ貯蔵「巌窟王」、全量芋焼酎「一刻者」、黒麹かめ仕込み 本格芋焼酎「黒甕」)を発売。最近では2008年に本格麦焼酎「知心剣」を発売しました。

独自性のある「ちょっといい商品」を提案する

山田氏

金森氏 乙類焼酎に共通する販売戦略はありますか。

山田氏 商品企画的なことで言えば、独自性のある商品です。例えば、市場に出回っている多くの芋焼酎は、米麹を使って作られていますが、芋麹を使った芋焼酎を開発し、製品化したのが「一刻者」です。華やかな香り、すっきりした飲み口のこの商品は今や多くのファンを獲得しています。広告戦略的には、テレビCMではなく新聞などの紙媒体を通じたコミュニケーションを徹底しています。

金森氏 「説得型商品」ということでしょうか。

山田氏 その通りです。特性をしっかりご説明していこうと。新発売の時期にテレビCMを大量に打ち出した「タカラcanチューハイ」とはまた別のやり方です。また、最初の1、2年は料飲店ルートで商品のよさを実感していただくことによって、じわじわと商品の知名度を上げる手法を取っています。

金森氏 本格焼酎のカテゴリーは細分化や多様化が進んでいるので、大ヒットをねらうよりも、地道に時間をかけて商品の魅力を訴求してブランドを育てていくことが重要なのでしょうね。料飲店ルートでの販売は得意としてきたのですか。

山田氏 いいえ、元々は弱かったんです。90年代くらいから営業人員を増やして、その成果が21世紀に入って実り始めたという感じです。

金森氏 適正なチャネル選びは、業界トップに君臨し続ける大きなポイントといえますね。

山田氏 もう一つのポイントは、「宝焼酎」に象徴されるボリュームゾーンにおいて「ちょっといい商品」を提供することです。ボリュームゾーンではどうしても価格競争が激しくなります。しかしトップブランドとしては、価格よりも品質で勝負したい。そこで、「宝焼酎」よりやや高い、樽貯蔵熟成酒3%使用の極上<宝焼酎>を提案しました。毎日飲む方ほど「ちょっと高いけど、ちょっとおいしい極上<宝焼酎>を選びたい」とおっしゃいますね。

金森氏 看板商品で堅実にグッドバリュー戦略を取っているんですね。それとやはり、独自性のある商品というのが何よりの強みになっているように思います。

山田氏 企業文化といえますね。元祖商品の「タカラcanチューハイ」にしても、炭酸とアルコールが強く、甘さは控えめ、果汁は酸味が強めです。まさに左党好みの商品です(笑)。

金森氏 確かに「度数が高く、ガツンとくる」イメージがあります(笑)。

山田氏 他社製品よりも個性が強いかもしれませんが、やみつきになる味わいが多いんです。

金森氏 競合他社が取っ付きやすい味で「浮遊層」をねらっているのに対し、やみつきになる味でコアなファン層を獲得しているんですね。

山田氏 「浮遊層」に売り込むためには、テレビCMなど大々的なキャンペーンが中心になります。今のところ「タカラcanチューハイ」にはそうした販売手法は必要としていません。

金森氏 個性的なちょっといい商品を出して、それを理解してくれるコアなターゲットに訴求し、研究開発に注力し、商品に還元する。そんなサイクルがうまく回っていることがよくわかりました。

山田氏 ありがとうございます。

金森氏 同質化戦略によってトップの座を守っているリーディング企業は多いですが、そうせずに独自性を追求し続けているところがすばらしいと思います。

山田氏 当社の紆余曲折(うよきょくせつ)の歴史を振り返ると、関東大震災後、戦後、チューハイブームと、社会状況とあいまって30 年周期で大きな山場を迎えているんです。そして、そろそろ山場を迎える頃。景気の低迷が続いていますが、独自性を追求する企業文化を大事にしつつ、時代のニーズをしっかりつかんでいきたいと思います。

