モチーフの組み合わせを熟慮し、ニュースになるビジュアルを生み出す

 モチーフ単体で新しさを表すのは難しい――そう語るのは、博報堂のアートディレクター、榮 良太氏。アイデアを生み出す上で判断の基準は、自分がドキドキするかどうか。客観的な視点とこれまで培ってきた経験、そして自分の感覚を基に、今までにない表現を追求している。

広告の仕事は飽きない。先輩の言葉が胸に刺さった

──子どもの頃になりたかった職業は。

榮 良太氏 榮 良太氏

 子どもの頃からお絵かき教室に通い、絵を描くことは好きでした。最初に憧れた職業は、漫画家。小学4年生のとき漫画家キットを買ってもらって、Gペンで漫画を描き始めました。だけど、ストーリーを思いつくセンスがなく、すぐに断念(笑)。それから漠然とイラストレーターになりたいと考えるようになりました。

 進路を決める段階で、イラストレーターになるために美大で絵を勉強したいと親に伝えたのですが、賛成してもらえませんでした。父親が医者で、医大への進学が親の意向だったからです。そのため、現役のときは、医大と美大、両方受験しました。高3の秋まで部活のサッカーを続けていて、受験勉強は一切してなかったので、当然ですがどちらも不合格。浪人する前、あらためて美大への思いが強いことを親に伝え、晴れて美大一筋で浪人することになりました。

──広告業界を目指したきっかけは。

 はっきりと広告業界を意識したのは、大学3年のとき。母親の知り合いが博報堂にいて、会社訪問させてもらえることになったんです。そこで紹介されたのが、宮崎晋さんでした。いま思えば失礼な話ですが、もちろん宮崎さんがどんな仕事をされているかも知りませんでした。そんな私に宮崎さんは嫌な顔をするどころか「アイデア出しの練習に付き合うよ」と、課題を出してくれたんです。「幸せ」とか「優しい」といったキーワードに合わせて、100枚絵を描くという内容でした。家に持ち帰って描いて次に会うとき見せる、というのを2回くらいやらせてもらいました。

 武蔵野美術大学では、第一志望だった視覚伝達デザイン学科は落ちてしまったので、工芸工業デザイン学科でテキスタイルデザインを専攻していました。それを宮崎さんに話したら、当時、武蔵野美術大学の非常勤講師をしていた博報堂の山本幸司さんの広告の授業を受けるように言われたんです。広告の勉強をするのも、それが初めて。山本さんには、博報堂に入りたいなら、少なくともこのクラスで一番にならないと無理だよと言われ、必死に勉強しました。

 山本さんの授業には、ゲストで当時、博報堂の石井原さんや森本千絵さんも教えに来ていました。そのとき、石井さんが「広告の仕事は飽きが来ない。ビルボードや駅貼りのポスターなどキャンバスも大きいし、こんな楽しい仕事はない。天職だと思っている」という話をしたんです。私は飽きっぽい性格で、イラストレーターになりたいという気持ちにすら飽きていたくらい。だから「広告の仕事は飽きが来ない」というフレーズが胸に刺さりました。

 また、広告について調べていくうちに、イラストを使った表現が意外と多いことにも気付きました。アートディレクターになればイラストも描けそうだし、何でもありなんだと思ったのを覚えています。それで広告業界を目指そうと決意しました。

──クリエーターとしての転機は。

 入社2年目に入った佐野研二郎さんのチームでの仕事は、最初の転機だったと思っています。部活のような雰囲気で、夜遅くまで仕事することも全然苦じゃなかった。仕事もどんどん任せてくれるので、やりがいもありました。佐野さんに言われたことで印象に残っていることは数え切れないほどありますが、その中の一つが文字組みについて。折り込みチラシの裏の文字組みを任されたとき、「情報を整理するデザインを習得できれば、表面のデザインやポスターのデザインは簡単に感じるから」と言われました。チラシの裏面のデザインは、表面のデザインと比べると地味な作業だと思いがちですが、そのアドバイスのおかげで、ここが肝心なんだとモチベーションを上げて取り組むことができました。文字組みのデザインが出来るようになった、と自分で実感できるまで4年ほどかかりましたが、すべてのデザインのベースになっていると実感しています。

 企業やブランドが伝えたいことを視覚化するのがデザインの仕事。文字組みをはじめ、タイポグラフィーや色づかいなど、細かい部分にまでどれだけ配慮できるかで、仕上がりの印象が変わってくると思っています。たとえば、白い壁にセロハンテープの跡が残っていても、生活するには何も困らないですよね。だけど、それを気持ち悪いと思ってはがすのが、グラフィックデザイナーの視点。普通の人が気に留めない部分にまで注意を払えるかどうか。そうした考えも、当時教えてもらったことの一つです。

自分がドキドキするデザインか。感性を鈍らせないために考え続ける

※画像は拡大表示します。 2011年7月30日付 朝刊 2011年7月30日付 朝刊

──サントリー「胡麻麦茶」のアートディレクションも秀逸です。

 8年ほど前から担当しています。重視しているのは、カラーコントロール。信頼感や爽やかさを表現したいというクライアントの要望を聞いたとき、イメージした色が水色でした。用意されていたグラフが赤だったので、水色と組み合わせれば赤が差し色になると考えました。グラフは大きめにしたいというオーダーで、試しに高橋克実さんの笑顔に重ねてみたら、思いがけずインパクトがありました。今ではそれがアイコンのような役割も果たしています。薬事法があるので表現にはいろいろ制約がありますが、書体選びや配置の仕方にもこだわっています。決して派手なデザインではありませんが、先輩からも褒めてもらえることが多いんです。自分のデザインに自信を持てた仕事です。

