博報堂のクリエイティブディレクター、河西智彦氏は、広告制作におけるスタンスを「売り上げ至上主義」と明言している。目指しているのは、来園者増や売り上げのV字回復など、経営に役立つことと、面白い表現の両立だ。関西仕込みのユニークな広告をSNSで拡散させる総合的なコミュニケーションの提案にも定評があり、経営者からの信頼は厚い。
適性試験に2回不合格 7年間営業を経験
──広告業界を目指したきっかけは。
大学卒業後は、大学院に進学する予定でした。その気持ちに迷いはなかったのですが、 人生勉強のためという軽い気持ちで就職活動もしていました。もともとアイデアを考えることが好きだったので、志望する会社を選ぶ指針は「ゼロからイチを考える仕事」であるかどうか。例えば、ペットボトルの蓋(ふた)を、より開けやすくする仕事は「改良」であって、当時の僕にとっては「ゼロイチではない」と考えていました。
ただ、当初は人生経験のつもりだったのに、気付いたら就活の魔力にはまってしまった。面接を突破していくと、自分が社会で必要とされているように思えてきて、夢中になってしまったんです。勘違いなんですけどね。大学院の進学のことを忘れて、いつの間にか本気で就職活動に取り組んでいました。
広告会社の存在は、友達から教えてもらいました。広告制作の仕事も当時の僕が考える「ゼロイチの仕事」であると分かり、応募したら運よく採用が決まりました。
河西智彦氏
実は、その前にテレビ局から内定をもらっていたんです。テレビ局ではディレクターの仕事を志望していたのですが、それを辞退して博報堂に入社したので、てっきりクリエイティブ局に配属されると思っていました。しかし、クリエーティブの適性試験を受けたら、あっけなく不合格。営業へ配属になりました。
──そのときの心境は。
かなりショックで、傷つきました。大手自動車メーカーのチームに配属され、1年目は打ち合わせや会議の議事録をとったり、みんなの負荷がないようにスケジュール管理をしたり、コピーを間違いなくとって配布したり、営業活動を下支えする仕事をしていました。新人のときに覚えるべき大切な仕事でしたが、当時の僕は「なんでこんなことをやらなくちゃいけないんだ」と思いながらやっていました。本当に世間知らずで、ダメな新人でした。
──最終的に7年間営業を経験した後、3回目の適性試験に合格してクリエイティブ局に異動します。7年もの間、モチベーションはどうやって維持されたのでしょうか。
途中で心が折れなかったのは、尊敬していた父親と22歳までの自分を裏切っていたからです。父親は大学教授で、僕が自分と同じ道に進むと信じて応援してくれていました。僕自身、そのために子供の頃から勉強に励み、22歳まで大学の先生になることに迷いもなかった。それなのに勝手に就職を決めて、しかも就活のとき目指していた「ゼロ→イチ」を発想する仕事もしていない。高校生の頃の自分に「何やってんだよ」と、あきれられているような気分でした。だから、どうしても「営業のままでいい」とは思えなかったんです。コピーライターになるための勉強は営業として働き始めた当初から続けていて、宣伝会議のコピーライター養成講座には何回も通っていました。
関西への転勤がなければ 今の自分はいない
──ターニングポイントとなった出来事は。
関西支社に転勤したことです。コピーライターとして働き始めてから4年後、辞令を受けました。まったく予想していなかったので驚き、正直乗り気じゃなかった。しかし、今振り返ると、関西への転勤がなかったら今の自分はいないと思います。
転勤して良かったことは、大きく二つあります。一つは、経営視点を持つことができたこと。得意先の経営層の方と直接やりとりできる機会が増え、社長さんと直接話すことも珍しくなかった。経営について、仕事をしながら学ばせて頂きました。それは、東京の仕事ではなかったことです。
もう一つは、関西の遊園地の仕事などで本当に面白いものとは何か学べたことです。関西の笑いのレベルは本当に高くて、ちょっとやそっとじゃ面白いと思ってもらえません。東京の笑いとは質が違うことが身に染みて分かりました。
経営視点を持てたことと、面白さの本質を学んだことにより、「売り上げを伸ばすことと、面白いアイデアを両立させられるのではないか」と考えるようになりました。
──そのきっかけは。
ひらかたパーク(以下、ひらパー)の仕事をきっかけに、売り上げに対する意識が目覚めました。2012年に僕が担当させていただいたひらパーの仕事は、大阪の広告団体「大阪コピーライターズ・クラブ」主催の広告賞でグランプリを受賞し、SNSでもそれなりに話題となりました。しかし、担当の方から「広告は話題になり、とても喜ばしいけれど、年間来場者数はほとんど増えなかった」という話を聞き、愕然(がくぜん)としました。広告は企業にとって、売り上げを伸ばすための投資です。だからこそ、どんなに面白い広告であっても結果につながらなければ意味がありません。この出来事をきっかけに、「売り上げを伸ばすことと面白いアイデアを両立させる」という思考に切り替えました。
逆境をアイデアに変える企画術
崖っぷちからV字回復するための40の公式
(河西智彦氏 著)
──売り上げを伸ばすことと面白いアイデアを両立させることは、容易ではないですよね。
