「仕掛学(Shikakeology)」

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人がある行動を自然にとるように誘導して、その行動によって別の問題を解決する枠組みを研究する学問。海外でもSikakelogyの名称で様々な分野の研究者が「仕掛け」について議論している。

 冒頭から尾籠(びろう)な話を一つ。先日訪れた居酒屋の男子トイレで、久しぶりに「的シール」が貼られた便器に遭遇した。小さいシールがトイレ掃除に費やす時間を減少させたという話は知っていたが、なるほど標的があるとつい狙ってみたくなる。足を一歩前に運び用を足したが、確かにしぶきも少なめだった。

 仕掛学は大阪大学大学院経済学研究科の松村真宏教授が提唱した。人の何げない行動が、結果的にその人が意識していない別の目的を達成することがある。その枠組みを研究して、ビジネス上の課題や社会問題の解決に貢献することを目指す学問である。

 いま『広告朝日』の読者に仕掛学を紹介するなら、石けんブランドSavlonの「Healthy Hands Chalk Sticks」が好例であろう。6月に開催されたカンヌライオンズのクリエイティブエフェクティブネス部門で、グランプリを獲得したキャンペーンである。インドの低所得層地域では手を洗う習慣がないところも多い。子供達は洗っていない手で食べ物を口に運ぶため、それが原因で病気にかかり命を落とすことも少なくない。解決策として考えられたのがチョークである。子供達が学校で小さい黒板とチョークを使って授業を受けていることに目を付け、洗浄成分を配合したチョークを開発した。授業が終わって子供達が手に付いたチョークの粉を落としに手を洗えば、そのまま殺菌にもなる。カンヌライオンズで石けんと聞けば「Hope Soap」を思い出す人もいるだろう。インドと同様に子供が感染症で死亡する割合が高いことが社会問題となっているケープタウン(南アフリカ)の貧民街で、WHO(世界保健機関)がおもちゃを埋め込んだ石けんを配布した。頻繁に手を洗えば、石けんが小さくなって玩具を取り出せる寸法である。この施策によって、子供が感染症にかかる割合が大幅に減少したと報告されている。両方の石けんともちょっとした工夫を施して、自分達から手を洗うように誘い、結果として「死亡率の低下」という目的を達成した。

 仕掛学における「仕掛け」には▽公平性:誰も不利益を被らない▽誘因性:行動が誘われる▽目的の二重性:仕掛ける側と仕掛けられる側の目的が一致しない─といった三つの条件がそろうものとされている。手に付着したチョークの粉を洗い落としても、子供は不利益にならない。むしろ粉が手に付いたままでは何かと不便だろうから、自分から洗いに行く。しかもHope Soapの方にはオモチャが入っており、少しでも早く石けんを小さくしようと懸命に手を洗う。そしていずれの事例も、石けんを使ってもらう側の目的は子供の手の衛生状態を保って病気を未然に防ぐことであり、子供が石けんを使う目的とは異なっている。

 仕掛学とマーケティングとの関わりについては、論をまたない。山本(2013)は、マーケティングの本質がイソップ寓話(ぐうわ)の「北風と太陽」において太陽が果たしたように、消費者がそのブランドにとって自発的に望ましい行動を取るような仕組みや環境を作り出すことであり、自発的な行動に誘う点においてマーケティングと仕掛学との接点を指摘している。

 さらに、仕掛学は空間・環境・建築など、デザイン工学に関連する分野とも親和性が高い。人の心理や行動に関わるため、社会学、行動経済学、心理学、組織論、文化人類学といった分野にも関連する。環境や交通、福祉、健康といった社会インフラが抱える課題は、一人ひとりがルールに従った行動をとることによって、最小コストで解決できる場合が多い。仕掛学で議論される理論や知見が、社会的課題を解決する上で大いに貢献すると考える。


【 参考文献 】
  • 松村真宏(2016)「仕掛学 人を動かすアイデアのつくり方」 東洋経済
  • 松村真宏(2013)「仕掛学概論~人々の人々による人々のための仕掛学」人工知能学会誌28巻4号
  • 山本晶(2013)「マーケティングと仕掛学」人工知能学会誌28巻4号
田口 仁(たぐち・まさし)
田口 仁氏

アサツー ディ・ケイ CIS総合企画本部 R&D局長

メーカー勤務を経て1999年アサツー ディ・ケイ入社。
主に研究開発部門に所属し、ブランディング手法の開発や、統計・機械学習手法を活用したマーケティングデータ解析などを担当。日本広告学会会員。日本消費者行動研究学会会員。2017年より現職。