小林多喜二の没後75周年にあたる今年、彼の代表作『蟹工船・党生活者』(新潮文庫)が、ワーキングプア問題に直面する若者層の間で注目を集めている。例年5,000部程度だった増刷部数は、今年に入って50万部を突破。新潮文庫編集部部長の江木裕計氏にお話をうかがった。
時代の相似性に硬派メディアも注目
──ヒットの経緯は。
発端は、今年1月9日に毎日新聞に掲載された高橋源一郎さんと雨宮処凛(かりん)さんとの対談の中で、雨宮さんが現在の若者たちの置かれている状況を「『蟹工船』の世界に通じている」と指摘したことです。さらに2月14日には、朝日新聞が小林多喜二の没後75周年と絡めて、「『蟹工船』重なる現代」という記事を掲載しました。
私たちが異変を察知したのはその後、突然JR上野駅構内の書店さんから、『蟹工船』に150冊という注文が入ったときです。驚いた当社の営業が書店さんに理由をうかがうと、朝日の記事を読んでピンとくるものがあったそうです。平台に置いてみると1週間に30冊、40冊と売れ始めました。3月には7,000部を増刷し、新潮社としても「これは全国にアピールできるのでは」と考えて主要書店さん向けにPOPをご提供するなど営業に力を入れ始めたわけです。
── 人気の広がりの背景をどうご覧になっていますか。
もともと『蟹工船』は、プロレタリア文学という特殊な位置づけをされながらも、時代を超えて堅調な売り上げを持続してきた作品でした。今の若者たちが作品世界に今日の格差社会との共通性を感じたことはもちろんですが、イデオロギーを離れても、極限状況を克明に描いた物語には引き付けられるものがあったということでしょう。当初は男性が上回っていた読者層も、8、9月あたりからは男女比がほぼ同等になりました。
── 意外なヒットの誕生の中に次の鉱脈探しへヒントはありますか。
通常、新聞社の取材は文化部から入りますが、この本は異例で、社会部や外国の通信社などから多数申し込みがありました。多くの記事は本書をヒット商品的な扱いではなく、今の社会に対する記者本人の問題意識と重ねながらとらえたものでした。そのある種の硬さが、かえって若い読者の心に触れたような気がします。
「今年一番の感動作です」「泣けます」といった感情的な広告がインフレ化している中で、読者は客観的な情報を求めています。例えばランキング、著名人の愛読書、偉い先生ではなくもう少し自分に近い距離にいる人のお薦めといったことです。マスコミやネットのクチコミが伝えるそのような情報に敏感に動かれる書店さんの動きをいかに見落とさないかが重要になっていると思います。
今年の「新潮文庫の100冊」にも選ばれた