当時、その二つを両立できると思っていた人は、少なかったと思います。売り上げを伸ばそうとすると、表現は面白くなくなると思われていたし、クリエーティブに特化する人は売り上げを考えない傾向が強いからです。ただ、それは誰かが勝手に決めたことですよね。僕は、そんな天井をとっぱらい、「両立は絶対できる」と信じ、取り組むことにしました。
まず二つのことを決めました。一つは、クリエーターとしての感覚を持ちつつも、自分を世の中の凡庸なポジションに置くこと。たとえ自分が「行く」と思っても、自分の感覚が世の中の中心からずれていたら、他の人は行かない可能性が高くなるからです。例えば、SNSを頻繁にやっていると、SNSで発信される情報を世の中の人みんなが知っていると思いがちなのですが、そうとは限らない。アーリーアダプターではなく、レイトマジョリティーくらいがちょうどいいと思います。この二つのことを決め、さらに、これまでの広告の分析も始めました。表現に特化した広告の中で、売り上げを伸ばした広告とそうでない広告の差は何か。仮説を立てながら研究しました。具体的な方法は、行動経済学なども踏まえて自分なりに40の公式にまとめています。その内容は著書「逆境を『アイデア』に変える企画術」にも掲載しています。
もう一つは、自分の心が本当に動く広告をつくること。広告を見て自分が行こうと思えなければ、人も行こうと思いません。当然のことなのですが、そのことを肝に銘じ続けられるかどうか。それは、とても大事なことだと思います。
──2018年と2019年の12月31日に朝日新聞に掲載した幸楽苑の広告も、売り上げのV字回復の後押しとなりました。
幸楽苑の仕事も転機となった仕事の一つです。幸楽苑の新井田昇社長は、従業員満足度(Employee Satisfaction)を高めることが売り上げを伸ばすことにもつながると考え、創業してから初めて2018年の年末年始の休業を決めました。年末年始は売り上げが一番伸びるため、経営的に大きな決断です。ESを重視した経営方針を、一人でも多くの人に伝えるべきだと考えたのですが、単に「幸楽苑は年末年始休みます」という情報だけでは注目を集めにくい。「幸楽苑っていい会社だね」と共感され、応援したくなる。そんな「感情を動かすためのクリエーティブ」が必要だと考えました。その結果、生まれたのが「2億円事件。」「0億円事件。」という新聞広告です。
ポイントは、論理的な思考を積み上げた後に、アイデアを考えたこと。クリエーターは論理的な思考の途中で面白いアイデアがひらめくと、それをどうにか世の中に出そうと考えてしまう傾向があります。論理を「後付けする」というパターンです。そういうアイデアは、継続的な売り上げに結びつかないことが多い。だけど、得意先の人たちは、広告の専門家である僕らの提案は「効く」と思って、前向きに採り入れようとしてくれる。だからこそ、僕は売り上げを伸ばすことを論理的に逆算し、それを実現するためのアイデアは最後に考えるようにしています。
──幸楽苑の広告を掲載する媒体として、朝日新聞を選んだ理由は。
このときの幸楽苑の広告で伝えたかったことは、働き方改革に取り組む社長の英断です。社会性のあるメッセージでもあったので、媒体は新聞を選びました。朝日新聞を選んだ理由は、SNSで新聞広告が拡散される率が他紙よりも比較的多いと思われるからです。理由はいくつかあると思いますが、読者層が広く、デジタルに精通した人が多く読んでいるからではないでしょうか。
──新型コロナ禍における新聞の役割についてのお考えも、お聞かせください。
同じ情報でも、どのメディアから発信するかによって、届く人たちや受け止められ方などは変わってきます。新型コロナ禍の今は、特に信頼性の高い新聞の情報を求めている人は多いはずです。
ただ今は刻々と状況が変わっていますよね。新聞広告で発信する情報も、準備している段階で状況が変化し、ピントがずれた内容になりかねない。とはいえ、あまり一般的すぎるメッセージでは、広告が果たすべき企業の経済活動につながりにくいはずです。そこで、1年先の長期、1カ月から3カ月先の短期、そして1日から3日先の超短期という三つの視点で企業経営と社会情勢をとらえ、どこの売り上げを増やすか決め手から広告を企画するのがいいと思います。ともすると、ウィズコロナという状況が続いていく可能性もある。そうなると情報の即時性が求められますが、新聞広告の特性を考えると長期的な視点で考えることがいいのかもしれません。
博報堂 クリエイティブディレクター
一橋大学卒。2019年クリエイター・オブ・ザ・イヤー・メダリスト。マス広告から商品開発、戦略PR・SNS施策まで統合的に企画。感情や心理をつくってターゲットを行動させ、企業の売上増にコミットする。関西の老舗遊園地のV字回復、幸楽苑のV字回復、複数の大手ブランドでの最高売上などに貢献。「2億円事件。」、「工事がいらないおうちのWi-Fi」、「ベイクを買わない理由100円買い取りCP」、スペースワールド「閉園CP」、姫路セントラルパーク「日本一心の距離が遠いサファリパーク」、岩手日報「最後だとわかっていたなら」など。ヤフートップは20回以上獲得。カンヌライオンズ金賞、ACC金賞などグランプリクラスを30以上受賞。 著書「逆境をアイデアに変える企画術」