佐藤雄介氏が生み出すテレビCMは、既存の枠を軽々と飛び越えていく。一度見ただけでは理解できない、分かる人にだけ分かればいい。そんな媚(こ)びない表現は、何度も見返したくなる仕掛けの一つ。テレビCMというメジャーな媒体でありながらサブカルチャー的な立ち位置が実に新鮮で、若者の心を捉えている。2017年にクリエイター・オブ・ザ・イヤーも受賞。今、注目のクリエーターだ。
1年目は営業に配属 広告制作の一連の流れを学ぶ
──広告業界を目指したきっかけは。
高校生の頃から短編小説が好きで、星新一さんや阿刀田高さんの本を愛読していました。その延長で、映像も尺の短いミュージシャンのミュージックビデオをよく見ていました。広告業界に興味を持ったのは、高校の友人が「ミュージックビデオを企画しているクリエーターの中には、普段は電通という会社でCMプランナーとして働いている人がいる」と教えてくれたことがきっかけです。テレビCMも短い映像作品として興味を持ち、漠然と広告業界を意識するようになりました。
ただ当時は、青臭いのですが、企業に入って社会のレールの上を歩くのは嫌だとか、サラリーマンにはなりたくないと、言っていました(笑)。大学に入る時は、もっと映像制作の現場に近いところで働きたいと思っていました。
しかし、実際に友だちと映像作品をつくってみると、自分は映像を撮ることより、ストーリーを考えたり、企画をしたりするほうが向いている気がしたのです。それで、方向転換して電通を目指すことにしました。
少しでも何か実績をつくろうと思い、ACCの学生CMコンクールに応募したら、グランプリを受賞。その後、電通のCMプランナーが教えるクリエーティブ塾というのに参加し、やはりこの仕事は面白そうだなと思い、広告のプランナーになろうと決めました。
──電通に入社して、営業局に配属されました。
当時は、初期配属でのクリエイティブ局への配属はない制度でした。2年目を迎える前に、新入社員全員でクリエーティブ試験を受けその結果を元にクリエイティブ局への配属が決まる。僕は1年目は営業局に、試験に合格して2年目からクリエイティブ局に配属されました。
営業に配属されてよかったことは、広告の仕事の流れを俯瞰(ふかん)して把握できたことです。新人だったので先輩のもとで経験を積んだ程度ですが、クライアントとの日頃の付き合いから、オリエンとプレゼン、広告を完成させるまでの細かいやりとりを経て、世の中に発信し、反応や売れ行きの情報収集、そしてまた次のオリエン・・・といった一連の流れを間近で見ることができました。
そのことにより、クリエイティブ局で働くようになってから、例えば営業から修正の依頼があったとき、「このタイミングでの戻しは、こういう意図があるだろうな」と想像ができるので、納得して応じられた。反対に「だったらこの前のタイミングでも指摘することもできたはず」と、新人の頃から営業と同じ目線でコミュニケーションをとることもできました。
──クリエイティブ局での下積み時代に苦労したことは。
最初は、たくさん企画を出しても、簡単には通らないことに愕然(がくぜん)としました。そもそも企画は考えられるけど、どうやって形にすればいいか全く分かっていなかったのです。そのとき、企画力だけじゃなくて実現力も必要なんだと気づきました。「企画」と「実現」、そこには大きな溝があるのです。口で言うのは簡単だけど、それを実現するのは本当に難しい。一通りのことが自分でできるようになるまで、数年かかりました。
──転機となった仕事は。
三つあります。一つ目は、味噌汁(みそしる)'sというバンドのデビューアルバムのプロモーションの仕事です。テレビCMやミュージックビデオ、CDジャケットの制作など、トータルで手がけました。さらに、味噌汁'sというバンド名にちなんで、マルコメに自主プレゼンして、若い世代に向けたプロモーションを提案しました。それが、「ロックを聴かせた味噌汁」という商品の共同開発やイベントにもつながりました。その結果、統合的なコミュニケーションとなり、もともと用意されていた枠組みを大きく広げることができました。
味噌汁'sの仕事を手がける前は、一通り仕事は覚えたものの、どこか突き抜けられていないと感じていました。だけど、味噌汁'sの仕事が社内で評判となり、日清食品のカップヌードルの競合プレゼンに参加させてもらえることになりました。それまで大型のキャンペーンは手がけたことがなかったのに、プレゼンでは、僕らの企画を選んでもらえました。それが二つ目の転機です。大きな実績もなかったのに、日清カップヌードル「STAY HOT いいぞ、もっとやれ。」というCM・ウェブ・イベント全体のキャンペーンを1年間、任せてもらいました。さらに、そこから三つ目の転機となる大塚製薬のポカリスエットのキャンペーンのCRチームに誘われました。今年3年目で、高校生が本気でダンスをするシリーズです。「潜在能力をひき出せ」というテーマで、さまざまなキャンペーンを展開しています。
