「AR(拡張現実)」

 ARとはAugmented Realityの略語で、拡張現実と訳されることが多い。街の景色や陳列された商品など、実際に目にしているリアルな世界にバーチャルな情報を重ねて現実の知覚体験を「拡張」する手法である。従来はヘッドマウントディスプレーなどを用いた実験などが主流であったが、ウェブカメラの普及、携帯電話の高度化によって、誰もが手軽に使えるアプリケーションが展開できるようになり、マーケティングコミュニケーションの分野でも活用が急速に拡大している。

 もっとも身近で古くからある事例としては、野球中継でバックネットに合成で広告を表示するようなバーチャルアドがある。最近では、1)マーカーと呼ばれる印をウェブカメラにかざし、パソコン上のインタラクティブなソフトウェアをコントロールする形 2)携帯のカメラなどで写された画像をリアルタイムに分析し、そこに写っている画像にグラフィックや情報を付加し、目の前のリアルな世界を拡張するようなアプリケーションの2つのタイプが多く用いられている。

 1)のマーケティングコミュニケーション領域での展開事例としては、コカ・コーラやマクドナルドが米国で映画「アバター」とのタイアップで行ったキャンペーンがある。パッケージにマーカーを配して、商品自体をインタラクティブな体験の接点とし、新しいブランド体験を実現している点が特徴である。またメディアでの展開例では、米国『エスクァイア』誌が2009年12月号で実験的に様々な記事にARマーカーを配した例がある。パソコンのウェブカメラの前にかざすと、その記事に関連した動画のコンテンツなどが表示され、プリント媒体とインタラクティブなコンテンツを融合した体験を実現している。またこの号では広告にもARが活用され、雑誌広告をパソコンにかざすとレクサスのハイブリッドカーの最新テクノロジーを紹介するプログラムが展開される。

渋谷のH&Mの店頭で展開したインタラクティブミラー 渋谷のH&Mの店頭で展開したインタラクティブミラー

 2)の事例としては、日本ヒューレット・パッカードが「Shukatsu It’s Me Project」の中で、渋谷のH&Mの店頭で展開したインタラクティブミラー(写真)がある。店頭を通りかかる人がショーウィンドーに設置された大画面をのぞき込むと、自分の髪形が奇妙な形に変わったり、帽子やアニメ調のデコレーションが重ねて表示されたり、さらにその変身した様相に対するコメントなども表示されるといったものだ。もっと自分の個性を発見し表現しようというプロジェクトのメッセージに沿って、通りがかる人をちょっと個性的に修飾してしまうという遊び心のある実験的な試みである。また同様な形で有名なものとして、iPhoneのカメラを通して、風景や物体などを見るとそこに写っているものに付随した情報や、人が書いたコメントが表示される「セカイカメラ」というアプリケーションがある。構想では、スーパー等で購入を検討している商品をカメラを通して見ると、その商品に対する様々な人のコメントが表示されるといったことも紹介されている。

 ますます革新的なアプローチが求められるマーケティングコミュニケーションの世界では、近年このようなARを用いた施策がミニブームとなっている。しかし、試みはまだまだ実験的な色合いが強く、十分なROIを生み出している例は少ない。また新しさやおもしろさだけを追求していて、このテクノロジー本来の利便性が発揮できていないという指摘もある。

 今後のデバイスの変化とともにマーケティングコミュニケーションの領域でさらに新しい展開が実現され、その中には普遍性のある手法として定着していくものもあるのではないかと期待される。