大量生産・大量販売・大量消費を旨とするマスマーケティングを成立させてきた主体は、同質の価値観を持つ「大衆」だった。これに対し、1980年代前半から「小衆」「分衆」といった、消費者個々の価値観に焦点を当てた概念が提唱され、90年代には「個衆」というキーワードも登場した。商品やサービスの選択肢が増え、個人の嗜好(しこう)に応じた消費が可能になってきたことや、「自分探し」「自分らしさの追及」が注目されてきたこと、さらにはケータイやインターネットといったITの発達に助けられ、個人が情報発信の拠点となってきたことが、その背景にある。ここに至って、もはや「大衆」は死語になった感すらある。
だが、果たして本当にそうなのだろうか? 電通が2007年9月に実施した調査によれば、10-50代の対象者1800人のうち、実に72%が「自分は大衆の一員だと思う」と回答している。彼らが自分の好みを愚直に追及した行動をするなら、ロングテール型の消費が主流になる筈である。現に、商品ジャンルによっては、そうしたセグメントの伸長が見られる。だが同時に、メガヒットも誕生しているのだ。ふだんは個人の嗜好に従ってバラバラに行動している消費者が、あるきっかけで階層や年代を超えた共通の巨大なニーズを生み出していく。いわば、これまでの「大衆」的な消費とは違った形で「マス」のヒットが成立している。この間の事情を矛盾なく説明しているのが、電通が提唱している「鏡衆」という概念である。
「鏡衆」は、「人からの影響をうまく受け取りながら」「鏡のようにレスポンス&発進していくクチコミ発信力をもつ人たち」と定義される(図1)。こうした層が出現した背景には、これまでの血縁、地縁、職場などの人間関係に代わって、「インターネットなどを通じた不特定多数の人との緩いつながり」が関係構築の新しいインフラになってきた事情がある。ネットメディアや、出入り自由のコミュニティーを通じて、「自分に似た人」を探し、共鳴する人同士が共振することで新たなうねりが生まれ、さらなる共感層を取り込んで需要が増加していくのである。
図2における「共振する消費者」がほぼイコール「鏡衆」に相当すると言ってよい。彼らは全体の43%を占め、いまや最大のボリュームセグメントでもある。これに対し、発信力はあるものの人からの影響をあまり受けない層を「私こだわり型消費者」と名づけている。全体の36%と、鏡衆に次ぐボリュームを保持している「私こだわり型消費者」だが、共振しながらブームを生み出す力に欠けるため、彼らが消費の中心となる商品セグメントはヒットに至る爆発力が弱いと言えるだろう。
AIDMAに替わって提唱されるAISASにおいては、ユーザーからのクチコミによる情報のフィードバックである「SAS」の部分の設計が肝要である。その際、「鏡衆」の存在を意識し、その特性を深く理解することがマーケターにとって助けになるだろう。「鏡衆」は「私に似た人の、欲しいものが、欲しい」のであるから、SAS部分のメカニズムとの親和性が高い。「鏡衆」をうまく生かしたプランニングを行うことではじめて、クロスメディア時代におけるメガヒットを狙うことが可能になってくる。