山田和宏

宝酒造 環境広報部 広報課 専門課長

1986年宝酒造入社。広報、経営企画、情報企画を経て、2005年より再び広報に。現在はメディア向け広報、インターネット広報、歴史資料の収集・整理などを担当。

インタビューを終えて

 PEST(ペスト)分析というものがある。企業を取り巻くマクロ環境の中で、自社の事業活動に影響を及ぼす可能性のある要素を把握するため、「P・E・S・T」の各項目で外部環境を洗い出す手法のことである。「P・E・S・T」とは、政治的(P=political)、経済的(E=economic)、社会的(S=social)、技術的(T=technological)の頭文字であり、マクロ環境を網羅的に把握するためのフレームワークである。PEST分析では、この四つの視点で外部環境に存在する、自社にプラスないしマイナスのインパクトを与え得る要因を整理し、その影響度を評価していく。 宝焼酎の事例を考えるには、上記のPESTの視点を持って読み解くとわかりやすい。酒税法や関税といった政治的な影響、景気の好不況という経済環境、アルコール飲料の流行の変遷という社会的影響などが繰り返し宝焼酎の歴史の中では押し寄せてきた。それを巧みにとらえて、自社の技術の力で常に新しいブランドの価値を再定義してきたのが宝焼酎が100年ブランドとなった力の源泉である。 「揺るぎない定番」などというものは、実は存在しない。環境の変化に合わせて、巧みに自らを最適化してきたものだけが生き残れるのだと、宝焼酎の歴史は教えてくれている。(金森努氏)


金森 努氏

金森 努(かなもり・つとむ)

有限会社金森マーケティング事務所取締役社長 東洋大学経営法学科卒。大手コールセンターに入社。本当の「顧客の生の声」に触れ、マーケティング・コミュニケーションの世界に魅了されてこの道20年。コンサルティング事務所、電通ワンダーマンを経て、2005年独立起業。青山学院大学経済学部非常勤講師(ベンチャー・マーケティング論)、グロービス経営大学院客員准教授(マーケティング・経営戦略)、日本消費者行動研究学会学術会員
金森氏ブログ「 Kanamori Marketing Office

HISTORY

1912年

「寶」の看板 「寶」の看板

日本酒精の新式焼酎「日の本焼酎」に自社商標「寶」を冠して関東で販売。


1916年

自社で新式焼酎「寶焼酎」を製造。


1918年12月

1919年5月24日付朝刊 1919年5月24日付朝刊
昭和初期のポスター 昭和初期のポスター
ビン入り「宝焼酎」 ビン入り「宝焼酎」

初のビン入り「寶焼酎」を発売。


1958年2月

「タカラエース」 「タカラエース」

「タカラエース」を発売。
洋酒に代わる価値をPR。


1961年8月

「チューロック」 「チューロック」

出荷規制を受けない特殊焼酎の「チューロック」を発売。


1962年9月

「ホワイトドッグ」

「ホワイトドッグ」

ホワイトリカーとしての新需要を創造する商品として、「ホワイトドッグ」を発売。


1968年6月

「レッドタカラ」

「「レッドタカラ」

大麦を原料とした、樽貯蔵原酒使用の「レッドタカラ」を発売。


1977年3月

1977年3月15日付朝刊 1977年3月15日付朝刊
発売当時のポスター 発売当時のポスター
宝焼酎「純」 宝焼酎「純」

宝焼酎「純」を発売。日本でのホワイトレボリューションを先導する商品となる。


1983年

チューハイがブームに。新しい飲酒スタイルとして広まる。


1984年

はとバス 「タカラcanチューハイ」

「タカラcanチューハイ」を発売。


1988年5月

樽貯蔵原酒由来の琥珀色が特長の 宝焼酎「純」レジェンド を長野、群馬、北海道地区で発売。翌年、宝焼酎「レジェンド」として北海道を除く全国で発売した。


1993年3月

「本格純米焼酎 よかいち」 本格純米焼酎「よかいち」

本格純米焼酎「よかいち」を九州・山口地区にて発売。その後、全国で販売。


2001年9月

本格米焼酎 洞窟かめ貯蔵「巌窟王」、全量芋焼酎「一刻者」、黒麹かめ仕込み 本格芋焼酎 「黒甕」を発売。

本格米焼酎 洞窟かめ貯蔵「巌窟王」 本格米焼酎
洞窟かめ貯蔵「巌窟王」
全量芋焼酎「一刻者」 全量芋焼酎
「一刻者」
黒麹かめ仕込み 本格芋焼酎「黒甕」 黒麹かめ仕込み
本格芋焼酎「黒甕」


2007年

極上<宝焼酎> 極上<宝焼酎>

樽貯蔵熟成酒1%使用の「宝焼酎」よりやや高い3%使用した極上<宝焼酎>を発売。


2008年

本格麦焼酎「知心剣」を発売。

2011年3月8日付朝刊 2011年3月8日付朝刊
本格麦焼酎「知心剣」 本格麦焼酎「知心剣」