──どの広告も、SNSでも話題になりました。
今はテレビとウェブが共存していて、YouTubeをはじめ動画サイトが台頭しています。情報が消費されるスピードも速い。そんな世の中でどうやったら「すぐに消費されない広告」をつくれるか、を考えています。例えば、一度見たCMを何度も見てみたいと思ってもらえるか?その方法はいくつかあると思いますが、その一つに「映像の情報量」を多くすることがあると思っています。一度見ただけでは気づかない情報を、あえて入れておく。すると、それに気づいた人がSNSで話題にしてくれて、ウェブのニュースで取り上げてもらえたりする。そうすると、テレビCMを見た人が、YouTubeでもう一度 CMを見てくれるという現象が起きるのです。
日清カップヌードルの「HUNGRY DAYS アオハルかよ。」シリーズも、何度も見てみたくなる仕掛けをいくつも盛り込みました。分かる人には分かったはず。その情報がネットで拡散され、話題となりました。
日清カップヌードル 「HUNGRY DAYS アオハルかよ。」111KB
今、自分が高校生だったらどんな反応をするか想像する
──若い世代に向けたCMを制作する上で工夫していることは。
自分が10代だった頃、何を好きだったか、どんなことを面白がっていたか思い出すようにしています。時代が変わっても、変わらないことってあると思います。例えば、「高校生に人気」と言われているものでも、みんなが同じように楽しんでいるとは限らない。素直に楽しむ人もいれば、はすに構えて見ている人もいるはずです。当時の自分だったら、どんな反応をするか想像してみると、高校生の気持ちに近づけるのではないかと思っています。
あとは、高校生のトレンドに詳しい人や若い世代の動向を研究している人などから情報収集をしたり、仕事で出会った高校生に話を聞かせてもらったりもしています。
──新聞広告を活用した事例もあります。
日清焼そばU.F.O. 発売40周年記念新聞広告
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新聞広告は、情報をできるだけ削(そ)ぎ落として「なんだろう?」と思わせるようにすると、ウェブで検索してもらえたり、写真に撮ってSNSで誰かに伝えたりしたくなるのでは?と考えています。例えば、日清焼そばU.F.O.の発売40周年記念の新聞広告も、「浮くU.F.O.」というキャッチコピーとレトロなビジュアル、そして「浮かせ方、Webで公開中」という情報のみ。思わず検索してみたくなるようにつくりました。
キャンペーンで新聞広告を活用すると、グラフィックデザインのチームのモチベーションもぐっと上がります。やっぱり新聞広告は特別な媒体なのです。クライアントは、まだ誰もやったことがない表現を好まれることが多いので、朝日新聞とも連携しながら、何か新しいことに挑戦してみたいです。
──新しい表現はどうやって生み出すのか。
テレビCMや新聞広告それぞれ単体で、メジャーで新しいものをつくることは、すごく難しい。だから新しいルールで戦えばいいと思っています。今はメディアも手法もたくさんあるので、そのかけ合わせ方しだいで、幾らでもオリジナリティーは出せます。例えば、マルコメの「かわいい味噌汁 原宿味」のプロモーションでは、味噌汁という日本古来の文化と原宿の「KAWAII」という文化をかけ合わせています。さらに原宿にお店をつくったり、ライブ会場で味噌汁を配ったり、映像はファッション系にしたり。これまで接点がないもの同士をかけ算することで、あえてずらす。それが今までにない新しい表現やキャンペーンを生み出すのです。
──最後に、若手クリエーターに向けてメッセージをお願いします。
月並みですが、まずは自分が本当に好きだと思うジャンルを突き詰め、何かしらの結果を出すことが大切だと思います。いきなり手広く、あれもこれもと欲張らないことです。三国志と一緒で、ひとつずつ国を手に入れていくと、いつの間にか陣地が広がり、大きなことができるようになる。今はSNSが発達しているので、例え小さくても、つくっているものが面白ければ、誰かが見つけてくれる可能性が高い。広告賞などを受賞しているかどうかは、実は関係ないと思います。賞は案外後からついてくるものですから。
電通 第5CRプランニング局 CMプランナー/コピーライター
2007年電通入社。
最近の仕事:カップヌードル「HUNGRY DAYSアオハルかよ」、ポカリスエット「ガチダンス」、焼そばU.F.O.「ヤキソボーイ」、マルコメ「世界初かわいい味噌汁」など。
受賞歴:2017年度クリエイター・オブ・ザ・イヤー、TCC賞、TCC新人賞、ヤングカンヌ「フィルム部門」で日本人初メダリストなど。