投資としてのマーケティング(前編)

 企業が提案する価値を効果的に受け手に届けること。そしてその効果を的確に把握すること。文字にすればいたってシンプルなマーケティング課題も、いざ実践となると、なかなか容易ではない。「知識構造化」「マーケティングROI」という2つの切り口、そして大和ハウス工業のマーケティング戦略を一つのケースに、慶應義塾大学大学院経営管理研究科ビジネススクール教授の井上哲浩氏に語ってもらった。

手続き的知識として推論させることがカギ
認知に長(た)けた新聞の役割も

井上哲浩

──情報量が氾濫(はんらん)する中での、コミュニケーションのカギとは。

 情報量が爆発的に増加した状況で、消費者の対応は主に2パターンに分かれます。1つ目は、より積極的に情報を処理するタイプ。処理スキル次第では知りたい情報をより深く掘り下げていけますから、こうした時代は歓迎すべきことかもしれません。そしてもう1つは、受動的な対応に終始するタイプ。過度な情報量に「あっぷあっぷ」な状態で、ある情報を取得しても、浅いレベルでしか処理をしない、あるいはできないパターンです。後者の方がはるかに高い割合を占めるのは言わずもがなです。従来、情報は接触すれば処理してもらえるものという前提で「Reach」といった指標でマーケティングコミュニケーションの意思決定がなされてきたと思います。しかし現在は、情報を処理しきれない人たちに対してどのようにコミュニケーションを図るか、という前提のもと、その意思決定基準も「接触」から他の何かにシフトしなければならない時にあります。

 その新しい基準として提唱するのが「知識構造化」です。知識構造化とは、消費者が徐々にバリュープロポジションを理解し、商品やブランドの本質的な価値が浸透することを指します。知識構造化を有機的に促進する1つの手段である「オーガニック・コミュニケーション・ミックス」に関しては「顧客をじっくり育てるマーケティング」に詳しいのですが、ここでは新たに「手続き的知識」の提示を推奨します。

──「手続き的知識」とはどういったものですか。

 認知心理学では、知識が成立する枠組みを「宣言的知識」と「手続き的知識」に分けることができます。宣言的知識とは事実に関する知識のこと。例えば「今日は1ドル●●円である」というように「○○は■■である」という性質のものです。対して手続き的知識とは、わからなくても、それを調べるための手続きや推論の手順を知っていることを言います。「今日の円相場は知らないが、あの情報源にアクセスすれば知ることができる」など、推論の手順に関する知識と言い換えられます。情報過負荷の時代において「この車は1㍑あたり●㌔走れる」といった一方的な「宣言的知識」を記憶、構造化してもらうことは、消費者がよほど興味を持たない限り不可能でしょう。いっぽう「車を購入する際には、燃費を考慮することは大切ですよね」と受け手に考える余地を与えるアプローチで、「手続き的知識」を蓄積、構造化させること。さらに興味、検討、情報収集など購入決定に至るまでの各場面で受け手が推論を活性化できるように知識を植えつけるほうが、情報過負荷の時代には有効なのです。

──大和ハウス工業を例にとって教えてください。

 生涯において、住宅は頻繁(ひんぱん)に購入されるものではありません。購買検討の期間が極めて長い性質を持ち、特に消費者の知識構造化を促す仕掛けが必要な業態です。それを認識された上で、じわじわと同社のバリュープロポジションを理解してもらうコミュニケーションを試みていると感じます。具体的には、住生活における先人の知恵を、「共創共生」というグループ理念とリンクさせた一連の広告シリーズや、CMでおなじみの「なんでダイワハウスなんだ?」など。「大和ハウス工業はロングライフ化、環境共生型の住宅を作っている」ことを、受け手に考える余地を与えながら、じわじわ知識として植えつけている好例です。

 伝えるメディアに「社会性」があることもポイントと前回申しました。メディア・イン・メディアの形をとり、社会性の強いメディア性を持つ「朝日新聞GLOBE」に出稿を継続されているのも、そんなところを見越してなのでしょう。メディアの選択にふさわしいクリエーティブ管理をすることで、効果も増幅されています。そういう意味では、同じ「R」でも、Reachに代わるものとして「Recognition(認識、理解)」という新たな基準を我々に提示してくれるのが、社会性が高く知識構造化に大きな役割を果たす新聞であるかもしれません。

「大和ハウス工業」の事例

2010年 3/22 GLOBE
2010年 4/5 GLOBE
2008年 7/3 朝刊
井上哲浩(いのうえ・あきひろ)

関西学院大学商学部卒業。同大学院商学研究科、カリフォルニア大学ロサンゼルス校経営学博士(Ph.D.)を経て、1995年関西学院大学商学部専任講師。同助教授を経て、2005年より同教授。2006年より現職。専攻は、マーケティング・マネジメント、マーケティング・サイエンス。主な著著に、『戦略的データマイニング──アスクルの事例で学ぶ』(共著、日経BP社)、『費用対効果が23%アップする刺さる広告──コミュニケーション最適化のマーケティング戦略』(共監訳、ダイヤモンド社)など。