「キュレーション」 

 「キュレーション」とは、昨年ごろからよく使われるようになった言葉だ。もともとは博物館や美術館の学芸員を「キュレーター」と呼ぶところから、ある視点のもとで「情報を収集、分類し、共有する」ことをキュレーションというようになったようだ。

 背景としては、インターネットに無秩序に爆発的に増大していく情報の流通がある。ニュースサイトや個人のブログ、ツイッターのつぶやきなど、日々流れる情報やニュースを、個人がバラバラに検索して探すのではなく、まとめて一覧で見たい、あるいは自分なりのまとめを見せたい、というニーズの高まりが、キュレーションが注目される背景である。

 インターネット上の情報をまとめて見せる場としては、以前から「2ちゃんねる」のまとめや「はてなブックマーク」などがあったが、最近ではNAVER社の「NAVERまとめ」が話題になっている。あるテーマにそった情報を個人がインターネット上で集め、リンク集を簡単に作れるようになっている。例えばその時々のニュースに関するリンク集は、その情報を探しているユーザーにとっては便利であり、1次情報ではなくても有益なコンテンツと言うことができる。つまり、インターネット上で何らかの情報発信をしたい個人にとって、ハードルの高いホームページやブログを運営しなくても、手軽に情報発信することができるのだ。「NAVERまとめ」では個人が広告収入を得られる仕組みにもなっている。だが、利用者が増大しているところを見ると、たとえ金銭的収入がなくても、キュレートすること自体が個人の自己表現欲求を十分に満たしているのではないかと思われる。

 よく言われるように、消費やモノ自体で自己を表現する時代は終わり、高級外車や腕時計などでステータスや自己の価値観を誇示するのはもはや時代遅れとなっている。今はモノではなく、いかに有益な情報を発信し、多くの人の支持を得られるか、をアイデンティティーのよりどころとしている人は多い。インターネット上の評判(レピュテーション)や信頼がモノに変わって新しい自己実現の重要な尺度となってようだ。しかし、ブログやツイッターで価値のある情報を提供し続けるのは実は誰にでもできることではない。それより、自分で面白いと思った記事やツイートを、集めて整理する方がハードルは低いと言える。そしてそれは前述したように、利用者にとっても十分に価値のあることなのだ。

 個人の自己表現に対する欲求のほかに、社会的な変化についても洞察することができる。
 ITジャーナリストの佐々木俊尚氏は自著『キュレーションの時代』の中で、絶対数は多くはないかもしれないが共通の情報を求める集団を“生態系(ビオトープ)”と呼び、注目を促している。例えばブラジルのジスモンチというギタリストの例をあげ、インターネットを使った限られたファンへのプロモーションの成功事例として紹介している。この生態系を形作る起点がキュレーターであり、マスマーケティングが効きにくいといわれる現在、新しいマーケティング手法として注目するべきだという。

 広く共通の価値観に支えられた大量消費の時代が過ぎ去った現在、人々はモノでつながるのではなく、情報のネットワークでつながる。その情報はキュレーターによって意味を与えられ、同じような価値観や嗜好(しこう)性を持った人々を結び付ける。それらのグループは大きいものだけではなく、小さいが強固な結びつきを持つグループも多い。そして細かく分散した個々のネットワークはまた、多層的に他のネットワークとつながっていく・・・。

 人々は自分に合った商品を懸命に選別し、購入することから、自分の価値観に合った情報の受信・発信にエネルギーや時間を使うようになるだろう。ツイッターやミクシィ、フェイスブックといったソーシャルメディアを日常的に使っているユーザーなら、すでに感覚的に納得できるはずだ。そのような時代の変化に合わせたマーケティング手法の変化が求められる。