 

──高級ブランドの「グッチ」と『ジョジョの奇妙な冒険』で知られるマンガ家の荒木飛呂彦氏がコラボレーションした、集英社の女性誌『SPUR』の新聞広告のアートディレクションは、榮さんの代表的な仕事の一つです。

2011年8月23日付 朝刊<br />(C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS/SHUEISHA 2011年8月23日付 朝刊
(C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS/SHUEISHA

 『ジョジョの奇妙な冒険』は、子どもの頃から大好きな漫画で、自分から携わりたいと申し出て、担当させてもらいました。2011年に掲載した新聞広告は、『SPUR』が懸け橋となって、グッチの90周年と荒木先生の画業30周年をお祝いするための企画でした。絵だけで十分魅力的なので、余計なことは一切していません。グッチと『ジョジョの奇妙な冒険』がコラボすること自体がニュースなので、『SPUR』の書影は入れず、文字要素も極力少なくしています。

 翌年に掲載した第2弾は、ジッパーをキービジュアルにして、紙面をめくるとキャラクターが出てくるという仕掛けです。エリアごとにビジュアルを変えています。ファンがツイッターやフェイスブックなどのSNSでの拡散してくれることを狙ったものです。その後も「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展」(2012年・東京)の駅貼りポスターや週刊少年ジャンプのイベント用の「ジョジョブース」のアートディレクションを担当しています。漫画家になりたいという夢はかなわなかったけど、アートディレクターとして大好きな漫画に関わる仕事ができたので満足しています。

※画像は拡大表示します。

2012年12月22日付 朝刊(東京本社版)ページ送り 2012年12月22日付 朝刊(東京本社版)ページ送り
2012年12月22日付 朝刊(大阪本社版)ページ送り 2012年12月22日付 朝刊(大阪本社版)ページ送り
2012年12月22日付 朝刊(名古屋本社版)ページ送り 2012年12月22日付 朝刊(名古屋本社版)ページ送り
2012年12月22日付 朝刊(西部本社版・北海道支社版)ページ送り 2012年12月22日付 朝刊(大阪本社版)ページ送り

──2015年は、生活雑貨専門店の「ロフト」と実写映画『進撃の巨人』のタイアップキャンペーンのアートディレクションも手がけました。

2015年7月24日付 メガ新聞<br />(C)2015映画「進撃の巨人」制作委員会 <br />(C)諫山 創/講談社 2015年7月24日付 メガ新聞
(C)2015映画「進撃の巨人」制作委員会
(C)諫山 創/講談社

 巨人がロフトのシンボルカラーでもある黄色の壁から顔を出すビジュアルをアイコン化して、新聞広告をはじめ店内のPOP広告などに展開しました。巨人がにょきっと顔を出すカットは、漫画の中でもキャッチーなシーンなので、怖い印象を和らげることができると考えました。キーとなるアイコンを、様々な媒体に展開するというビジュアルのコンセプトの立て方も入社当初に教わったことです。

──アイデアを生みだす上で工夫していることは。

 客観的に見て、新しい表現かどうか。モチーフ単体で新しさを表現するのは、たしかに難しい。だけど、モチーフの組み合わせ方次第では、まだまだ新しさを見いだすことは可能だと思っています。私にとっての新しさの基準は、自分がドキドキするかどうか。アイデアを生み出す感性は鍛えないと鈍るので、日頃から常に考えています。

 胡麻麦茶の「水色」と「赤」の組み合わせがいいと思ったのも、あくまでも感覚的なものなんです。ただ、予備校時代から色には興味がありました。大学では、幅10センチ、長さ60センチほどの細長い型紙にししゅう糸を巻き付けてストライプを作る課題がありました。テーマに合わせて色の組み合わせを考えるのですが、そうした訓練が色に対する感覚を磨くことにもつながったと思います。

──博報堂に入社して12年。先輩の言葉どおり、広告の仕事は飽きることはありませんか。

 本当に飽きることはありません。常に15くらいの案件を同時進行させていて、課題はいくつも抱えています。ただ、自分ひとりで抱え込みすぎると次のアイデアを考える時間がなくなるので、キーとなるアイコンを考えたら、担当のデザイナーに振ってもんでもらう。そうすると、新しいアイデアが出てくることもあり、魅力的なものはどんどん採用しています。そうやって作って預けて作って……と、パスを出し合いながら完成させています。こうした仕事の仕方も、4年ほどお世話になった佐野さんから教えてもらったことです。

──最後に、これからやってみたいことがあれば教えてください。

 やってみたいことは、サッカー日本代表のユニホームのデザイン。サッカーが大好きで、いまでも週3でやっています。あとは、クルマのナンバープレートもデザインしてみたい。クルマのデザインは日々進化しているのに、ナンバープレートだけ変わっていないですよね。

 まだまだやり切った感はありません。博報堂で同期の小杉幸一は、実は予備校も大学も一緒でした。小杉と二人でオジサンになっても会社で面白いことがしたいよね、なんて話しています。

榮 良太(さかえ・りょうた)

博報堂 クリエイティブデザイン局 アートディレクター

1979年生。2004年武蔵野美術大学テキスタイル学科卒、博報堂入社。東京ADC賞、JAGDA新人賞、NYADC賞など受賞。飲料、オーディオ製品、自動車など多数を担当。
「繊細かつ大胆に、シンプルで強いデザインで世の中を大きく動かしたい。」という思いで活動中。